文/鈴木拓也
元企業家にして当代随一の数寄者が書いた茶事の本―こう聞くと、多くの人は身構えてしまうかもしれない。
門外漢からすれば、茶事・茶道といえば、古来継承されてきた作法を稽古する厳しい世界というイメージがあるからだ。
しかし、これから紹介する『数寄の真髄』の著者・潮田洋一郎さんのスタンスは、そんな世間的な印象とは異にする。序において「今の茶道が茶の湯の素晴らしさを体現できていない」などと、やや辛辣に述べているように、潮田さんが追求するのは「楽しい茶会」。基礎的なマナーは押さえるが、「間違いを恐れて萎縮せずに、茶を楽しむ」こと。ひいては、それが茶の湯の再生にもつながると説く。
かといって、本書で披露される9席の茶事は、重要文化財を含む名だたる名品道具を用い、博覧強記の数寄者が座談するという構成。「襟を正して」とまでは言わないが、それなりの気構えで臨んだほうがいい。さて、どんな内容か。
開けた空間で始まる茶事の風雅
荏原製作所の創業者であり、数寄者としても知られた畠山一清が葉山に建てた旧別荘「茅山荘」。その奥に新築したロータスハウスの屋上が、第一幕の寄付(よりつき)となる。
外部の空間に張り出した月見台から、池大雅の「洞庭湖岳陽楼図」を鑑賞できるという趣向。そして、亭主の潮田さんが迎えるは、一茶庵宗家の佃一輝宗匠だ。
潮田 今日は、洞庭湖という広大なテーマなので、壁のない大きなスペースで煎茶を試みたかったんです。立札よりも煎茶がぴたりときます。
佃 寄付で、自然の中にぽんと座ってますと、壁に掛けた「岳陽楼図」が微妙に風に揺れているんです。これは、まさに洞庭湖に来た、という感じで、亭主のイントロにはまり込んでいく。
潮田 頼山陽の山紫水明処のように、風が通るような空間でお茶を飲むこともありなんですね。大雅の絵は、広がりを横長で表現しないで、縦長に描いたというのが奇策です。あたかも岳陽楼にいるかのようです。いやもっと遥か上から洞庭湖を見はらしているような壮大な空間性がありますね。
(本書28pより)
稀代の名品で茶を楽しむ
本書は上述のように潮田さんと佃さんの対談形式で進んでいき、読み手は縦横無尽に紡がれる知の奔流に身をゆだねることになる。
その合間に登場するのは、場とテーマに合うよう吟味された茶道具の数々。例えば、寄付のあとの濃茶席。そこで出されたのが、古田織部が所有し、切腹の際に使ったという名碗、御所丸 銘 古田高麗。
潮田 この底、多角形だけどなんともいえない。破格なんだけど、収まっているんだね。
佃 凄いな。明るい所で改めて見ると、全然違う。大きい。堂々として赤や黒や黄色や魅力が尽きない。いや、凄い高台。
潮田 口造りのところのめくりも面白い。まるで折ったみたいで。
佃 微妙にうねっている。ほかの御所丸茶碗と全く違う。
(本書33pより)
この席で掛けてあったのが、明代に永楽帝に仕えた解縉(かいしん)の筆になる、詩人の崔珏(さいかく)が洞庭湖を詠んだ詩。解縉は、永楽帝の政策に異を唱えた咎で追放され処刑されている。佃さんは、「解縉と織部、二人とも獄中や自刃で死ぬという運命で、不思議な感じを受けます」と、亭主が考え抜いた取り合わせの妙に感嘆する。潮田さんは同じ席で、「道具で空気が激変するのを知って、道具への関心が強くなって、とりつかれた」と微笑みながら打ち明ける。「とりつかれ」て収集した道具は、茶入の山名肩衝(やまなかたつき)や与次郎作の小阿弥陀堂釜など名物揃い。しかし、決して収集物自慢には陥らず、芳醇な知的遊戯に徹しているところが心にくく、著者の品格が伝わってくる。
潮田さんは、茶の湯の源流をたどれば、「書画を語り、工芸品を賞玩するための集いだったと言ってよいのではなかろうか」と記す。かように本書の座談はまさに、茶の湯本来の姿を現代に甦らせた稀有な試みといえそうだ。書物を通して知のひとときを満喫したい向きには、またとない好著である。
【今日の教養を高める1冊】
『数寄の真髄』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)で配信している。