上野を歩くと公園、喫茶店など、「日本ではじめてのもの」に数多く出会う。近代化の歴史に触れるため、それらのゆかりの地を訪ね、じっくりと辿ってみたい。
NHK Eテレ『びじゅチューン!』でおなじみ、井上涼さんが案内

昭和58年、兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学卒業。『赤ずきんと健康』でBACA-JA2001映像コンテンツ部門で佳作受賞。上野の東京国立博物館では、2018年・2020年にNHKEテレ『びじゅチューン!』とのコラボレーション企画「なりきり日本美術館」が話題を呼んだ。
日本初の西洋型都市公園は上野エリアの中枢

双子のパンダで話題の上野。「上野=パンダ」とのイメージが強いが、上野動物園を擁する上野恩賜公園が日本最初の公園だというのはご存じだろうか。
「上野公園の発祥の由来は、江戸時代に遡ります」と語るのは、『上野がすごい 日本の未来を創る街』の著者・柳瀬博一さん(60)。
「上野公園はもともと、江戸時代は寛永寺の境内でした(寛永2年=1625年に江戸城守護のために建立)。上野の山は江戸城の鬼門を守る要地であり、水源が豊かで台地として安定していたため、ここにお寺を造ったわけです。物流の9割を水運に頼っていた当時は港の利用が不可欠で、上野は地形的にも重要な場所だったのです」
上野恩賜公園(1873年開業)

上野は武蔵野の台地の東端にあり、旧石神井(しゃくじい)川による渓谷地形を持ち、6000年前は海岸線だった。
「不忍池は縄文時代の海の名残です。また、上野が街として発展した背景には、寛永寺を建てた天海和尚の存在も大きい。徳川家康のブレーンとして江戸の都市計画を考えた天海和尚は、上野の地形の重要性を熟知していたからです」(柳瀬さん)
慶応4年(1868)の戊辰戦争で寛永寺の境内は戦場となり、広大な土地は焼け野原になる。明治政府は空いたこの土地の活用を検討する中、ロンドンやパリなど、洋行経験のあった大久保利通の“首都には立派な公園が必要”という提案に賛成。そこで欧米の公園文化を取り入れた日本初の西洋式都市公園が、明治9年(1876)に誕生した。
明治15年(1882)、現東京国立博物館が移転開館し、同年に上野動物園が開園。明治20年(1887)には、岡倉天心らが中心となり、現在の東京藝術大学が創立された。文化・教育の拠点とされた上野公園は、明治6年(1873)に指定された芝公園、浅草公園、深川公園などの中でもとくに重要視され、大正13年(1924)に東京市に下賜され正式に「上野恩賜公園」と名付けられた。近世の宗教的中心地から近代の公園文化の拠点へ。上野公園は時代とともに形を変えながらも、地形の良さから、東京の大切な場所であり続けている。
恩賜上野動物園(1882年開園)

開園時間:9時30分〜17時
休園日:月曜
入園料:一般600円(65歳以上300円)
ジャイアントパンダ(1972年来日)












