今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人間は貧乏がええよ。艱難(かんなん)汝を玉にすと言うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。苦を楽しみとする心がけが大切じゃ」
--秋山好古
秋山好古は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公のひとりとしても知られる明治期の陸軍軍人。
質素な暮らしぶりを旨とし、子どもたちに対して、掲出のことばをよく言い聞かせていたという。
元来が「人生は簡単明瞭でありたい」「男は生涯において一事を成せばいい」ということをモットーとし、物欲、出世欲などの余分なものを排して、日本の騎兵隊を育て上げた人物。「日本騎兵の父」と呼ばれた所以である。
若い頃、旧旗本の佐久間家に下宿していたときも、家財道具と呼べるようなものは一切持たなかった。最低限の煮炊きのための鍋と釜だけがあり、茶碗もひとつしかない。ある日、弟の真之が訪ねてきて、夕飯をとる段になった。好古はまず真之に茶碗一杯の飯を食べさせ、つづいて、空いた茶碗に自分が酒をついで一杯飲む。次にまた真之に飯一杯、自分に酒一杯。これを交互に繰り返したという。
菜は漬物だけ。好古は酒が滋養になる特異な体質の持ち主であったらしい。
ふと、若く貧しかった無名時代のピカソの逸話を思い出す。
故国スペインをあとに、憧れのパリに出てきて友人のアパルトマンに居候したものの、ベッドはひとつしかない。そこでピカソが考案したのは、友人が眠っている間は夜通し絵を描きつづけ、友人が働きに出ている昼の間に眠るようにするという、仰天の逆さま生活だったのである。
退官後の秋山好古は、乞われて、郷里の松山に帰り無名の中学の校長をした。陸軍大将にまでのぼりつめた人物としては異例のこと。
しかも、6年余りの在任中、一日たりと休むことはなかった。人間は死ぬまで働くべきものと思い定め、周囲にもそう語っていたという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。