文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
雪原の中、電車は勾配の途中で停車し、ゆっくりとバックしながらホームに入っていく。ここは新潟県妙高山麓にある二本木駅。複雑に入り組んだポイントには、融雪のため噴水のように水が吹き付けられている。
そして木造平屋の明治生まれの駅舎の横にゆっくりと電車が停車した。
2015年3月の北陸新幹線開業にともなって、並行在来線のJR信越本線の妙高高原〜直江津間も三セク化され『えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン』になった。あらためて読むとすごいキラキラネームだ。
それでも駅名看板が変わっただけで、連続25パーミルの勾配区間にある駅の風景は少しも変わっていなかった。
二本木駅は、今では数少なくなった勾配形スイッチバックの駅だ。直江津方面から妙高高原駅に向かって登ってきた列車は、この駅に停車するため、いったん逆戻りする形で、水平に設けられた引き上げ線ホームに停車する。
蒸気機関車だったころは勾配途中での再発進が難しいため、このような構造になったのだが、いまでは列車の「坂道発進」も簡単にできるようになり、こんな面倒くさい停まり方をする駅も珍しくなった。
二本木駅の場合は隣接する日本曹達二本木工場への引込線があったため構造が残されたのだ。しかもホームから電車がポイントを渡ってスイッチバックする様子がリアルにわかるため、雪の中で鉄道ファンがホーム端にへばりついている。
スイッチバックが注目される二本木駅だが、駅舎もまた古い。玄関上に貼り付けられている「建物財産票」には、明治43年9月と記載されている。
ちなみにこの明治43年(1911)のはじめ、1月12日に駅の北方、高田の陸軍歩兵連隊でオーストリア帝国陸軍のレルヒ少佐が日本で初めてスキーの講習を行ったことから、同日は「スキーの日」になっている。
ともあれ、スキー伝来の年に建てられた駅舎は頑丈そのもので、寄棟屋根に玄関を中心に「もこし屋根」(ひさし)を巡らせた北国スタイル。このひさしの下で服の雪を払い、また雪原に踏み出す準備をするためのスペースだ。
さらに豪雪地帯らしく除雪作業の命綱アンカーが屋根にニョキニョキと並び、さながらプロイセンの鉄兜のような勇ましい姿だ。
北国街道の旧道が通る駅前は小さな商店街になっていて、かつては一万人以上も働いていた「日本曹達」二本木工場の企業城下町だった歴史を伝えている。商店街の先には『妙高はねうまライン』本線が走り、国鉄時代には特急や急行など二本木駅に停車しない(特急あさまや急行とがくし)などがスイッチバックせずに通過していった鉄道写真の名所だ。しかし三セク化以後はえちごトキめき鉄道の観光列車『雪月花』も含めて全列車が停車するようになった。
駅舎の待合室には鉄道ジオラマのコーナーも開設され、このスイッチバックの鉄道名所をPRしている。二本木駅の標高は180m、隣の関山駅は標高333mに達し、しなの鉄道との連絡駅、妙高高原は510mとガンガン登る。車窓から、かつて関山駅にもあったというスイッチバックの跡をみようと思ったが、雪に覆われてわからなかった。
【二本木駅(えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン)】
■ホーム:1面2線
■所在地:新潟県上越市中郷区板橋
■駅開業年:1911年(明治44)5月1日
■アクセス:北陸新幹線上越妙高駅からえちごトキめき鉄道で16分
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。