「三ツ矢青空たすき」の“語り部”であり、福岡県糸島市で「わかまつ農園」と直営店「お菓子と暮らしの物 りた」を経営する若松潤哉さん。東京でのサラリーマン生活に区切りをつけ、就農を志し糸島へ移住した。自然農法でさまざまな農作物を育てる若松さんに、糸島の暮らしを通じて発見した自然との関わり方や、次の世代につなげていきたい糸島の豊かな自然と文化をうかがった。

東京から移住し“しあわせの輪を紡ぐ場所”を創る

糸島で「わかまつ農園」を営む若松潤哉さんを訪ね、福岡の中心部と唐津を結ぶJR筑肥線の福吉駅に降り立った。牡蠣の生産地として広く知られる糸島。毎年10月~4月頃まで新鮮な牡蠣を堪能できる「牡蠣小屋」で有名な福吉漁港も目と鼻の先の距離にある。向かったのは、福吉駅に程近い住宅街に建つ、「お菓子と暮らしの物 りた」。「わかまつ農園」の農作物を使った加工品などを販売する、人と人をつなぐカフェ併設型の直営店だ。店名は仏教用語の「利他」に由来。そこに「食べ物を通して、自分も周りの人も幸せになってほしい」という願いがこめられている。

安心・安全・おいしさにこだわる生産者さんたちの商品も取り扱う。

「糸島に移り住んでゼロから農業を始め、気づいたらあっという間に10年が経っていたという感じですね」

人懐っこく温かみのある笑顔で出迎えてくれた若松さんは糸島での生活を、こう語り始めた。東京では航空機の整備会社に勤め工程管理などの業務に従事。農作業の経験もないまま、2013年に異業種から畑違いの農業の世界に飛び込んだ。

きっかけは、2001年のアメリカ同時多発テロ事件や2011年の東日本大震災、自身の病気を経て、価値観が大きく変わったことだった。自然や環境に負荷をかけず、より人の役に立つ仕事をしたいと真剣に考え、自分が作り手となり、人が生きるために必要な食べ物を生産できる農業の道を選んだ。

移住の決め手となったのは、糸島で事業をする知人からの、「世界を見てまわったが、農家をやるなら糸島が一番いい」という一言。自分が全国を駆け巡るより、その土地に暮らす、信頼できる人の言葉の方がずっと重みがあり、明るい未来が描けると思ったからだ。

自分の活動で、周りの人が喜んでくれることが何よりうれしいという。

糸島には海と山、畑があり、人が生きるための栄養を地産地消で生み出せることも背中を押した。農作物を生産し、加工、販売まで自分で完結することができれば、自然と人にやさしい食べ物を直接消費者に届けられると考えた。

「例えば、牛糞、稲わらがあればよそから何もいただくことなく、豊かな土壌で作物を育てられます。地元で手に入る牡蠣の殻を砕いて畑に撒けば、カルシウムなどのミネラルも補完でき、野菜や果実の味に深みが増していきます。当初はオーガニックにさほど関心がありませんでしたが、空気と水と微生物を守りながら、自然の循環を考えていく中で農薬や化成肥料を使わない自然農法に行き着きました」

糸島の自然の恵みは、日々の暮らしにもうるおいをもたらす。

「糸島は夜中に獲った魚が朝には市場に並ぶ土地柄。その新鮮さは何物にも代えがたく、海産物は何を食べてもびっくりするほどおいしいですよ。それを毎日食べられるという幸せは、生活をより豊かなものにしてくれました」

モダンにデザインされた「お菓子と暮らしの物 りた」の店内。今夏にはすぐ近くの場所へ移転を予定している。
お店で一番人気は、水(ウルトラファインバブル水)と甘夏精油ともみ精油で作ったアロマミスト(右)。甘夏みかん洗剤700ml(中央)と300ml(左)。
アンチョビソースベースに旬の野菜をたっぷり使った農園特製ピザ。
日本ミツバチから採れた蜂蜜をふんだんにかけて食べるパンケーキ。

「わかまつ農園」は糸島に複数の農地を借り、5人のスタッフが1年を通してさまざまな作物を収穫している。夏はトマト、ピーマン、葉物のつるむらさき、冬はたまねぎ、菊芋、じゃがいもなどの根物が中心で、果実では「わかまつ農園」の主力である甘夏みかん、初夏は路地でいちごの栽培もしている。

「農業といえども経営を持続するにはリスク管理も無視はできません。成功、失敗を問わず経験をムダにせず、時代に合わせて進化させることはとても重要です。例えば抗菌作用があるといわれるオリーブやびわの葉を使ったお茶が好評でした。その経験を活かして作った、焙煎した黒豆を使った黒豆茶は、今では人気商品に成長しました。小規模から始めたニホンミツバチの養蜂もようやく軌道に乗ったところです。前職で培った経験が経営のノウハウとして役立っています」

