京都ほど謎が多い都市はありません。それは京都が時代の流れに順応しながら再生し続けてきた都市だからです。京都を俯瞰して地形に注目すると、京都で起きたさまざまな出来事の理由や過去の町の痕跡が見えてきます。そこで、1200年続く京都の成り立ちから現代までの謎と秘密を「地形」や「地理」の観点から迫り、京都独特の歴史の謎を解き明かす書籍『カラー版 地形と地理でわかる京都の謎』(宝島社新書)から、平安京の謎をご紹介します。
文/青木康、古川順弘
平安京遷都(せんと)の3つの説
明治時代に東京奠都(てんと)が行われるまで、1000年以上にわたって日本の都であり続けた京都。そもそもヤマト王権が誕生したのは3世紀末から4世紀初頭の奈良盆地であり、以降、政治・文化の中心は奈良盆地だった。6世紀末には飛鳥(あすか)京、さらに694年には、日本で初めて、本格的な中国の条坊(じょうぼう)制を取り入れた藤原京が造営された。そして、710年には唐の長安を模して、壮麗な平城京が造営された。
ところが50代桓武(かんむ)天皇は、建国以来の土地を捨てて奈良盆地から京都盆地への遷都を強行する。延暦(えんりゃく)3年(784)には京都盆地南部に長岡京を造営、その10年後の延暦13年(794)には、京都盆地北部に平安京がつくられた。桓武天皇が奈良から京都へ都を遷した理由としては、主に3つの説がある。
ひとつ目の理由は、奈良において大きな権力を持つようになった仏教勢力を排除し、新たな政治を行うためだ。2つ目として、藤原京や平城京は、壬申(じんしん)の乱に勝利した40代天武(てんむ)天皇系によって造営された都だった点である。壬申の乱に敗れた側である38代天智(てんじ)天皇系の桓武天皇は、天武天皇系の勢力が多い奈良から離れようとしたというのだ。3つ目として、藤原家をはじめとする奈良を本拠地とした在来貴族の影響力を減少させるためである。いずれも一定の説得力があり、現在も議論が続けられている。
国内統治のために最適な地
この平安京遷都の謎を地形の観点から考えてみよう。日本初の王朝が奈良県で誕生した理由のひとつとして、大和川を通じて大坂湾へとつながる点が挙げられる。当時の海水面は低く、海岸線は現在よりも内陸にあった。そのため、河内(かわち)平野一帯は河内湖と呼ばれる潟湖(かたこ・ラグーン)となっており、天然の良港として機能していた。また奈良盆地は四方を山に囲まれており、安全保障上も絶好の地だった。この河内湖の港を発着点として、瀬戸内海航路を通じて、ヤマト王権は対外的な交流を行っていたのである。
初期のヤマト王権の時代は地方では依然として在地の豪族が統治を行っていた。奈良にあるヤマト王権はこれらの地方勢力の盟主的な立場だった。
一方、7世紀になると律令(りつりょう)制が整えられ、朝廷による日本各地への統治が急速に進められる。そのような中で、対外的な流通路だけでなく、国内的にも交通の利便性がある土地への遷都が求められた。太平洋側(瀬戸内海側)だけでなく、日本海側へのルートも確保する必要性があったのである。
日本列島を俯瞰(ふかん)して見てみよう。日本海側と太平洋側が最も近い場所は、福井県の敦賀(つるが)湾から愛知県の濃尾(のうび)平野までで、直線距離でわずか100キロほどだ。ところが濃尾平野は都に選ばれなかった。そこには、琵琶湖の存在がある。琵琶湖を水上交通路として用いた場合、日本海側と太平洋側を結ぶ最短のルートは滋賀県大津市から河内湾を結ぶ線である。この中間地点にあるのが、まさに京都盆地なのである。
京都盆地南部には、昭和初期まで巨椋(おぐら)池があり、琵琶湖へとつながる宇治(うじ)川、河内湾へとつながる桂(かつら)川、旧都・奈良へとつながる木津(きづ)川が合流していた。巨椋池は、太平洋側、日本海側、旧都のすべてを網羅する水上交通の中心地だったのである。そのため、桓武天皇はこの巨椋池の近くに長岡京を造営した。
ところが3つの河川が合流するこの地は水害の多発地帯でもあった。長岡京が廃都となった理由のひとつに怨霊(おんりょう)による疫病や災害が挙げられるが、水はけの悪いこの地は都には適さなかったのである。この長岡京から3キロ北には、良質の井戸水が採取でき、水はけの良い扇状地が広がっている。そここそが平安京が造営された地だ。平安京は、国内統治上の最適な地理的条件と、水害が少ない扇状地の高台という条件を併せ持った地なのである。
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『カラー版 地形と地理でわかる京都の謎』(青木康、古川順弘 著)
宝島社新書
青木康(あおき・やすし)
埼玉県生まれ。学習院大学法学部卒業。神社専門編集プロダクション・杜出版株式会社代表取締役。全国の神社を巡り、地域ごとに特色ある神社の信仰や歴史学の観点から神社を研究、執筆活動を行う。主な編書に『完全保存版! 伊勢神宮のすべて』『歴史と起源を完全解説 日本の神様』『カラー版 日本の神様 100選』『日本の神社 100選 一度は訪れたい古代史の舞台ガイド』(いずれも宝島社)などがある。
古川順弘(ふるかわ・のぶひろ)
神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。宗教・歴史分野をメインとする編集者・文筆家。著書に『古代豪族の興亡に秘められたヤマト王権の謎』(宝島社新書)、『仏像破壊の日本史』(宝島社新書)、『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀監修、宝島社新書)、『人物でわかる日本書紀』(山川出版社)、『古代神宝の謎』(二見書房)、『物語と挿絵で楽しむ聖書』(ナツメ社)、『古事記と王権の呪術』(コスモス・ライブラリー)などがある。