今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「本村住民は三蔵の名を命名するを得ず」
--山形県最上郡金山村村会

滋賀県の琵琶湖の南西側に大津という町がある。明治24年(1891)5月、この大津にロシアからの賓客がやってきた。

皇太子のニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、ウラジオストックでのシベリア鉄道起工式に出席する途次、7隻の軍艦を率いて極東を巡遊。日本に立ち寄り、京都から奈良への旅程の中で琵琶湖遊覧のひとときを楽しもうと、大津へ差しかかったのである。

その大津で、とんでもない事件が起きた。

ロシア皇太子の警護の任に当たっていた巡査の津田三蔵が、突然に帯剣を引き抜き皇太子めがけて斬りつけたのだ。皇太子の命に別状はなかったが、頭部に負傷をおった。

津田は、「ロシア皇太子の来日は日本侵略への足がかり」とする風聞を信じ込み、凶行に及んだという。周辺への権益拡大を目論むロシアを脅威と受けとめる「恐露病」は、日本全体に蔓延しはじめていた。

警察官による他国皇太子の暗殺未遂(傷害事件)という予想だにしない出来事に、日本中が大騒ぎとなった。

天皇は京都に行幸してロシア皇太子を見舞い、政府は司法に対し犯人への死刑宣告を求めた。閣僚の中には、政府が刺客を放って犯人の津田を暗殺し、病死したことにせよ、と主張する者もいた。かと思えば、一命を捧げて詫びることで国家の危機を救おうと、自らの命を絶ってしまう一般女性まであらわれた。

このような混乱した世情の中で、政府の圧力にも屈することなく、司法の独立を気概をもって守り通したのが大審院長の児島惟謙(こじま・いけん)だった。児島は傷害事件をもって死刑を宣告するのは法を逸脱するとして、犯人の津田三蔵に無期懲役の判決を言い渡したのである。

はじめ津田への極刑を求めていた一般世論も、法を曲げようとする政府の横暴に反発して「津田三蔵は志士。殺してはならぬ」という方向へ傾き、児島の判決を支持したという。

そうしたせめぎ合いの傍らで、的外れな動きもあった。それが、山形県最上郡金山村村会によって決議された掲出の条例。つまりは、金山村の住民は自分の子どもに「三蔵」という名をつけてはいけない、と取り決めたのである。なんととぼけた条例か。これも当時の日本の混乱ぶりの一端を示すものであろう。

この事件そのものから、ただちに国家間の対立が先鋭化することはなかったが、結局、両国の戦闘は避けられなかった。事件から13年の時を経た明治37年(1904)、とうとう日露戦争が勃発するのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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