文・絵/牧野良幸

俳優の仲代達矢さんが亡くなった。

仲代達矢さんは、それこそ日本映画が「面白すぎる」時代に、数えきれないほどの作品に出演した名優だ。

この連載でも仲代達矢さんが出演している映画をいくつか取り上げてきた(リンクは本文最後に掲載)。別に意識して選んだわけではないのだが、取り上げる作品を決めて出演者を見ると、仲代達矢さんの名前があったというパターンは多かった。

黒澤明監督の『用心棒』では、「世界のミフネ」とタメを張れる悪人役を演じた。三船敏郎とはまたタイプが違うクールな野生味があった。小林正樹監督の『人間の條件』では、太平洋戦争末期の極限状態を潜り抜けていく日本兵を演じた。

こうしたシリアスな役の一方で、市井の人を演じた仲代達矢さんも印象的だ。市川崑監督の『鍵』は谷崎潤一郎の原作で、現実では考えられないようなエロティックな環境に置かれても、感情を表に出さないインターン役はユーモラスでさえあった。

連載で取り上げた以外でも「女性映画」の名匠成瀬巳喜男監督の『女が階段を上る時』でのバーのマネージャー役、山本薩夫監督『華麗なる一族』での専務役も印象深い。

仲代達矢さんは日本映画の黄金期から晩年まで、多くの映画に出演し、多彩な役柄を演じてきたわけだが、今回取り上げる『天国と地獄』では、とびきりの善人、それもかっこいい刑事役で出ているので、それを紹介したい。

『天国と地獄』は1963年に公開された黒澤明監督の現代劇で、身代金誘拐を描いたサスペンス映画である。

オープニング。白黒のワイドスクリーンが力強い。そこに黒澤映画ならではの骨太の文字で出演者の名前が映る。まずは主演の三船敏郎。演じるのはナショナル・シューズ社の役員・権藤だ。

そして、その次に仲代達矢の名前も大きく出る。仲代達矢が演じるのは警察の戸倉警部。実際、映画の全編を通して活躍し、動き回るのはこの戸倉警部である。もうひとりの主役と言ってもいいと思う。

舞台は横浜の港を見下ろせる高台にある権藤邸。権藤を含めた会社役員たちが権力争いをしている。その中で権藤は孤立しているが、裏では自社株の買い占め工作を進めていた。

敵対する役員たちが帰ったあと、一本の電話。権藤の息子が誘拐され、犯人から身代金を要求される。しかし犯人が誘拐したのは権藤付きの運転手・青木(佐田豊)の息子だった。

犯人は子どもを間違えたが、動じない。犯人は子どもと関係のない権藤に3000万円という巨額の身代金を払うよう要求する。

権藤の手元には5000万円の小切手があるが,それは自社株の買収のために、屋敷など全ての財産を抵当に入れて用意した金だった。もし今日買収ができなければ、権藤は会社を追い出され、破滅を招く。

冷酷な秘書・河西(三橋達也)は株の買収を優先すべきだと言う。不自由なく育ってきた妻(香川京子)は、身代金を払ってやってくれと懇願する。運転手の青木も膝をついて頼み込む。苦悩する権藤。

このような三者三様の人間模様が、権藤邸のリビングで繰り広げられる。まるで舞台劇のような緊迫感ある導入である。

そこに警察が来た。まず声だけ。

「窓もカーテンもみんな閉めてください」

声のあと登場したのが、仲代達矢が扮する戸倉警部と部下たちだ。

「主任警部の戸倉です」

戸倉警部はスーツにネクタイ。部下の3人は開襟シャツなので、戸倉警部がエリートであることを印象づける。そして沈着冷静な男であることも。

実際、クールである。電話に傍聴装置をつけることを指示するや、興奮している権藤に向かい、腕を後ろに組んで、落ち着いて応える。これだけで観客には頼りになる警部だと希望を抱かせる。

戸倉警部を見て、僕はのちにテレビで流行る「刑事ドラマ」の原型のようなものを感じた。『太陽にほえろ!』のようなテイストを、この1963年公開の映画で感じてしまうのだ。

ボスである戸倉警部だけでなく、黒澤監督は部下の3人にも個性を与えている。

田口部長刑事(石山健二郎)は、仲間から「ボースン(甲板長)」と呼ばれる人情にあつい男。荒井刑事(木村功)はスマートだが、ノリが少々軽いところが若手らしい。中尾刑事(加藤武)は目つきと同じく強気なところがありそうだ。黒澤監督は刑事物映画としてのリアリティも妥協していない。

さて、権藤である。権藤は身代金の支払いに応じた。自身の破滅は承知の上だ。靴職人から叩き上げた権藤には、やはり正義感があった。

ここから舞台は一転し、特急「こだま」での身代金明け渡しの場面となる。映画中でも一番のサスペンス・シーンである。

身代金の受け取り方法をここでは明かさないが、犯人はまんまと3千万を受け取る。そして約束どおり誘拐した子どもを解放した。

子どものもとに走る権藤。ここで初めて流れるファンファーレのような音楽が、冒頭からの緊張感をようやく緩める。黒澤監督のうまさを感じる演出だ。

権藤と子どもが抱き合っているのを見ると、映画を見ている我々も安堵感に浸る。が、映画はこれで終わりではないのだ。戸倉警部の言葉が再び緊張感をもたらす。

「おい。これから手加減はいらん、あの人のためにも犬になってホシを追うんだ!」

最初クールに見えた戸倉警部の感情が爆発した場面である。

同じような場面は、警察での合同捜査会議でもある。戸倉警部はいつものように腕を後ろに組んで、ここまでの捜査の進展状況を述べる。上着を脱ぎ、ネクタイを緩めているところから、捜査に疲れていることをうかがわせる。それは他の刑事たちも同じだ。

「無駄骨も多いだろう、それに耐えるのは苦しい。しかし……苦しい時は権藤氏のことを考えろ!」

この檄で刑事たちに緊張感が張り詰める。やはり仲代達矢が真ん中に立っているだけで、スクリーンは引き締まる。

長くなったので、このあとを簡単に説明しよう。警察はじわじわと捜査を進め、犯人を特定する。子どもが監禁されていた場所も突き止めた。戸倉警部たちが犯人を尾行する場所は、アメリカ兵の姿も見られる喧騒の酒場、街の雑踏、麻薬中毒者の巣窟である。黒澤監督がこの映画に挿入した幻想的な場面だ。

映画は犯人逮捕まで緊張感を緩めない。思えば、最初の権藤邸のシーンから戸倉刑事と一緒に捜査を見てきたことになる。

その間、戸倉刑事のセリフに感銘を受けたことは先ほど書いたが、たとえ黙っている時でも、苦悩する権藤に向ける優しい眼差しがとても印象深かったと最後に書いておきたい。仲代達矢は、強さと優しさの両方を演じていたのだと思う。

この連載での、仲代達矢さんが出演している映画のリンクはこちらになる。合わせて読んでもらえたらと思う。

第16回『鍵』https://serai.jp/hobby/303550
第28回『用心棒』https://serai.jp/hobby/358453
第57回『人間の條件』https://serai.jp/hobby/1036668

* * *

【今日の面白すぎる日本映画】
『天国と地獄』
1963年
上映時間:143分
監督:黒澤明
脚本:小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明
原作:エド・マクベイン「キングの身代金」
出演者:三船敏郎、仲代達矢、山崎努、香川京子、木村功、三橋達也、志村喬、ほか
音楽:佐藤勝

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

『オーディオ小僧のアナログ放浪記』
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