同じ年、家康は征夷大将軍に就任し、自己の地位を固めています。一方で、千姫の結婚は豊臣系大名と親戚関係となることで、豊臣氏恩顧の大名たちへの懐柔策とする、いわば婚姻政策でした。ちなみに、千姫と秀頼の間に、子はいません。
大坂冬の陣、そして夏の陣での脱出
大坂冬の陣・夏の陣では、祖父の家康が豊臣氏を攻めます。千姫は大坂城にこもっていましたが、元和元年(1615)落城の前夜脱出し、家康の陣営を経由して江戸に戻っています。
千姫脱出の背景には、「千姫を助けることで淀殿と秀頼の助命してもらおう」という豊臣方の目論見がありました。しかし、この目論見はうまくいかなかったのです。
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