今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人を啓発するということは、先方で一歩足をこちらの領分へ踏み込んだ時に手を出して援(たす)ける時に限る」
--夏目漱石
夏目漱石が大正4年(1916)に書きつけた『断片』より。
漱石は社会に出る際、教師として出発し、文筆一本の生活に入ってからも周囲に多くの門弟がいた。そうした意味では、生涯を通して教育者だったと言える。その漱石の教育論の一端を示したものが、掲出のことばである。
教える側がいくら力んでみても、教えられる側にそれを受け入れる姿勢が整っていなければ成果は上がらない。また、教えられる側がいくら積極的な気持ちになっていても、教える側に力量がなければ相手を啓発することはできない。
「啐啄同時」(そったくどうじ)という言葉がある。
鶏の卵がかえるとき、親鶏が無闇に外側から殻を破ろうとしてもうまくはいかない。内側から雛が殻を破ろうとして突つく、その刹那に、親鶏が外から殻をかみ破る。そうやって、内からの需(もと)めと外からの援けが一致した時に、初めて事は成る。この言葉は、そういう物事のタイミングをあらわしている。教育とは、そういうものなのだろう。
漱石は随筆『硝子戸の中』には、こんな一文も綴っている。
「お互いに体裁のいいことばかりいい合っていては、いつまで経ったって、啓発されるはずも、利益を受ける訳もないのです。あなたは思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ充分に開放して見せれば、今あなたがどこに立ってどっちを向いているかという実際が、私によく見えてくるのです。そうした時、私ははじめて、あなたを指導する資格を、あなたから与えられたものと自覚してもよろしいのです」
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の侍ジャパンの正捕手として、巨人の小林誠司が活躍した。その成長のかげには、先輩キャッチャー阿部慎之助の存在があった。小林は今年の冬、直訴して阿部に弟子入りしてグアムで合同自主トレをおこない、さまざまな教えを乞うた。阿部もすべてを注ぎ込むように指導したという。互いの心の持ちようとタイミングが、ここにきてピタリと合致したのだろう。
今後の小林の、さらなる成長に期待したい。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。