農業の話をたっぷりうかがった後、「実際にどんな環境で作業をしているか見ていってください」と、若松さんが海を望む場所にあるぶどう畑と甘夏みかん畑に案内してくれた。

3年前にスタートしたぶどう畑は、国道から少し坂を登った場所にある。日当たりがよく、海風が山に向けて吹き抜けていく。若松さんは、糸島市のリードで2021年に発足された『いとしまワインプロジェクト』に参加。収穫したぶどうはワインの醸造所に持ちこまれる。

「現在は赤5種類と白を栽培しています。まだまだ先が見えない部分は多いのですが、果実栽培の経験を活かして取り組んでいるところです」

ぶどうのつるを這わせるためのブドウ棚はスタッフ総出で自作したものだ。
畑の一角に置かれたニホンミツバチの巣箱。巣箱一段分で、3~5kgの蜂蜜が採れる。
畑の隅に植えられたびわの木。葉っぱはびわ茶に利用される。
この畑だけでも約50本の果樹があり、ころころとした甘夏みかんがたわわに実っていた。

ぶどう畑後に、クルマ1台がようやく通れる程の曲がりくねった細い山道を登り、4月からの収穫を待つ、甘夏みかん畑へ到着した。青空のもと、眼前には洋々と水をたたえる玄界灘が果てしなく広がり、斜面の下の線路を筑肥線の電車が悠然と走る。

甘夏みかんの旬は6月。熟した甘夏みかんは豊かな甘みとほんのりとした酸味があり、これまでの印象を大きく変えるほどの美味だという。

「ここは、牛糞と牡蠣殻だけで育てています。日差しをたっぷり浴びせ熟させているので、瑞々しく、自然の甘みをしっかり感じることができます。ここから見る夕陽は目もくらむほど美しく、何度見ても、夕陽を拝むたびに糸島で農家を営める喜びや幸せを実感します」

市場には出荷できない皮に黒ずみのある甘夏みかんは、加工品や精油、洗剤などに使用される。

無理せず、自分なりのやり方で農作物を育ててきた若松さん。今後についてもしっかりとしたストーリーを描いている。

辞めない覚悟で退路を断つことによりアイデアが次々に湧いて出てくるという。

「ゆくゆくは糸島だけで完結をするビジネスを増やしていきたいと思い、酪農家や農家、整体師といったいろいろな分野の人を集めて会社を立ち上げ、オリジナルブランドのスタートアップを検討しています。同時に糸島は水量のある川にも恵まれていますから、エネルギーも水力発電でまかなっていければいいですね」

農園で育った無農薬の黒豆茶とびわ茶が自宅でいただけるオンライン体験

温厚な人柄と明快な語り口調で語り部としても人気の若松さん。

「青空たすき」の語り部としてオンライン体感プログラム「Farm to Tableを実感!黒豆と、びわ茶を焙煎してみよう」を行っている若松さん。参加者の家には「わかまつ農園」で収穫した黒豆とびわの葉のキットが届き、焙煎体験を楽しめる。パソコンの画面上では、若松さんや農園スタッフが焙煎法を実践。自宅に居ながらおいしい黒豆茶、びわ茶がいただける。若松さんが語る糸島の話から、豊かな自然や環境を思い浮かべることができる。

オンライン体験のキットとして届けられるびわの葉は大寒の時期に摘み取った栄養たっぷりの3年葉だけを使用。香りがよく、スッキリとした味わいだ。

「糸島の自然や文化を伝える意味で『青空たすき』のプログラムはとても有意義で、私たち、語り部の取り組みが広く紹介される貴重な場にもなっています。作物に関してはなるべく質感を伝え、眼の前で会話をしているような距離でコミュニケーションが取れるよう心掛けています。私の話を聞き、糸島に出かけてみたいと思われる方もいらっしゃるようで、とても光栄です。糸島の良さだけではなく、こんな暮らし方もわるくないねと、オンラインで参加された方が住む地域でも、自然と向き合う輪が広がればうれしいですね」

若松さん自身も、語り部として多くの人とふれあう機会を得て、糸島の自然を受け継いでいくためのチャレンジを続けている。

「植物は実がなって、種が落ちてと、次につなげる行動をずっとやり続けています。動物も毎日次に残すために活動しています。人は次につなげるために何をすればいいのか。農業をベースに、自分自身の表現の仕方で、周りの人を笑顔にしながら次世代につなげていきたいですね」

 

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