はじめに-安倍晴明とはどんな人物だったのか?
安倍晴明(あべのせいめい/はるあきら)とは、平安時代中期に活躍した陰陽師です。現在のように、科学技術が発展していなかった当時、陰陽師と呼ばれる人々が、吉凶を占ったり、病気や物怪(もののけ)を調伏したりしていました。
晴明は、陰陽師の中でもカリスマ的存在として一目置かれていたとされ、道長や行成(ゆきなり)などの上級貴族たちから重宝されていたそうです。
野村萬斎主演の映画や、フィギュアスケートの羽生結弦選手が演じたことでも話題になった、安倍晴明。謎に包まれた伝説の陰陽師というイメージがありますが、実際の安倍晴明はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、並外れた占いの才能を持ち、政局にも大きな影響を及ぼした陰陽師(演:ユースケ・サンタマリア)として描かれます。
目次
はじめに―安倍晴明とはどんな人物だったのか?
安倍晴明が生きた時代
安倍晴明の足跡と主な出来事
まとめ
安倍晴明が生きた時代
安倍晴明は、延喜21年(921)に生まれました。晴明が生まれた延喜年間は、醍醐(だいご)天皇の治世にあたり、天皇親政のもと、儒教的で正しい政治が行われたとされます。後に、村上天皇が統治した天暦年間とともに、「延喜・天暦の治」として、後世で理想化されました。
晴明は、そのような時代の中で、陰陽師として宮廷で活躍することとなるのです。
安倍晴明の足跡と主な出来事
安倍晴明は、延喜21年(921)に生まれ、寛弘2年(1005)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
陰陽道・天文道を学ぶ
安倍晴明は、延喜21年(921)、安倍益材(ますき)の子として生まれます。晴明がどのような幼少期を過ごしていたのかについて、詳しくは分かっていません。青年期には、陰陽師の賀茂忠行(かもの・ただゆき)・保憲(やすのり)親子から、陰陽道と天文道(天象によって、吉凶を占う術)を学んだと言われています。
その後、大膳大夫(おおかしわでのかみ、宮内省に属する官司)や、天文博士などを歴任したとされる晴明。陰陽師として、高い能力を発揮していたことが分かります。また、晴明の家が、平安京大内裏の土御門(つちみかど)と呼ばれる場所にあったことから、彼の子孫は土御門家と称されるようになりました。
以降、土御門家は陰陽師の家系として、長く栄えることとなったのです。
【陰陽師として、宮廷で活躍する。次ページに続きます】