軍事施設としての城の楽しみ方をご紹介するこの連載。前回は『長大な包囲網で完全に追い詰める!「城攻めの達人」秀吉お得意の必勝戦術とは』をお届けしました。最終回は、城に欠かせない「天守」について解説していきたいと思います。信長・秀吉・家康はなぜ絢爛豪華な天守を築くことにこだわったのでしょうか。
■城の天守は相手を屈服させる”戦略兵器”である
近世城郭の先駆けとなった安土城については、前々回の『実は巨大な吹き抜けも存在!信長が誕生させた「幻の名城」安土城の全貌』でご紹介しました。この安土城で、信長はこの世に初めて天守を誕生させたのでした。
そもそも天守とは、物見台や司令所から発展した建物ですが、安土城天主(安土城では天守でなく天主と表記します)はそれまでの、城=軍事施設という概念からは到底想像できない、華美で奇抜な高層建築物となったのです。
これは当時最高峰の技術と文化を結集した、権威の象徴と言えるもの。見る者を圧倒し、戦わずして屈服させるための戦略兵器だったのです。
■家康は”真っ白な城”を築いて政権交代を知らしめた
その後、秀吉によって築かれた大坂城の天守も、安土城と同じコンセプトでつくられ、贅を尽くした絢爛豪華なものでした。
秀吉が信長のコンセプトを徹底して踏襲したのには理由があります。それは、この天守によって秀吉が信長の後継者として天下を掌握したことを誇示するためでした。大坂城の天守は、豊臣政権の絶対性と安泰のシンボルだったのでしょう。
そして信長や秀吉に倣い、家康も、天守を統一政権のシンボルとしてフル活用しました。関ヶ原合戦に勝利した彼は、まずは政権交代を知らしめるために、焼失した伏見城天守を再築しました。
ただし、全体が白く輝く五重天守のビジュアルは、信長や秀吉の天守とは全く異なるものでした。秀吉の真っ黒な城と対極にある城を築くことで、視覚的に“政権交代”を訴えたのです。
さらにおもしろいのは、家康が秀吉の存命時には城にさほど執着せず、逝去後に堰を切ったように城を手に入れ、巨大な天守を建てたこと。江戸城に大坂城を凌駕する巨大な天守を築いた家康は、天下人の座への君臨を実感したに違いありません。
さて、この短い連載も最終回となりました。城についてのうんちくを知ると、城めぐりがより一層楽しくなるはずです。詳しくはぜひ、『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』や、『戦国大名の城を読む 築城・攻城・籠城』(いずれもSBクリエイティブ刊)をご覧ください。
監修/萩原さちこ
文・構成/平野鞠
萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。 大学卒業後、出版社や制作会社などを経て現在はフリーの城郭ライター・編集者。 執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。 おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、 『お城へ行こう! 』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO! 』(共著/学研パブリッシング)など。 公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。
【参考図書】
『戦国大名の城を読む 築城・攻城・籠城』
(萩原さちこ・著、本体760円+税、SBクリエイティブ)
http://www.sbcr.jp/products/4797372359.html