取材・文/鳥海美奈子
グラスからぱちぱちと立ち昇る泡は、それを見るだけで華やかな気分へと心を誘ってくれます。シャンパーニュは、祝祭のお酒。家族や友人と大切な時を紡ぐ際には、欠かせない1本です。
シャンパーニュの産地であるフランス・シャンパーニュ地方には、現在約5,000もの生産者が存在するといわれています。そのうち誰もが知っている「モエ・エ・シャンドン」などの大手メゾンは、じつはわずか300ほど。全体の10分の1にも満たないのです。
そんなシャンパーニュ界でいま、注目を集めているのは、その9割以上を占める小規模生産者たち。なかでも、自ら栽培したぶどうだけでシャンパーニュを造る「レコルタン・マニピュラン」(略称RM)と呼ばれる生産者たちです。
そもそもシャンパーニュ地方は、寒冷な気候のためぶどうの実が熟しづらかったり、病気に罹りやすいといったリスクがあります。そのためベースとなる複数年のワインをブレンドすることが法律上許されている、フランスのなかでもめずらしいワイン産地です。
そのためシャンパーニュは長らく、様々な年、様々な畑の区画、様々なぶどう品種をいかにブレンドするかという、「アッサンブラージュ」と呼ばれる技法が大事だと考えられてきました。
たとえば、有名なメゾンである「クリュッグ」は、年や畑の区画などの違う270種ものワインがあり、それをブレンドして毎年同じ「クリュッグの味」を造り上げているといいます。
でも、近年台頭してきた小規模なRMの生産者たちは、そういったアッサンブラージュの技法ではなく、原料のぶどうの質を第一に考え、その良質なぶどうの味わいをストレートにシャンパーニュに表現しようとしています。
そのなかでも最先端といえるのが、「ビオディナミ」という方法でぶどうを栽培する生産者たちです。
ビオディナミとは、ヨーロッパで誕生した自然栽培の農法のひとつです。農薬や化学肥料を使わず、月や星といった天体の運行に基いて種まきや収穫などを行い、さらには畑をひとつの有機体と考えて土壌、植物や動物の調和を重視します。
じつはシャンパーニュ地方のぶどうの取引価格は、フランスいち高価。そのため大手のメゾンにぶどうを売れば、栽培農家の人たちは充分な暮らしができます。そんな栽培農家はより多くのぶどうを収穫すればするほど儲かるため、ぶどうの質より量が大事という考えに傾きがちです。
しかしビオディナミにより自らのシャンパーニュを造る生産者たちは、どれだけ農作業が大変でも、農薬や化学肥料に頼ることなくぶどうを栽培し、醸造の際もできる限り人為的な手を加えないように配慮します。
上質な原料であるぶどうの良さを存分に生かした、果実感やピュアさに満ちたそういったシャンパーニュは、まるで宝石のような煌めきを放っています。
昨年末、日本にもそんなビオディナミでシャンパーニュを造る最先端の3人の生産者が来日しました。ここからは、彼らへのインタビューを通して、ビオディナミのシャンパーニュの魅力をご紹介していきます。
■フランク・パスカルさん(ドメーヌ・フランク・パスカル)
シャンパーニュのヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区に7haの畑を所有するドメーヌ・フランク・パスカル。ビオディナミにより栽培されているぶどうの蔓は、生き生きと天を目指し、畑そのものもエネルギーが満ちているようです。
当主フランク・パスカルさんは、フランスのエリート養成校グラン・ゼコールの出身で、工業工学を修めました。1994年、ドメーヌを引き継いだのは弟が不慮の事故で亡くなったためといいます。その時、たとえ生産量が以前と比べて減ろうとも、自分にしかできないもの、自分が誇りにできるシャンパーニュを造りたいと考えたそうです。
フランク・パスカルさんは、仕事を始めてまもなく、農薬の危険性に気づきます。
「調べてみると農薬には、大戦中に使われていた化学兵器のマスタード・ガスと極めて近い成分が含まれていることがわかったのです。それですぐに除草剤や防カビ剤、化学肥料、化学殺虫剤などの使用を中止しました」
