
(提供:嵯峨嵐山文華館)
後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)は本名は藤原良経(ふじわらのよしつね)。平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した公卿であり、歌人です。父は関白・九条兼実、祖父は藤原忠通、叔父は慈円という名門に生まれ、兄の死を経て九条家を継ぎました。若くして摂政・太政大臣に上り詰める一方、和歌・漢詩・書道に秀でた早熟の天才でもありました。
藤原俊成から和歌を学び、『新古今和歌集』の仮名序を執筆し、御子左家を後援するなど文化面でも多大な功績を残します。政変による失脚や復帰を経て、38歳で急逝。死因は暗殺説や病死説がありますが、その繊細な歌風と「後京極流」と呼ばれる書跡は、今も高く評価されています。
後京極摂政前太政大臣の百人一首「きりぎりす~」の全文と現代語訳
きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
【現代語訳】
こおろぎが鳴いている、霜が降りるほど寒い夜のむしろの上で、衣の片方の袖を自分で敷いて、私は(愛しい人がいないまま)ひとり寂しく寝るのだろうか。
『小倉百人一首』91番、『新古今和歌集』518番に収められています。「きりぎりす」はこおろぎを指します。夏の終わりから初冬にかけて鳴くことから、季節の移ろいを象徴する存在です。秋が深まり、やがて冬へと向かう、その転換点にあるコオロギの鳴き声は、時間の経過と季節の無情さを暗に示しています。
「霜夜」は霜が降りるほどの寒い夜。ここで注目すべきは「さむしろに」という表現です。「さむしろ」は掛詞となっており、二つの意味を持っています。一つは「筵」(むしろ)で、イグサや藁で編んだ簡素で粗末な敷物。もう一つは「寒しろ」で、「寒い場所」を示す言葉です。この一語に、物質的な貧しさと精神的な寒々しさの両方が込められているのです。
最も重要な表現が「衣かたしき」です。「かたしき」は「片敷き」と書きます。平安時代、男女が共に寝るときは、互いの着物の袖を重ねて敷き、それを枕にするというならわしがありました。二人の衣が重なることで、共に寝る喜びと親密さが表現されたのです。ところが、ひとりで寝るときには、自分の着物の片袖だけを敷くほかありません。後京極摂政前太政大臣がこの歌を詠んだのは、妻を亡くしたあとのことだと考えられています。この片方だけの袖という情景が、深い孤独と悲しみを表現しているのです。
この歌は、二つの有名な先行歌を踏まえた「本歌取り」で詠まれているのが特徴です。本歌取りとは、有名な古い和歌を取り入れ、その言葉や世界観を引き継ぎながら新しい歌を詠む技法です。新古今時代の高度な作歌法として、歌人たちに珍重されました。
一首目は『古今和歌集』689番の「さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」、二首目は百人一首3番柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」です。
これら二首は、いずれも恋人に逢えない悲しみ、恋人を失った孤独を詠んだ歌です。後京極摂政前太政大臣は、これらの古典の言葉を巧みに組み合わせながら、自らの妻喪失の悲しみを表現しました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
後京極摂政前太政大臣が詠んだ有名な和歌は?
歌人として名をはせた、後京極摂政前太政大臣の他の歌を紹介します。

み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春は来にけり
【現代語訳】
吉野は山までもかすんで、昨日までの白雪の降り積もっていた里に春は来たことだなあ
『新古今和歌集』の巻頭を飾った春の部の名歌です。春の霞が吉野山にかかっているのを見て、春の到来を知るという情景を詠んだものです。
後京極摂政前太政大臣、ゆかりの地
後京極摂政前太政大臣ゆかりの地を紹介します。
東福寺
京都市東山区にある東福寺奥にある最勝金剛院には、父である九条兼実が眠っています。
最後に
「きりぎりす~」は、単なる失恋や独り寝の歌ではありません。
華やかな地位にありながら、ふとした瞬間に訪れる絶対的な孤独。それは、現代社会で忙しく過ごす私たち、あるいは人生の様々な経験を経て静かな時間を過ごすようになったサライ世代の皆様にとっても、どこか共感できる感情ではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











