日本各地には多くの湧水があるが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからであろう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。
名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれない。
歴史ある水を訪ね古都を歩きます。
“古都の名水散策”で取り上げご紹介する「水」は、基本的には人里離れた山奥に湧き出ずる名水を対象とはしておりません。主に都市部ですと京都やその周辺、地方においても小京都と呼ばれるような歴史ある町に湧き出している水であって、しかも、今尚地域住民の生活に深くねざし、親しまれ、大切にされている“水”を対象にしてまいりました。
しかし、今回取り上げましたのは、千数百年前の戦国時代に一大都市として栄えた場所に湧き出す名水を訪ねてみることにしました。
「夏草や兵どもが夢の跡」といった雰囲気が漂うような、これまでの“古都の名水”とは少々趣が異なる名水レポートになっております。どうぞ、お楽しみください。
戦国時代劇の名場面・蘇った中世の一大都市を歩く
今回の「古都の名水散策」は、越前福井市にある国の特別史跡でもある、一乗谷朝倉氏遺跡の中にある湧水を訪ねてみました。「一乗谷朝倉氏遺跡」と聞けば、歴史ファン、城跡マニアの人なら、一度は訪れてみたくなる垂涎の場所ではないでしょうか?
戦国時代の名家であった、朝倉五代(孝景、氏景、貞景、孝景、義景)によって築かれた一大都市が存在した場所です。278haという広大な敷地内には、発掘された40箇所にもおよぶ史跡スポットがあり、じっくりと見学したならば、到底一日では足らないでしょう。
代表的な見学スポットとしては、「上・下の城戸」「居館跡」「城下町」「一城谷城」と、やや離れた場所にある「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」。中でも「居館跡」に建つ“唐門”は、「一乗谷朝倉氏遺跡」において象徴的な遺構で、訪れる人は必ず記念撮影をするポイントとなっております。
この唐門をくぐると、義景が暮らしたと伝わる「朝倉館」。山に面する西側を除く三方向を土塁、その外側に堀がめぐり、十数棟の建物が建ち並んでいたとされ、何でも当時の京都将軍邸とよく似た建物群の配置であったとか。1568年、義景が将軍義昭をこの館に招き、盛大にもてなしたことが「朝倉亭御成記」に記されているそうです。
朝倉氏館跡と一乗谷川を挟んで向かいには、かつて存在していた城下町の一部「町並立体復原地区」として再現されています。ここには、武家屋敷、寺院、商人や職人の住んでいた町屋などが並んでおり、103年間にわたり朝倉氏が越前支配の本拠地としていた当時の賑やかな街へ、タイムスリップしたかのような歴史ロマンのひと時を味わうことができます。
朝倉累代が御膳水としていた「瓜割清水」を訪ねる
義景が暮らしたと伝わる「朝倉館」から、徒歩数分の住宅地の中に「瓜割清水(うりわりしょうず)」は在りました。浅い池のようにも見える貯水域の中央付近に、見るからに古そうな石積みの台座の上に祠が建っています。全体のシルエットから、どこか浮御堂を思わせような風情が感じられました。
「瓜割清水」の傍に設置されている説明板には…、「瓜割清水の広さは約80平方メートルであり、古くから朝倉氏の御膳水として供したと伝えられいます。山裾の東と南の護岸は後世の石積であり、朝倉時代より規模が縮小していると推定されます。往時から、どんな旱魃(かんばつ)の時も涸れたことがないといわれています。今でも夏は冷たく、冬は温かな清水が滾滾と湧き出しており、地元では生活用水として現在も使用しています」
最後に…「一乗城山から銅の筒で瓜割清水に水を引いてきたという伝説があるように、これらを結ぶ水源の存在が想定される」と記載されております。
一乗谷の全盛期においては、1万人以上が生活していたと推測されています。当時、城下町を整備し維持していく上で、生活水の確保が如何に重要であったかは容易に想像がつくことです。
「瓜割清水」のみならず、「町並立体復原地区」に再現された、武家屋敷、寺院、商人や職人の住んでいた町屋跡にも井戸跡が点在しており、この地域が地下水が豊富であったことが窺えました。
ちなみに「瓜割清水」という名称は、福井県内だけでなく各地にある名称のようです。「夏に収穫した瓜を冷やしたところ、あまりの冷たさに瓜が割れた」というエピソードから由来しているようです。
しかし、現在「瓜割清水」の情景からは、そのエピソードを連想しにくい感じがいたしました。
剣豪佐々木小次郎が、秘剣「燕返し」を会得した地
ここ一乗谷には、もう一人歴史上かなり有名な人物のエピソードが残っております。安土桃山時代から江戸時代初期の剣客とされる人物で、剣豪宮本武蔵の宿敵として知られる巖流佐々木小次郎です。
「朝倉氏遺跡」を流れる「一乗谷川」の上流4kmほどの所に、落差12mの一乗滝があり、彼は、この地で秘剣「燕返し」を会得したと伝えられています。
「燕返し」の名前は、吉川英治氏が小説の中で使用したオリジナルだそうで、実際には「虎切剣(こせつけん)」と命名された秘技、燕が背をひるがえして飛ぶ姿を見てあみ出した剣法だとといわれています。
そうしたエピソードにちなみ、一乗滝へ向かう誘導路の入り口に「佐々木小次郎」の像が建っております。
その説明板には…、「武蔵の死後、彼の門人たちの話を熊本藩士豊田正剛が記録し、その子正脩、孫の景英によって江戸中期に整理された『二天記』という書物によれば「巖流佐々木小次郎」は「越前宇坂の庄、浄教寺の産」と記載があることから、この地が彼の出生地とされているようです」と記されています。
一乗谷朝倉氏遺跡を見学された後に、少し足を伸ばして、剣豪佐々木小次郎の胸中を偲んでみるのも良いのではないでしょうか?
所在地・最寄り駅、交通手段
住所・所在地:〒910-2153 福井県福井市城戸ノ内町28-37
アクセス:JR福井駅から浄教寺行き京福バス「復原町並」下車すぐ
北陸自動車道福井ICから車で10分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
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