もっと「漫画家と作品の息吹に触れる旅」
『サライ』9月号の大特集は、「日本漫画は大人の教養」。本誌特集では誌面に収まり切らなかったエピソードや情報を紹介する。
取材・文/山内貴範 写真/宮地工
満賀道雄と才野茂のふたりが、漫画家を目指す――漫画に情熱を傾ける若者の成長物語である『まんが道』(作/藤子不二雄(A))は、漫画家にもファンが多い名作だ。漫画家の江口寿史さんは、この作品を“座右の書”と語る。
「『まんが道』は、僕が大好きな漫画の“ベスト5”に入る名作です。近年刊行された復刻版にも、解説文を寄稿しました。漫画を描いていると、締め切り前に辛い思いをしたり、アイディアが浮かばなかったりして、苦しくなることがあります。そんなときは、『まんが道』のページをめくります。ひたむきに漫画に打ち込む満賀と才野の姿を見ると、漫画を描き始めた頃の、自分の初期衝動を再確認できるんですよ」
江口さんは『まんが道』を何度でも読み返せるように、本棚の一番取りやすい場所に置いてあるそうだ。作品の見どころはどんなところにあるのだろう。
「まず、リアリティがある点が挙げられます。出版社から支払われた原稿料の金額や、手塚先生に送った手紙、トキワ荘の家賃まで細かく描かれています。高岡駅を出てSLで上野駅へ上京する場面は何度も出てきますが、毎回、ページをじっくり使って丁寧に描かれているんです。こうしたリアルな描写のおかげで、読者は自然と満賀に感情移入してしまい、緊張感をもちながら読むことができるんですよね」
また、『まんが道』には印象的な女性キャラクターが数多く登場する。美人画に定評のある江口さんも、「とにかく藤子不二雄(A)先生が描く女の子はかわいい!」と絶賛する。印象に残っている場面を聞いてみた。
「新聞社勤めをしていた満賀に、初めてできた部下が竹葉美子さんです。竹葉さんと一緒に高岡の町をデートする場面は、満賀の初々しさが溢れていて好きです。また、編集者の小村さんも好きなキャラクターで、彼女がトキワ荘で手料理を振舞ってくれている場面がいいですね。ドキドキしながら料理を味わう満賀と才野の、嬉しそうな表情がたまらなくいい。キャラクターの心情を描くのが、藤子不二雄(A)先生は本当に上手いんですよ」
実体験で感じた、原稿を落とすことの重み
江口さんが『まんが道』でもっとも身につまされると語る場面は、後半にある。満賀と才野がトキワ荘でともに生活しながら、漫画家として数々の仕事を獲得し、前途洋々とおもわれたさなかで高岡に帰省した場面だ。
久しぶりの故郷で緊張の糸が切れたふたりは、原稿が描けなくなってしまい、出版社からの催促の電報が次々に届く。ここにも、『まんが道』ならではのリアルな描写が見られると、江口さんが言う。
「電報の文面は、実際に送られたものをほとんどそのまま使っています。催促の電報なんて見るのも辛いし、捨てたくなると思うんですよ。でも、藤子不二雄(A)先生は保存しておいたのでしょうね。藤子不二雄(A)先生はとても几帳面な性格だったのでしょうね。先生の物持ちの良さのおかげで、ここまでリアルに描けた作品だと思います」
結果、ふたりは高岡にいる間、ほとんどの原稿を落としてしまった。
「オクルニオヨバズ」と記された電報から、盛者必衰の無常さが感じられる。江口さんは自らの漫画家生活と重ね合わせ、この場面は戒めとして心に刻んでいるという。
それは、『週刊少年ジャンプ』に連載中で、人気が絶頂だった『ストップ!!ひばりくん!』の原稿が描けなくなってしまい、仕事場から逃亡したことがあるためだ。ホテルに滞在している間に、締め切りの日はとっくに過ぎてしまった。翌朝、仕事場に戻った時のことは今でも鮮明に覚えていると話す。
「『まんが道』では、ある日を境に電報がぱたっと来なくなる。僕の場合も、仕事場に来ていた編集者からの催促の電話が、ぱったりと止まっていてね。仕事場のドアを開けると、仕事場がシーンと静まり返っているんですよね。あのとき、『高岡のあの場面は、これだったのか!』と一人で納得してしまいました。図らずも、満賀の追体験をしてしまいましたね」
初心にかえって繰り返し読みたい名作
満賀と才野は手痛い失敗によって、一度は漫画家を辞めようと思った。しかし、トキワ荘に戻り、寺田ヒロオの叱責と励ましを受けて立ち直ることができた。
江口さんも一度は落ち込んだが、本宮ひろ志さんらの激励があって再起を果たす。その後も江口さんは数多くの漫画やイラストを生み出し続け、人気を博している。この夏は「岩手県立美術館」で個展が開催されている(2022年9月4日まで)。
波乱万丈だった江口さんの“まんが道”の傍らには、常に『まんが道』があったのだ。
「『まんが道』の最大の魅力は、好きなことに懸命に打ち込むことが、どんなに楽しく、幸せであるのかを実感できる点にあります。満賀と才野の純粋な姿を見ると、心が洗われます。ふたりはずっと、手塚先生に尊敬の想いを抱き続けているんですよ。実際は年齢差が数歳しか離れていないのに、人気漫画家になってからも、手塚先生、手塚先生と慕い続けた。手塚先生という大きな目標があったことが、『まんが道』を歩み続ける原動力になったのだと思います」