はじめに-千姫とはどんな人物だったのか
千姫(せんひめ)は、徳川家康の3男・秀忠と江(ごう)の長女です。豊臣秀頼の元に嫁いだことで知られていますが、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、家康が目に入れても痛くないほどの最愛の孫娘(演:原菜乃華)として描かれます。
目次
はじめに-千姫とはどんな人物だったのか
千姫が生きた時代
千姫の足跡と主な出来事
まとめ
千姫が生きた時代
千姫が生まれた慶長2年(1597)は、豊臣秀吉が朝鮮への再派兵を決定した年です。また、翌年には秀吉が死去します。その死を目前にして、秀吉の子・秀頼と家康の孫・千姫の婚約が結ばれました。
千姫は、慶長2年(1597)に生まれ、寛文6年(1666)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
秀忠と江の長女として誕生
徳川家康の三男・秀忠と、浅井長政とお市の三女である江の長女として誕生した、千姫。慶長2年(1597)4月11日に伏見で生を受けました。翌慶長3年(1598)には病床にあった豊臣秀吉の子・秀頼と婚約が結ばれます。
豊臣秀頼と結婚
慶長3年(1598)に秀吉は死去しますが、秀頼と千姫の婚約は守られます。慶長8年(1603)7月28日、千姫は7歳で11歳の秀頼のもとに嫁ぎました。この際、伏見から大坂まで大久保忠隣(ただちか、大久保忠世の子)が千姫の乗輿に従ったといいます。このほか、黒田長政ら西国大名が警護し、浅野幸長(よしなが)が出迎えました。
【大坂冬の陣、そして夏の陣での脱出。次ページに続きます】