そして2002年から、シャンパーニュ地方ではいち早くビオディナミを開始。それとともに畑のぶどうが生き生きとしたエネルギーに満ちた状態になり、シャンパーニュの味わいもよりミネラル感が増しました。2005年にはすべての畑をビオディナミに転換します。
「当時、村では自分しかやっていなかったから、周りの人間からは”正気の沙汰ではない”と言われました。化学薬剤に頼らないビオディナミはぶどう栽培にとても手間がかかるので、一般的なシャンパーニュよりコストは60%アップします」
シャンパーニュはフランス国内のぶどう栽培の最北にあたり、ぶどうが熟しづらい環境にあります。そのため醸造の際には、甘いリキュールなどを加えて、味わいを調整するのが一般的です。「でも、ビオディナミにより健全に育てられたぶどうはきちんと完熟するので、そういった過度なドサージュ(補糖)を必要としません」。
そのため近年はドサージュに頼らない補糖を最低限に抑えた銘柄「ブリュット・ナチュール」や、補糖をまったくしないドザージュ・ゼロ」のシャンパーニュが多々登場しています。その筆頭がフランク・パスカルです。
さらに彼は「より純粋な味わい」を目指して、酸化防止剤SO2無添加のシャンパーニュにも挑戦しています。ワインでは近年、SO2無添加でも上質な味わいのものが登場していますが、シャンパーニュではまだ本当に希少です。
その銘柄を造るには妻であり、ともにシャンパーニュ造りをするイザベルが、大病したことが大きな転機になったといいます。彼女は薬剤や手術により治療する西洋医学ではなく、自己治癒力などを高めるホメオパシー医療を選び、体調を回復しました。
その経験により、「精神も身体もすべてが健全な状態にあれば、病気にかからない」=「ぶどうの状態が健全で、自然本来の生命力やエネルギーに満ちたものであれば、酸化防止剤SO2を使わなくてもワインは劣化しない」という哲学に達しました。
「それでも、クオリティの高いSO2無添加のシャンパーニュを造るのは試行錯誤の連続で、10年の歳月がかかるなど大変な労力を要としました。数量も限定的なため仕上がったSO2無添加の銘柄「セレニテ」は3万円(希望小売価格)というプレステージなシャンパーニュになっています。
しかし昨秋には、「自分たちの経験値が上がったために、より安い価格で提供できるようになった」というSO2無添加の銘柄「フルエンス」(希望小売価格7500円)が発売に。「自分たちの理想のシャンパーニュを形にできた」という自信作は、そのあまりのコントパフォーマンスの良さが、プロや愛好家の間で話題になりました。
■セバスチャン・ムーゾンさん(ドメーヌ・ムーゾン・ルルー)
ムーゾン・ルルーは1778年創業の歴史あるドメーヌです。今回、来日したセバスチャン・ムーゾンはその4代目。ドメーヌはシャンパーニュのモンターニュ・ド・ランスという地区にあります。
フランス語のモンターニュ=山という言葉が表す通り、ここには標高286メートルの丘があり、その斜面沿いにぶどう畑が広がっているのです。
とりわけこの一帯はシャンパーニュのなかでもグラン・クリュ(特級畑)がひしめく銘釀地。シャンパーニュには全部で320の村がありますが、グラン・クリュに指定されているのはわずか17村しかありません。
なかでもムーゾン・ルルーが位置するヴェルジー村は、北東向きの斜面にぶどう畑が広がっています。モンターニュ・ド・ランスのなかではぶどう畑に最も早く朝日があたり、より熱を持つ夕日が差す時間は少ない傾向にあります。そのためより涼しく、シャンパーニュは繊細でエレガントなスタイルとなります。
さらには同じ畑のなかでも北側の石灰質土壌の区画にはシャルドネを、東側の重い粘土質土壌の区画にはピノ・ノワールを植えるなど、ぶどう品種と土壌の個性をよく考えて栽培を行っています。
そんなセバスチャンさんがビオディナミを始めたのは2008年のこと。アルザスで最も早くビオディナミを実践した有名な生産者ピエール・フリック氏のワインを飲んで、「その味わいの素晴らしさに衝撃を受けたのが契機になった」といいます。
