文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「俺は中学を一番で出た。もっともビリから数えての話だが」
--正力松太郎

のちに読売新聞社社長となる正力松太郎が、東京帝国大学時代、同級生らの前で得意気に語っていたことばである。型破りの言い回しが、いかにも正力らしい。

正力は明治18年(1885)富山県の生まれ。東大卒業後、警視庁入りするが、大正13年(1924)皇太子が襲われた虎ノ門事件の責任をとって辞任した。

その後、「財界の巨頭」といわれた郷誠之助の推薦により読売新聞社社長に就任。強引ともいえるワンマン体制から、新奇なアイデアをからめた徹底的大衆路線をとり、販売部数を伸ばし大新聞に育てあげた。一方で、読売巨人軍や日本テレビ放送網を興すなどして事業を拡大。政治家としても衆議院議員に5回連続当選し、科学技術庁長官などをつとめている。

実業家としてそれだけの実力を示した正力松太郎の晩年は、ある種、豊臣秀吉の晩年のようだったとも伝えられる。往年の鋭さを失い、強大な権力をかさに周囲に無理難題を押しつけ老醜をさらした感のある秀吉の晩年に。

他ならぬ、正力の後継者として読売新聞社社長をつとめた務台光雄が、こんな証言を残している。

「吉川(英治)さんは正力社主とは読売に『太閤記』を書いたことで会う機会があり、それに各社からその人となりを聞いておったので、正力さんの人物ややり方については相当研究しておったようであります。(略)正力さんと秀吉を比較して、正力さんの晩年は秀吉の晩年にそっくりだと言って、その言動を語り、私に時々注意しておりました。この話は私の胸を打つものがあり、私は自分の方針と態度を決める場合、非常に参考になりました」(『読売「第三の危機」の真相』)

富士山より高い4000メートルのテレビ塔、名づけて「正力タワー」の建設計画が、正力晩年の常軌を逸した振る舞いの象徴的なものだった。そんなテレビ塔を建てるためには、神奈川、静岡、山梨の3県にまたがる基礎工事を有するのである。しかも、正力は、その広大な土台部分をすべて百階建て、二百階建てのビルにして、世界一の塔とともに世界一の都会をつくりあげると豪語し、設計費用に2億円もの金をつぎこんだという。

この破格過ぎる建設計画は、正力の84歳での死去により、「バベルの塔」の如くついえた。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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