この数年のコロナ禍や、IT技術の進歩で社会は大きく移り変わっています。年を重ねるにつれて、先行きにも不安を感じるのが正直なところではないでしょうか。業績不振で会社の方針が変わり、長年、会社に貢献した人のリストラや、思うような仕事での再雇用先が見つからない状況など、想定外のことが誰にも起こりえます。そんな中で「世の中から必要とされる人間」とはどんな人なのでしょうか?

例えば、江戸から明治に時代が変わった明治維新。それまでは身分や収入が保障されていた武士の多くが仕事を失いました。時代が変わり、求められる考え方や能力に対応できない士族たちの姿は、なんだか今の時代の私たちに通じるような気がいたしませんか?

特に、江戸時代中期以降は、身分制の影響もあり「算術は武士にとっては卑しいもの」という見方があったせいか、上級の武士は算術を学ぶことはありませんでした。しかし、江戸時代の初期に「算用を知らないと、全てにおいてうまくいかない。常に心がけておくこと」という名言を、息子に遺訓として残した戦国武将がいます。

築城の名手としても知られる藤堂高虎です。豊臣秀吉より藤堂高虎が拝領したウサギの耳のような変わり兜「黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)」の姿で、ご存知の方もおられるかもしれません。

寛永2年(1625)、高虎が息子の高次に残した「太祖遺訓十九条」にある、十六か条目の言葉です。

算用の道知らざるものは諸事に付け悪しき事に候、常に心懸申すべく候事
「高山公実録」より

算用、経済の運用の大事さを述べた言葉です。藤堂高虎は、75年の人生の中で、何度も主君を変えたことで知られる戦国武将です。特に、豊臣秀吉に仕えながら、徳川家康の信用を得て、最終的には徳川幕府で32万石の大名となったことから、後世では「裏切り者」「風見鶏」などと揶揄されることもあります。

しかし、高虎はどの主君に対しても裏切ったり、謀反を起こしたりといったやり方で離反した訳ではありません。戦国時代の不安定な世の中で、安住することなく、常に自分の能力を磨き続けました。敵味方問わず、秀吉や家康のような天下人から求められ、自分が選び、選ばれた主君には真摯に応える人生を送った人ともいえます。

何人もの主君に仕えた、高虎の処世術とは?

高虎が支えた主君は、浅井長政、阿閉貞征、磯野員昌、織田信澄、木下秀長、木下秀保、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光です。高虎の転機となったのは、5人目の主君・豊臣秀吉の弟であった木下秀長に仕えた時。秀長は経済のスペシャリストとして、秀吉を支えた武将です。

そのもとで高虎は経済面にも通じるようになり、家老に抜擢されるほどに出世を遂げます。主君・秀長が紀伊、和泉などの百万石の大名になると、国を治める拠点となる大和郡山城の改修、紀州和歌山城の築城にあたり、築城術も身につけてゆくのです。

加藤清正・黒田官兵衛と共に築城の名手であった高虎

藤堂高虎は、加藤清正・黒田官兵衛と共に築城名人として知られる人物。築城や改修に携わった城は、20城近く。大和郡山城、猿岡城、伏見城、宇和島城、大洲城、膳所城、甘崎城、今治城、江戸城、津城、伊賀上野城、篠山城、丹波亀山城、二条城、和歌山城、大坂城、淀城など。

特に、城の設計図で防御を決める重要な「縄張り」を幾度も担当。はじめから築城の知識があった訳はなく、藤堂高虎に転機を与えたのが、自分を生かしてくれる主君・豊臣秀長に出会うことができた運と自身の努力の結果でした。

戦国時代において天下が統一されるに従い、求められる人材が従来の戦場の武功で活躍するタイプの武将から、経済や築城術など、総合的な力を持った人材に変化していったことが、高虎の生き方にあっていたと考えられます。高虎は時代の変革期において、自己研鑽を続けた結果、余人をもって変え難い能力を獲得したのです。

その時々の成功や周囲の環境に安住することなく、生き抜く姿勢を失わない姿は、不安定な世の中を生きる、今の私たちも見習うべきところがあるような気がいたしませんか? また、高虎は、藤堂家から去ろうとする家臣に対して、無理に引きとめることはせず、「もしも戻りたいと思ったときは、同じ待遇で受け入れるからいつでも戻って来るといい」と言い、実際にそれを実行した逸話があります。

高虎は家臣の覚悟と選択を尊重する姿勢と配慮を徹底することで、主君からも家臣からも厚い信頼を得た義理堅い人物だったのでしょう。今の時代こそ、このような企業の経営者や社員の信頼関係が求められているような気もいたします。

※ことばの解釈は、あくまでも編集部における独自の解釈です。

藤堂高虎公(津城・お城公園内)

***

徳川家康が臨終の際、「われ来世において、権現となろう。天海と藤堂高虎は長くわれの左右にあって徳川家の守護となれ」と語ったほど、高虎は家康の信を受けました。また、「わしが死んだら、来世では会うことができないだろう。宗派が違うから」といわれたことを受けて、高虎はその場で日蓮宗から家康の宗派である天台宗に改宗した逸話もあります。東照宮の奥社の塔の中、東照大権現の左には高虎像が安置されています。

一方、豊臣家が滅亡し、大和郡山にあった秀長の菩提寺・大光寺が取り潰されそうになると、高虎は大徳寺境内に移します。高虎の秀長に対する深い愛情と義理堅さがわかります。

高虎は風見鶏などと揶揄されますが、「会社」ではなく「人」に仕えた人なのかもしれません。自分の研鑽で人生を切り拓いた高虎。異なる主君のもとで仕えるということは、信頼関係を作り、成果を出すまでの苦労もあったに違いありません。

世の中に必要とされる人間とは、時代変化に適応し、必要とされる能力を身につけて貢献する人のことではないでしょうか。それは、藤堂高虎の遺訓や逸話にヒントがあるように思います。

あなたが世の中にとって必要な人間であるために、今どのようなことをしたらいいのか、改めて考えてみてはいかがでしょうか?

肖像画・アニメーション/もぱ・鈴木菜々絵(京都メディアライン)
文/奈上水香(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

引用・参考図書
『名将名言録』火坂雅志/角川学芸出版
『武士の一言』火坂雅志/朝日新聞出版
『津市役所ホームページ 藤堂高虎』https://www.info.city.tsu.mie.jp/www/contents/1001000011143/index.html

 

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