京都は不思議な街だ。日本料理の源流ともされる京料理を擁し、伝統と格式は揺らぐことはない。しかし、街を歩けば、韓国料理、スペインバル、イタリアン、フレンチ、そしてそれらの融合料理とあらゆるものがありどれも驚くほど美味しい。融通無碍な食への姿勢もまた、底知れぬ古都の懐の一端なのだ。
ひとりでもふらりと寄れる姉妹で営むやすらぎ店
イノウエ|中京区下瓦町
江戸時代中期から続く御所人形師(※御所人形は、宮中など京都の公家の間で好まれてきた童形の人形)の家に生まれた伊東庄五郎さん。父が12世伊東久重、伊東さんは、13世嗣として、高校時代から人形作りに勤しんできた。歴史ある家で育ち、さぞかし老舗料亭や割烹などへも足を運ぶ機会は多いのだろうと思うが、そうではないと伊東さんは言う。
「仕事場といっても家の一角、それも家族と一緒です。結婚して家を出るまでは、平日は昼も夜も家でご飯を食べるのが日常でした。母が料理好きだったこともあって、家で食べるご飯が美味しかった。外食するのは、週末やお祝いのときくらいでしょうか」
とはいえ、祖父の代から通う中華料理店や洋食店もあり、それらの店には今も家族で訪れるそうだ。
「祇園にある鮨割烹の『なか一』さんの先代が父と旧知の仲で、高校生になってからは、特別なときに連れていってもらいました。大人のご飯の食べ方というか、店との関わりを体験させてもらった初めてのお店です」と伊東さん。
父が、店の大将と料理について話したり、カウンターで隣り合わせた人とも気軽に会話を交わしたりするのを、洒脱な大人の付き合いとして、憧れの目をもってみていたという。そんな経験もあって、今も外食する際は、カウンターの店を選んでしまうそうだ。
隠し味は家庭のあたたかみ
「店主のお人柄が感じられる店に、足が向かいます。お料理もお酒も、丁寧に説明してくださる。カウンターの内外での間合いというか、やりとりも食事の楽しみです」と伊東さんは言う。
『イノウエ』は、令和4年8月の開業。築90年の町家の柱や梁などは極力残して改装した。店を営むのは、井上愛さん、紗也佳さん姉妹。料理は愛さん、接客は紗也佳さんが担っている。
姉妹は京都府宮津市の出身で、愛さんは京都の芸術大学に通う頃から飲食店でアルバイトをしていた。最初に勤めたのは、街中の煮込み店、卒業後も和食店に勤めた。
「家庭料理とは違う、出汁のとり方や天ぷらの揚げ方など本格和食に夢中になりました。家の味も生かした気軽な店をというのが、夢やったんです」と愛さん。
開業から1年、まるで実家に居るようなほっこりした空気感に惹かれ通う客も増えた。懐かしさのなかに独自の工夫がある誠実な料理も客を引き寄せる理由だ。
豚肉に蓮根を加えて食感を出す人気の焼売は、味付けは塩コショウに秘密の隠し味をほんの少し。噛みしめると豚肉の旨味が染み出す。酒に合う味を意識して、豆腐のみぞれ餡も、すっきりし過ぎず大豆の旨味がある『京豆腐 とようけ屋』のものを使う。
さまざまな料理を臨機応変に仕上げる様子を間近で見ることは、一体として同じ人形を作らない御所人形師にとっても刺激になる。
「私が父に連れられたように、息子たちも連れてきたいですねえ。いろんなことが学びになります。値ごろ感があってまた来たいと思う店は貴重です」と、伊東さんはこの店を薦める理由を教えてくれる。肩ひじ張らず、日々の料理に力を込める。そんな店の姿勢が、伊東さんの琴線に触れるのだろう。
イノウエ
京都市中京区下瓦町568
電話非公開
営業時間:17時~23時(22時30分最終注文)
定休日:月曜(臨時休業あり)
交通:阪急電鉄大宮駅から徒歩約3分、嵐電嵐山本線四条大宮駅より徒歩約4分。
※この記事は『サライ』本誌2023年10月号より転載しました。(取材・文/中井シノブ 撮影/伊藤 信)