「シャンパーニュでは、ビオでの認証を持っている畑はたった1%しかありません。当然ながら、ビオディナミをやっている生産者はもっと少ない。私は、他の地域のワイン生産者から多くのことを学んだのです」
ムーゾン・ルルーでは、ビオディナミ生産者のみが取得できるデメテールという認証もすでに獲得しています。さらに、シャンパーニュ特有の泡を生む二次発酵の際に、一般的な生産者より時間をかけ、低温でゆっくり発酵させることでよりきめ細かい泡を生み出すなど、繊細な仕事をしています。ビオディナミで育てた健康なぶどうの味わいを活かすため、もちろん瓶詰め前に清澄剤やフィルターも一切使用しません。
そのシャンパーニュはレモンやりんごの皮、後味には酸味とほどよい苦味があり、非常にバランスが取れています。セバスチャンはまだ36歳。今後、さらなる進化が楽しみな生産者のひとりです。
■ジェローム・ブランさん(ドメーヌ・ジェローム・ブラン)
今年から日本で流通し始めた新進の生産者、それがジェローム・ブランさんです。ジェロームさんはぶどう栽培は自分で行いますが、自らの醸造所を持っていないため町の協同組合の施設を借りてシャンパーニュ造りをしています。
そういった生産者は、レコルタン・コーポラティヴ(RC)と呼ばれます。
「祖父の時代は、畑だけでなく醸造設備も持っていたので、レコルタン・マニピュラン(RM)として自分たちのシャンパーニュを造っていました。でもやがて経済的に行きづまり、1947年には同じ村の28の生産者とともにシャンパーニュを造る形に切り替えたのです。
私は、ランス大学などで醸造学を学んだあと、オーストラリアや南仏などでも修行しました。やがて、協同組合のひとりとしてではなく、単独で自分自身のシャンパーニュを造りたいと考えるようになったのです」
そして2009年から、ジェロームさんは自身のブランド「ジェローム・ブラン」を立ち上げました。年によって違いますが、今でも栽培したぶどうの約5~15%しか自分のシャンパーニュ造りには使っていません。残りのぶどうは、今も協同組合に売却しているのです。
現在のシャンパーニュは、このように新進のドメーヌ(生産者)が続々と誕生する状況にあります。父親の代は大手のメゾンや村の協同組合にぶどうを売り、それで生計を立ていましたが、小規模でもいいから、自分で独立したシャンパーニュを造りたいと願う人が増えているのです。
近年、プロのソムリエやマスコミ、愛好家が小規模生産者のシャンパーニュを高く評価し、そのなかからスター生産者が続々と誕生している現状が、そういった動きに拍車をかけています。
さらにジェロームさんは、幼い頃から東洋医学やホメオパシー医療に興味を持っていたと話します。そのためぶどう栽培を始めると、いずれビオディナミに挑戦したいと考えるようになりました。そして2004年からビオをスタート、2010年からはビオディナミも導入します。
ドメーヌ・ジェローム・ブランは、「ヴァレ・ド・ラ・マルヌ」という地区に位置します。ここは「ピノ・ムニエ」というぶどう品種が主流です。過去、ピノ・ムニエは、ピノ・ノワールやシャルドネの補助品種として考えられてきました。しかし、彼のような意欲的なぶどう栽培に挑戦する生産者が現れると、その評価は一変します。
ビオディナミによりきちんと完熟したピノ・ムニエは、複雑性としっかりとした骨格を持ち、さらにビオディナミ特有のミネラルにも貫かれて、非常にガストロノミックな味わいに仕上がります。鶏など白身の肉料理などにも充分あわせられるほどです。
ジェローム・ブランではそのピノ・ムニエ100%の銘柄も造っています。ピノ・ムニエ100%の銘柄は過去のシャンパーニュの歴史では考えられなかったことであり、この数年の新たなムーブメントといえます。
以上、今回はビオディナミにより作られたシャンパーニュの魅力を、最先端の3人の生産者へのインタビューを通してご紹介しました。こういった新しい意欲的な生産者たちのシャンパーニュを、ぜひ大事な家族や友人とともに楽しみ、
取材・文/鳥海美奈子