文/印南敦史
幼少時の記憶をたぐり寄せると、さまざまな映像とともに蘇ってくるのはラジオの音だ。物心ついたころにはすでに、家のなかではいつもラジオが聞こえていたからだ。
いや、厳密にいえばそれだけではなかった。
当時はよく、夕方におつかいを頼まれた。そして、たとえば近所の豆腐屋へ行ったりすると、ひんやりとした店先にラジオが流れていることに気づいた。帰り道、路地を歩いていると、どこかからまたラジオの音が聞こえてきた。そこにトントントンと包丁の音が絡みついたりもしたので、夕食の支度をしながらラジオを聞いているんだなと容易に想像できたものだ。
そして家に戻ると、さっき豆腐屋や路地で聞いたのと同じラジオ番組が流れていた。それは、のちに「若山弦蔵の東京ダイヤル954」と改名された「おつかれさま5時です」という番組だった。
こうしたエピソードからもわかるように、あのころ耳に飛び込んできた番組の大半はTBSラジオだった。これはTBSラジオの記事広告ではないし、私の周辺がたまたまそういう状況だっただけかもしれない。もちろん、他局の番組だって聞いてはいたのだ。だが、TBSラジオは圧倒的に近い位置にあった。
と書いて思い出したが、幼稚園に通っていたころは夕方の「全国こども電話相談室」によく電話をかけていて、何度か番組にも出た(ひとつだけ覚えているのは、あるとき「地球はどうしてできたんですか?」という質問をしたことだ)。
以後についても同じだ。眠れないまま迎えてしまった朝に聞こえてきた『三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!』から、現在も続く『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』まで、思い出深い番組も多い。だから、2007年ごろに『ストリーム』という番組に出していただけることになったときにはとても感慨深かった。
などと余計なことを書き連ねたくなってくるほど、TBSラジオには思い入れが大きいのである。したがって昨年末に刊行された『開局70周年記念 TBSラジオ公式読本』(武田砂鉄 編、リトルモア)も非常に興味深く読めたし、ロングヒットしているという話を数か月前に聞いたときにも納得できたものだ。
中心となっているのは、自身も『アシタノカレッジ』金曜日パーソナリティを務める武田砂鉄氏によるパーソナリティへのインタビュー。生島ヒロシ、森本毅郎・遠藤泰子、ジェーン・スー、赤江珠緒、荻上チキ、宇多丸、大沢悠里、爆笑問題、毒蝮三太夫などなど、番組を通じて数々の逸話を生み出しきた人々が、さまざまな思いを明かしている。
なにしろ70年もの歴史があるのだから、懐かしく感じる人もいれば馴染みの薄い人もいることだろう。それは私も同じだが、そんななかで感銘を受けたのは、長年にわたって絶妙のコンビネーションを見せつけてくださった大沢悠里さんと毒蝮三太夫さんの話だ。たとえば大沢さんは、次のように語っている。
テレビって、どうしても「お前らに教えてやるよ」みたいな感じになるでしょう。そうすると、視聴者も「そうですか、見させていただきます」になっちゃう。でもラジオはさ、政治の話も夫婦喧嘩の話も恋でフラれたって話も、それぞれがニュースで、同じ扱いなんだよ。昔、僕、同期と喧嘩したことがあるのね。ちょうどベトナム戦争の頃、相手は、ベトナム戦争の報道を担当していて、一方で僕は西郷輝彦のデビューの話をしていた。「ベトナム扱ってるニュースのほうが偉いんだ」なんて話になってさ、「そういうもんじゃないだろ」って返したね。「人情・愛情・みな情報」、ホッとするじゃないですか。(本書189ページより)
そういえば、強く意識したことはなかったものの、「人情・愛情・みな情報」というフレーズはいつの間にやら記憶の片隅に残り続けていた。たしかにラジオの本質は、そこにあるのかもしれない。
思いやり、やさしさです。それこそ「人情・愛情・みな情報」なんだよね。聴いてる人の立場で考えてやらなきゃいけない。いろんな立場の人がいるからさ。身体の不自由な人もいる。不自由にしたって、色々とあるでしょう。テレビってどうしても、元気な人が前提になるでしょう。でも、ラジオは違う。聴いている光景を思い浮かべるわけ。作物を収穫している農家の人、ミシンを踏んでる人、お豆腐を作ってる人。働きながら聴いている人が多いじゃないですか。一時期、10時台は、テレビを見ている人より『ゆうゆうワイド』を聴いてる人のほうが多いっていう時代もありました。(本書197ページより)
これはまさに、先に触れた私の経験とも重なる部分だ。だからこそ、これこそがラジオの本質なのだと強く共感できる。「ババア元気だな」など“愛情を前提とした毒舌”で知られる毒蝮さんも、「ラジオは心の放送なんだよ」と話す。だから、ビシッとよそ行きになってしまってはいけないのだと。
横丁を覗くと、普段はカッコつけている女将がさ、割烹着着て火をおこしたりなんかしてたんだよ。ラジオってこの感じ。俺は声が良いわけじゃない、仕切りが上手いわけじゃない。俺より上手くできるやつはたくさんいるわけよ。大沢悠里ちゃんともよくやったけどさ、あれまた、意地悪して、途中で切っちゃうんだよ(笑)。でも、俺が言いたいように言ったことを、いろんな人がフォローして、俺を上手く包装紙に包んでくれて、商いにしてくれてたんじゃないかな。(本書276ページより)
たしかに『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』では、毒蝮さんが話している途中で、大沢さんが「曲に行きましょう」と話を遮ってしてしまうことがよくあった。しかし、それすら笑うことができたのは、裏側に太い信頼関係があったからにほかならないだろう。
いずれにしても、人生のどこかでTBSラジオを聞いた経験がある人であれば、間違いなく楽しむことができる一冊。読み終えたときには、なんらかの番組の思い出とともに、これまでの人生の一場面がクローズアップされることになるかもしれない。
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。