陰陽師として、宮廷で活躍する
才能ある陰陽師として、広く知られるようになった晴明。貴族たちの吉凶を占ったり、陰陽道の祭祀を行ったりと、宮廷で活躍するようになりました。晴明が最も得意とした祭祀の一つに、泰山府君祭(たいざんふくんさい)が挙げられます。
泰山府君とは、古代中国に起源を持つ神のことで、仏教の閻魔大王とともに、人間の寿命を支配すると考えられていました。そして、彼らの侍者である司命神によって、生きている人間の戸籍が管理されると信じられていたため、平安貴族たちはこの神を盛んに祀っていたのです。
また、当時は物怪が憑りつくことで病気になると信じられていました。晴明は、そうした病気や物怪の調伏も行っていたと考えられています。占いや調伏など、陰陽師として幅広く活躍した晴明。氏長者(うじのちょうじゃ、一族の中の最高権力者)である藤原道長も、不思議な力を持つ晴明に魅了されていたそうです。
藤原氏について記されている歴史物語『栄花物語』の中には、彼を陰陽道の達人とする記述が見られます。晴明は、寛弘2年(1005)、85年の生涯に幕を閉じたとされます。室町時代に入ると、晴明は神の化身であると考えられるようになり、彼の居宅跡に安倍晴明社が創建され、崇められるようになったそうです。
安倍晴明にまつわる逸話
神の化身と評されるほど、神秘的な力を持っていたとされる晴明。謎に包まれているということもあり、彼にまつわる逸話は数多く残されています。藤原氏に関する歴史物語『大鏡』や、平安時代末期の説話集『今昔物語集』の中には、花山(かざん)天皇の譲位を天変で予知したという記述が見られます。
また、鎌倉時代に成立した説話集『古事談』には、飼い犬の異変に気付いた道長が晴明に占わせたところ、道長を呪詛する者がいることを見破ったという逸話が記されているそうです。そのほかにも、晴明を伝説の陰陽師とする逸話が残されており、当時の人々が彼を畏怖していたことが分かります。
まとめ
不思議な能力で、人々から一目置かれていた安倍晴明。アニメや小説でも度々題材にされるなど、ミステリアスな彼の魅力は、現在でも多くの人々を魅了しています。まさに、平安時代を代表する伝説の陰陽師と言えるのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)