日本は島国であるとともに、国土の約七割が山地であり山国でもある。山地に降った雨は、川となり海へと流れる。一部の水は地下にしみ込み、やがて伏流水として各地で湧き出す。
湧き出た水は、人々の生活を潤し、その地域の文化を育んできた。恵をもたらした湧水は、逸話と共に名水として語り継がれている。そんな名水を求め各地を訪ねます。

古都の名水散策 第5回目となる今回は京都府宮津市にある日本三景の一つとして知られる天橋立を取材地に選びました。天橋立は、松島、宮島と共に日本三景に数えられる景勝地なので、古くから和歌や絵画などの題材に取り上げられている、歴史ロマンに溢れる地です。
その天橋立には、古より「不思議な水」として語り継がれている「磯清水」という名水が在り、「古都の名水にふさわし水」です。

雪舟も描いた天下の景勝地にある謎めいた「長寿の霊泉」

天橋立は、陸前松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つに数えられる天下の景勝地です。与謝野町を流れる野田川から流れ出た土砂が、宮津湾の潮流によって運ばれ厚く堆積したことで、細長く延びて半島状の地形を成したものです。
こうした地形を砂嘴(さし:海の流れによって運ばれた砂が溜まってできた嘴のような地形)と呼び、宮津湾西岸の江尻(えじり)から対岸の文珠(もんじゅ)に向かって南西に延びています。
全長約3.3キロメートル、幅は狭いところで40メートル、広いところでは100メートルに及び、この砂嘴の上に、7,000本以上とも言われている松並木が生茂り、見事な白砂青松の景観をつくり上げています。その美しさは、国の特別名勝地にも指定されています。

室町時代に活動した水墨画家の雪舟もこの地を描いており、その「天橋立図」(京都国立博物館所蔵)には、今より少し短く細い景観が残されております。このことから「天橋立図」は、歴史的に貴重な地理資料にもなっています。

そんな天橋立に「謎の名水」が存在することをご存知でしょうか?
股覗きで有名な文殊側(南)からの眺めや、文殊菩薩で知られる智恩寺や西国三十三所28番札所の成相寺など、見るべき寺社仏閣、史跡、由緒ある碑などが数多くありますので、今回ご紹介する「磯清水」に気を留める人は、少ないかもしれません。

記者が訪れた日も、足を止める人はさほど多くはなかったようでした。
「磯清水」は、幅の狭い砂州の中に在って、周りを海に囲まれているにもかかわらず、少しも塩味を含んでいないところから、古来より不思議な名水「長寿の霊泉」として語り継がれています。昭和60年には環境庁認定「名水百選」の一つとして認定を受けています。

和泉式部が愛し和歌にも詠んだ、歴史ロマン溢れる「磯清水」

この「磯清水」、和泉式部が和歌にも詠んだことでも知られています。
和泉式部の夫である藤原保昌が、丹後守としてこの地に赴任してきており、夫に随行してこの地を訪れた式部は「磯清水(長寿の霊泉)」と出会ったのでしょう。自らの長寿を願い、健康飲料水のように日々愛飲していたのではないでしょうか? そうした経緯から、和歌にまで詠んだと考えることができます。
和泉式部は平安中期の歌人、西暦1,000年頃の人ですから、「磯清水」は、1,000年以上湧き出ている歴史ロマン溢れる水ということになります。

井戸は、往時の佇まいが感じられる小屋の中にあり、梁には滑車が付けられ釣瓶が設置されています。
しかし残念ながら、この釣瓶は現在使用することができません。今は、ポンプで汲み上げており、ペットボトルを用意しておけば持ち帰ることが可能です。
和泉式部が「磯清水」を詠んだ歌は、側に立つ由緒、解説板に以下の様に紹介されています。ここでは、その全文を記載しておきましょう。

●磯清水

この井戸「磯清水」は、四面海水の中にありながら、少しも塩味を含んでいないところから、古来不思議な名水として喧伝されている。
そのむかし和泉式部も
「橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」 
と詠ったことが伝えられているし、俳句にも「一口はげに千金の磯清水」などともあることから、橋立に遊ぶ人びとには永く珍重されてきたことが明らかである。延宝六年(1678)、時の宮津城主永井尚長は、弘文院学士林春斎の撰文を得たので、ここに「磯清水記」を刻んで建碑した。
この刻文には
  丹後国天橋立之磯辺有井池清水涌出、蓋有海
  中而別有一脈之源乎、古来以為勝区呼曰磯清水、    云々
とある。
湧き出る清水は今も絶えることなく、橋立を訪ずれる多くの人々に親しまれ、昭和60年には環境庁認定「名水百選」の一つとして、認定を受けている。
(宮津市文化財保護委員会)

Go Toトラベルを活用して、日本三景“天橋立“を訪れる方もおられるかもしれませんが、その時は「磯清水」にも足を止めていただき、和泉式部が愛でた「長寿の霊泉」をペットボトルで持ち帰られてみてはいかがでしょうか?

大河ドラマ「麒麟がくる」明智光秀と細川ガラシャのゆかりの地、宮津天橋立

宮津は、今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀、細川ガラシャとの縁が深い地でもあります。
永禄6年(1563)に、明智光秀の三女として生を受けた玉子(細川ガラシャ)は、16歳で父の盟友である細川藤孝(幽斎)の長子・忠興に輿入れをしています。
天正8年(1580)、細川親子の丹後入国に伴い宮津で暮らすようになり、翌年の天正9年に、細川藤孝・忠興が明智光秀や津田宗及らを招いて天橋立で茶会を催したとされています。
この折に使われた茶の湯は「磯清水」であったかもしれませんね。

この茶会の翌年、明智光秀が本能寺の変を起こしたことで、細川忠興は逆臣の娘となった玉子(ガラシャ)を山深い味土野(京丹後市弥栄町)に幽閉してしまいます。その後、玉子(ガラシャ)は数奇な運命を辿ることになります。

大手川の畔から自らの居城である宮津城を眺める「細川ガラシャ夫人像」。

「磯清水」周辺の名所、旧跡など

●天橋立ビューランド

天橋立ビューランドからの景色は絶景。
ここからの眺めが、天橋立が空を飛ぶ龍のように見えるから「飛観龍」と言われています。「股のぞき」で景観を楽しむスポットとしても有名です。

●知恩寺

「文殊の知恵」とよばれ、地名から「切戸(きれと)の文殊」或いは「九世戸(くせと)の文殊」と呼ばれ、古くからの信仰の厚いところでです。寺伝によれば、開創は千余年の昔、延喜年間という。
三文殊と呼ばれるのは、智恩寺に加えて、奈良県桜井市の阿部院、京都市左京区金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の三寺の文殊のことです。

●与謝野寛・晶子ご夫妻歌碑

近代を代表する歌人、与謝野晶子と夫の寛は幾度も天橋立を訪れ、多くの歌を残しています。天橋立の中にも与謝野寛・晶子ご夫妻の歌碑があります。

●岩見重太郎 仇討ちの場

剣豪として名高い岩見重太郎が、父の仇として広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の三人の仇討ちを天橋立でしたと伝えられており、岩見重太郎に関連する史跡が残っています。

所在地・アクセス

【 鉄道・バス利用の場合 】
 ●北近畿タンゴ鉄道(KTR)「天橋立駅」下車⇒徒歩10分ほど
【 自動車利用の場合 】
 ●京都縦貫自動車道綾部宮津道「宮津天橋立IC」⇒車で10分、駐車場から徒歩8分ほど

 

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