八角墳とは「中国の思想を取り入れつつ、独自に創造された新形式の天皇陵です」
八角墳|牽牛子塚(けんごしづか)古墳
丘陵に白く輝く八角墳は真の斉明陵か

近鉄線飛鳥駅から長閑(のどか)な田園風景の中を歩いてゆくと、丘陵の上に白く輝く古墳が見えてきた。令和4年に復元された牽牛子塚(けんごしづか)古墳だ。その姿は八角形をしている。
相原さんが語る。
「蘇我氏が大きな方墳を採用する一方、天皇は自らの権威の強化を求めて新たな形の古墳を模索するようになります。そこで創り出されたのが八角墳(はっかくふん)です。道教などの中国の思想で、八方とは国土全域を示します。国土全域を治める象徴として、八角形が天皇陵に取り入れられたのでしょう」
牽牛子塚古墳は八角墳などの特徴から天皇陵と目されている。30~40歳代の女性の歯が出土したことから、被葬者は斉明天皇(594~661)とその娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)という説が有力だ。
「見晴らしがいいでしょう。飛鳥の各地からこの古墳は見えたと思います。まさに飛鳥のランドマークといえる古墳です」

写真/明日香村教育委員会
牽牛子塚(けんごしづか)古墳
高市郡明日香村越
電話:0744・54・5600(明日香村教育委員会文化財課)
見学自由 石室の見学は明日香村の観光ポータルサイトで要予約(https://asukamura.com/topics/3685/)
交通:近鉄線飛鳥駅から徒歩約10分
八角墳|中尾山古墳
火葬された被葬者は文武天皇の可能性大

八角墳の最終形態へ
「同じ八角墳でも、全体が石造りではなく、頂部だけ土造りの八角墳もあります。まるで、石造りの土台の上にプリンを載せたような形です。古墳に対する考え方が変わり、仏教のストゥーパ(※古代インドで築造された、丸く土を盛上げた墳墓)を模したのでしょう」
そう話しながら相原さんが案内してくれたのは中尾山古墳。盛土(もりど)の多くが失われ、現在は八角形に見えないが、周囲に八角の角(かど)を示す石が設置してあるので規模がわかりやすい。築造時期は牽牛子塚古墳よりも新しく、最末期の古墳とされる。
「発掘調査によって、埋葬施設の大きさは一辺約90cm四方と判明しています。遺骸を横たえる広さではない。ここには火葬骨を納めた蔵骨器が安置されたのです」
『日本書紀』などの記述から、火葬された文武(もんむ)天皇(683~707)がここに葬られた可能性が高いと相原さんは言う。

写真/明日香村教育委員会

中尾山古墳
高市郡明日香村平田
電話:0744・54・5600(明日香村教育委員会文化財課)
見学自由
交通:近鉄線飛鳥駅から徒歩約15分
案内人 相原嘉之さん(奈良大学教授・58歳)

昭和42年、大阪府生まれ。奈良大学文学部文化財学科卒業。奈良国立文化財研究所、滋賀県文化財保護協会、明日香村教育委員会文化財課課長などを経て現職。近著に『飛鳥・藤原京と古代国家形成』。
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取材・文/藪内成基 写真/奥田高文

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