「今日という日は、これまでの積み重ねの結果」
「人生の折り返し地点をすぎて、これからの人生の時間は、これまでの人生よりも短いかもしれない」
「チャンスも限られてくる」
ふと、そんなことを思うと、静かな気持ちになる一方で、なんだか、ざわざわとしてもまいります。時間があっという間に過ぎることは、もうわかっています。歳を重ねながらできないことも少しずつ増えていく中、自分の人生の締めくくりの時期をどのように過ごしていくのが良いか、迷いが生じる時がありませんか?
アメリカの教育家・社会福祉事業家のヘレン・ケラーの言葉に、次のような言葉があります。
Life is either a daring adventure or nothing.
『The Open Door』 (1957) by Helen Keller
この言葉を次のように解釈してみました。
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
皆様もこの言葉の解釈について、ご自身なりに考えてみられるのも面白いかもしれません。
一つ一つの単語の意味を見てみると、「Life」は「生命・生活・人生・物の命・生気、活力」、「daring」は、「大胆な・勇気の要る・恐れを知らぬ・向こう見ずな・斬新な・衝撃的な・思い切った」、「adventure」は、「珍しい・思いがけない出来事・珍事・冒険に加わること・冒険心」などの意味がある言葉。単語一つ一つを吟味しても気づきが得られます。
ここでは、「Life」を「人生」ととらえて、「a daring adventure」を「勇気を持って挑む」と訳すことに。「思い切った冒険心」で活動する気概を持ちたいものですが、若い頃のように気概と勢いだけでは続かないので、当たり前の覚悟で「勇気を持って挑む」のが等身大でしっくりくるような気がいたしました。
「nothing」は文字通り、「何も…ない、少しも…(し)ない」との意味ですが、人生において「何もない」のは、結局のところ、折角の人生を「棒にふる」ことではないかとも思えるのです。
安定した生活を優先するあまり、日々の忙しさの中で自分の本心に気づくことなく、「家族や会社のため」を理由に状況に甘んじていることも多々あります。思いもかけず、うまくいかない事態に見舞われると、「こんなはずじゃなかった」「人生を棒に振ってしまった」「本当にこれでよかったのか?」などの気持ちがむくむくと湧きかねません。そんな時こそ、勇気を持って考えてみたい言葉です。
※ことばの解釈は、あくまでも編集部における独自の解釈です。
ヘレン・ケラーの人生
ヘレン・ケラー(Helen Adams Keller・1880~1968)は、1歳7か月で原因不明の高熱と腹痛におそわれます。医師と家族の懸命な治療で一命は取り留めたものの、2歳の時に「見えない、聞こえない、しゃべれない」状態になりました。少女時代のヘレン・ケラーが家庭教師アニー・サリバンとの出会いによって、言葉と人間性を獲得する姿を描いた戯曲『奇跡の人』は、世界中の人が知る物語です。
成長したヘレン・ケラーは、障害を乗り越えて大学を卒業。教育家、社会福祉活動家、著作家として世界各地を歴訪、身体障害者の教育・福祉に尽くします。平和論者としても知られ、第一次世界大戦以後は社会事業を唱え運動にも参加。アメリカの大戦参加に反対したため、窮境に立たされたこともあったと言われています。
ヘレン・ケラーは、日本にも3度訪問。初来日は1937年(昭和12年)56歳の時。1948年(昭和23年・68歳)の2度目の訪日では2か月滞在し、全国で講演活動を行なっています。75歳でサリヴァンの伝記『先生』を出版、その後3度目の訪日も果たしています。
***
ヘレン・ケラーは、重い障害を背負いながらも、60歳・70歳を超えても、世界各地を歴訪し、生涯、精力的な活動をし続けました。ヘレン・ケラーの生き方を知ると、年齢や困難を理由に挑戦を避けることが恥ずかしくなります。
「幾つになっても勇気を持って行動すること。そこから人生が始まる。でなければ、人生を棒に振ってしまうことになる」。気持ちが後ろ向きになっているときに、前を向かせてくれるような名言ではないでしょうか。
肖像画・アニメーション/もぱ・鈴木菜々絵(京都メディアライン)
文/奈上水香(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com
Facebook