ライターI(以下I):『光る君へ』第1回では、藤原兼家(演・段田安則)一家が入内について語り合う場面が描かれました。娘を天皇に入内させて、皇子が誕生して、その皇子が皇位につくことによって外戚として権力を得るという仕組みって、よくよく考えると不思議な仕組みだなって感じるのですが。
編集者A(以下A):確かにそうですよね。娘を入内させても皇子を生まなければならないわけですから。この仕組みは藤原良房が清和天皇の外祖父として摂政になってから延々と続くわけです。
I:本編でも言及しましたが、まどろっこしい仕組みですよね。
A:そういう時代を描いているのが『光る君へ』なわけですが、その背景には中国、当時は北宋なのですが、その脅威がなかったことがあるかと思います。
I:なるほど。
A:ざっくりと東アジア史を概観しましょう。話は劇中の時代から300年ほどさかのぼります。天智天皇の時代、西暦でいうと663年に白村江の戦いがあり、唐と新羅の連合軍に倭国が敗退します。この後、対馬の金田城など全国に朝鮮式山城が築かれます。これは唐の脅威にさらされた倭国が緊張していたことを今日に伝えてくれます。
I:唐には遣唐使が派遣されて、さまざまな仕組みが我が国にもたらされました。
A:はい。遣唐使は白村江の戦いの前からすでに始まっていましたが、その後も200年以上続いていきます。それが菅原道真によって廃されたのは、寛平6年(894)。その理由は唐で内乱が続いていたことなどがあげられています。現に、延喜7年(907)には唐が滅亡してしまいます。
I:中国史でいえば、唐の滅亡後に中国は五代十国が興亡を繰り広げる混乱の時代に突入し、『光る君へ』の第1回冒頭の貞元2年(977)は、宋がようやく中国を統一して10数年という時期。日本の脅威になる存在ではなかったということですね。
A:教科書的にいうと、遣唐使が廃された後に日本は国風文化の時代になったといわれますが、その背景には中国が強い国ではなかったということがいえると思います。
I:それで、入内した娘が皇子を生んで、その皇子が皇位につき、外祖父が権力を得るという悠長な構図が続いたわけですね。
A:ざっくりいうとそんな感じでしょうか。教科書的には「摂関政治」といいますが、その最盛期を描くのが『光る君へ』。入内した娘が皇子を生まなければならないわけですから、綱渡り的な権力構造ですが、なんと170年前後も続きます。その終焉はやはり入内した娘が皇子を生めなかったということになります。
I:教科書に登場する後三条天皇の時代ですね。藤原道長の孫とかひ孫くらいの時代になりますかね。
【平清盛の娘の入内、そして源頼朝の入内工作。次ページに続きます】