●実在した魔女の伝説
このリーガースブルク城の別名は「魔女の城」。実在の魔女が住んだ歴史があり、内部の魔女博物館は、当時の様子を克明に伝えています。この城に残る、魔女伝説をひも解いていきましょう。
時は17世紀、オーストリアでは「女帝」マリア・テレジアの祖父のレオポルトI世の治世、オーストリアはトルコからの侵略に悩まされていた時期のことです。
優美なバロック様式の建造物が数多く残されている時代ですが、その一方で庶民の間では、魔女狩りの大旋風が巻き起こっていました。
このリーガースブルク城の管理人の妻に、カタリーナ・パルダウフという女性がいました。庭師の娘で、ガーデニングが趣味。花を育て、城の庭を美しく飾り、時には薬用のハーブなどを育てることで知られていました。
ところが、この地方を1673年に前代未聞の悪天候が襲います。雹が降り、大雨や嵐のため、農作物が収穫を待たずに全滅してしまったのです。
友人のパン屋に「冬にも開花する花を育てている」と話していたカタリーナは、「天気を変えることができ、雹を降らす魔術を使う魔女だ」「大勢の魔法使い、魔女と共に、魔法集会で魔術を使って農作物を全滅させた」などと密告され、1675年に近隣の町フェルトバッハの裁判所で、突然魔女の罪に問われます。
一度魔女の疑いをかけられたら、晴らすことができないのがこの時代。「魔女の地下室」に幽閉され、魔女集会の仲間の名前を挙げろと拷問を受け、リーガースブルク城に連れ戻されました。ここで彼女の裁判記録は途絶えていますが、城で処刑された後、遺体は燃やされたとされています。
花を育てることが得意だったために迎えてしまったこの運命。今でも彼女は「花の魔女」として、この地方で語り継がれています。
このフェルトバッハの魔女裁判は、非常に規模の大きなもので、合計95人の男女が魔女や魔法使いの罪を問われ、拷問、処刑されました。その中には、身分の高い神父や貴族を含む、男性も多く含まれていたことが特徴とされています。
●現在の魔女文化
リーガースブルク城の魔女博物館を訪れれば、当時の魔女狩りの熱狂や、拷問器具、密告や裁判について、さまざまな資料を見ることができます。一説によると、ハーブや民間療法に長けた女性を「不思議な力を持っている」として、魔女扱いにしたケースもあり、不作やペスト、外国からの侵攻などで日々の生活に不安を持っていた民衆の、犯人捜しの犠牲者にすぎなかったことがわかります。
リーガースブルクの城下町を歩くと、魔女の看板を交番の壁にみつけました。今でもこの町や城は、魔女と共にあり、無実の罪で処刑された「花の魔女」の運命を悼んでいるようです。
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難攻不落な城塞と優美な内装を愛した女城主と、無実の罪で処刑された「花の魔女」。この勇壮な姿の古城には、今でも女たちがさまよい続けているのかもしれません。
霧の深い日に訪れ、魔女狩りの歴史に思いを馳せてみるのも、古城めぐりの醍醐味の一つと言えるでしょう。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)所属。