人生という舞台の主人公は「自分」。「一度限りの人生、自分の思い通りに悔いなく生きよう」などと、今の社会は老いも若きも「自己実現」に一所懸命な人が多いですね。自分が主体的に何かをやらなくては、人としての存在価値すら薄らいでしまいそうな気になってしまうこともあるかもしれません。
経済的な不自由や、身内との人間関係がうまくいかない時のもやもやした気持ちは、すぐには晴れないものです。不意に何かしら、がんじがらめになりそうな時に唱えてほしい言葉を、「独眼竜」と呼ばれた戦国武将・伊達政宗が残しておりますので、ご紹介しましょう。
この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
伊達政宗「五常訓」(「貞山政宗公遺訓」「仙台黄門政宗卿遺訓」)より
「この世に客に来た」。こんなふうに考えてみると、思い通りにいかないことがあっても、百歩譲って受け入れられる気がいたしませんか? 物事を自分主体で考えすぎると、思い通りにいかないことに対して、怒りや焦り、傲慢さが生まれてしまいがち。むしろ、客として「自分を迎えてくれている」と考えれば、この世に感謝の気持ちすら湧いてまいります。また、訪問者として礼儀を尽くした振る舞いがとれそうです。
その背景にあるのは、自分を迎え入れてくれる人や社会や自然があってこその自分なのだ、と考えることができるからではないでしょうか。
この言葉の前後には、さらに魅力的な言葉が連ねられていますので、下記にご紹介いたします。
仁に過れば弱くなる。
義に過れば固くなる。
礼に過れば諂(へつら)いとなる。
智に過れば嘘をつく。
信に過れば損をする。氣長く心穏かにして、萬(よろず)に儉約を用て金銭を備ふべし。
伊達政宗「五常訓」(「貞山政宗公遺訓」「仙台黄門政宗卿遺訓」)
儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
この世に客に來たと思へば何の苦もなし。
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。
元來客の身なれば好嫌は申されまじ。
今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇申すがよし。
「五常訓」の五常とは前段の「仁・義・礼・智・信」のこと。バランスを取ることの大切さが説かれています。
「倹約も不自由を忍ぶ」とあり、「この世」への執着をあまり感じさせない表現です。例えば、食事が美味しくなくても、「そもそも客なのだから、褒めていただいて好き嫌いを言わないこと」というのも興味深い考え方ですね。すべてに感謝をするということでしょうか。なかなかできそうにはありませんが、つい不自由さを感じる時に思い出してみると効果がありそうです。
人は縁あって、同じ時代にこの世で客人として生き、そしてまた去ってゆきます。時代はそうして流れていると考えると、なんだか気持ちが晴れ晴れしてくるようです。不自由でどうしようもない時、苦しい時は「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」と唱えてみれば、安らかに現実に向き合うことができそうな「心磨く名言」ではないでしょうか。
※ことばの解釈は、あくまでも編集部における独自の解釈です。
伊達政宗の人生
伊達政宗は、戦国末期の安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。米沢城主であり、のちの仙台城主です。米沢城主・伊達輝宗と正室の義姫(よしひめ)との間に永禄10年(1567)に誕生し、幼名は梵天丸(ぼんてんまる)でした。幼少のころに疱瘡(天然痘)の毒が入って、右目を失明したと伝えられています。
一命はとりとめたものの片目となり、そのことを理由に強い劣等感を持っていたようです。父・輝宗は、美濃(岐阜県)の名僧、虎哉宗乙(こさいそういつ)を梵天丸の学芸の師として招き入れます。梵天丸は虎哉から仏教、漢学、文学など多くの教養を身に付けます。
11歳で元服し、13歳で隣国の田村氏の娘・愛姫(めごひめ)と結婚。俳優の渡辺謙さんが伊達政宗を演じた大河ドラマ『独眼竜政宗』では、この少女時代の愛姫を女優の後藤久美子さんが演じて、その美しさが大変話題になったことが記憶にあるという方も少なくないのではないでしょうか。
元服して政宗を名乗り伊達家の家督を継ぐ頃には、伊達家の当主として見事に成長。東北最強の戦国武将「独眼竜」政宗として、多くの武将から一目置かれる存在に。現在の福島県、山形県置賜郡、宮城県、岩手県南部にわたる広大な勢力圏を築きあげます。
23歳の時、小田原合戦での遅参について、秀吉に死装束で弁明を行い、千利休に茶の湯の手ほどきを申し入れたことで、秀吉に気に入られるという逸話も残されています。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にも出陣。出兵に際して政宗は、黒漆五枚胴具足(くろうるしごまいどうぐそく)の上に、黒地に金色の線が放射状にあしらわれた黒羅紗地裾緋羅紗山形陣羽織(くろらしゃじすそひらしゃやまがたじんばおり)を纏って行軍。
政宗だけでなく、家臣の足軽たちの装束も派手で艶やか、馬鞍に敷かれた毛皮も豹や虎の皮などであったため、行軍を見た京都の人々の間では、政宗の話題で持ちきりに。伊達政宗が“伊達物”たる所以です。その後、政宗は関ヶ原の戦い・大坂の陣では徳川方につき、徳川家康が江戸幕府を開くと伊達62万石の初代藩主として、現在の仙台の礎を築きます。寛永13年(1636)、死去。享年68歳でした。
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実は、この「伊達政宗五常訓」は、俗説で政宗が残したものではないとする説があります。同時に「日本三大遺訓」の一つとして愛好されてもいます。あとの2つの遺訓は「徳川家康公遺訓」と「水戸光圀公遺訓」です。
幾年月を経ても多くの人の心をとらえ魅了する伊達政宗の存在のように、「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」の言葉はがんじがらめになった心を解放してくれる魅力に満ちた言葉です。今回の心磨く名言は、皆さんの心にどのように響きましたでしょうか。
肖像画・アニメーション/もぱ・鈴木菜々絵(京都メディアライン)
文/奈上水香(京都メディアライン)
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