文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
神無月とは旧暦10月の異称だが、全国の神々が出雲大社に集まるので、出雲地方では「神在月」と呼ばれている。その秋にこそ乗ってみたいのが、出雲・島根県を南北に貫いて走るJR木次線だ。
木次線は、山陰本線の宍道駅から、ヤマタノオロチ伝説が伝わる斐川をさかのぼって中国山地を超え、芸備線の豊後落合駅までを結ぶ非電化路線。ススキ野原や紅葉の駅を走る沿線には、古い日本映画を見るような懐かしい鉄道風景が残っている。
そんなローカル線の中間駅に、わが国最高レベルの「宮造りの駅舎」がある。それが、宍道駅からディーゼル気動車に乗って1時間30分ほどで着く、出雲横田駅だ。
規模はさほど大きくないが、玄関に大社風の太いしめ縄を張った駅舎は、このままどこかの神社に移築しても遜色ないほどに完成された宮造りだ。
入母屋、寄せ棟の銅板葺き屋根にがっしりとしたヒノキの玄関柱を立て、身のしまった松材を校倉に積み上げた壁も美しい。さすがに雲州そろばんの産地である。(ちなみに、駅に隣接して『雲州そろばん伝統産業館』がある)。
私が初めてこの駅を訪ねたのは、国鉄が民営化されてまもなくの頃だった。そのときは大勢の男たちが、駅舎を雑巾で木目が出るほどふきあげていた。聞くと彼らはJRに採用されなかった国鉄清算事業団の人たちで、この校倉の壁がじつにふきにくかった思い出があるとの話だった。
昭和9年(1934)、木次線開業時に竣工した駅舎は、参宮線(三重県)にあった宮造りの駅舎を参考にして建設されたと伝えられている。横田町の郊外にある、ヤマタノオロチにとらわれていたクシナダ姫を祀る稲田神社にちなんだもので、駅の構内にはこの由来を示す表示がある。
稲田神社は島根県出身の炭鉱主で実業家、小林徳一郎によって昭和初期に建立されたいわば私設神社だった。いまでこそ奥出雲の里山にたたずむ静かな神社だが、行ってみると確かに本殿は出雲横田駅によく似ていた。
出雲大社に大鳥居を寄進したこともある篤志家の小林徳一郎と、稲田神社建立中に完成した出雲横田駅舎。その頃、なにかの流れの中で関係ができたのだろう。
山を背負った出雲横田駅前から伸びる旧横田町(現奥出雲町)は、たたら製鉄で栄えた斐伊川上流の町。大正時代からの洋館や尖塔をもつ教会もある落ち着いた街だ。
列車はこの出雲横田で列車交換をすることが多い。例年4月から11月まで運転されている観光列車『奥出雲おろち号』も、停車中の列車から飛び出して宮造りの駅舎を撮影するファンも多い。
そんな木次線には昔ながらの駅舎も多いが、出雲横田駅ほど凝った駅舎は、他にない。
【出雲横田駅(JR西日本木次線)】
ホーム2面2線の中間駅
所在地:島根県仁多郡奥出雲町横田1020
開業年月日:1934年(昭和9)11月20日
アクセス:出雲市駅から山陰本線宍道駅経由で約2時間
写真・文/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。