岸田文雄首相が、初の施政方針演説の中で引用して話題になった、江戸時代の武士(幕臣)で明治の政治家・勝海舟の名言「行蔵(こうぞう)は我に存す」。内閣総理大臣就任後、山積する課題に対して「決断の責任は、自分が全て負う覚悟で取り組んできた」との矜持をこの言葉に込めたように感じられます。「心磨く名言」第七回は、令和の政治家にも影響を与えた勝海舟の名言を取り上げてみましょう。

実は、この名言には、勝海舟が福沢諭吉にあてた手紙の一節で、続きがあることをご存知でしょうか。名言は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」。つまり「出処と進退は自分が決めること、悪口と称賛は他人の主張で、私には関係のないこと」といった意味です。

福沢諭吉は、明治25年(1892)、明治維新後の勝海舟と榎本武揚を批判する「瘠我慢(やせがまん)の説」と題した草稿を二人に送り、返答を求めています。福沢諭吉は、勝海舟と榎本武揚が元々は幕府側で重要な役職にいたにもかかわらず、明治政府の要職についたことを武士道の精神に反する振る舞いとして痛烈に批判。明治34年(1901)、この「瘠我慢の説」は福沢諭吉が主催する「時事新報」で公表され、多くの議論を巻きおこしました。

事前に内容についての返答を求められた勝海舟は、「自分の出処進退は自分が決める」ので、「ご自由にどうぞ」と福沢諭吉に返信したわけです。世間に公表されれば「炎上」必須の内容を突きつけられ、反論も弁明もせず、他人の主張は主張として、我が道をいく態度を見せた勝海舟の胆力と器の大きさを感じさせる言葉です。自分と対立する人間への処し方、余裕すら感じさせる一線の画し方は、なかなか真似できることではありません。

そして、このようなやりとりをやってみせ、後世に残すことができる偉人たちの在り方そのものが、今となっては粋にすら見えてくるのです。

勝海舟の人生

勝海舟は、近代日本の礎を作った人物ともいえます。文政6年(1823)、江戸(東京)生まれ。旗本の勝家の長男で通称は麟太郎、安房守。名は義邦、明治維新後は安芳と改名しています。海舟は雅号。蘭学・兵学を学び、万延元年(1860)幕府使節とともに、咸臨丸(かんりんまる)で渡米し、日本人で初めて太平洋を横断しています。後に「神戸海軍操練所」を設置し、幕府海軍育成に尽力しています。

この時、幕臣以外にも薩摩・長州・土佐などからも人材が集まりました。坂本龍馬もその一人。慶応4年(1868)、新政府軍が江戸に進駐した際には、幕府側代表として西郷隆盛と会見し、新政府軍による江戸総攻撃を中止させ、江戸無血開城を実現させています。勝海舟の尽力により、新政府軍と旧幕府軍による無益な戦いは避けられました。明治維新後は、海軍卿・枢密顧問官などを歴任。

旧幕臣で新政府に出仕したことで、福沢諭吉に「痩我慢の説」で非難されたわけですが、余生は、徳川家の後見や旧幕臣の生活救済、旧幕府の歴史の著述を行う生涯をおくり、明治32年(1899)に75歳で亡くなっています。

***

日頃から、発言力のある人の理路整然とした批判には大きな影響力と説得力があり、その意見に同調する人も多いもの。もし、自分が何かの批判をされる側に立たされたときには、たちまち厳しい局面にさらされます。しかし、そういう時こそ、勝海舟のこの名言「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」(出処と進退は自分が決めること、悪口と称賛は他人の主張で、私には関係のないこと)という言葉が役立つかもしれません。

人の意見に惑わされそうになる時、自分が挫けそうな時、この言葉を呟くと勇気がもらえそうな気がいたします。自分の決断の是非を問い直し、次の指針となる言葉。ここぞという時、自分自身の行動を問い直すことができる言葉。ぜひとも覚えておきたい心磨く言葉です。

文/奈上水香(京都メディアライン)
肖像画/もぱ (京都メディアライン)
アニメーション/鈴木菜々絵(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

引用・参考図書
『明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 』福沢諭吉/講談社学術文庫
『人生の名言・歴史の金言 現代人の心に効く55の言葉』廣池幹堂/育鵬社

 

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