跨線橋の上にある待合室からホームへ降りる。新十津川まで走るのはこのキハ40-402号。写真を撮っていたら、うしろから女性三人組がにぎやかに階段を下りてきて、にぎやかに乗車した。

運転台上の方向幕。「新十津川」駅の表示が嬉しい。

新十津川駅行きは7時45分発。少しずつ座席が埋まってゆく。7時38分に札幌からの普通列車が到着すると、鉄道ファンや体験乗車する人たちでボックス席はほぼ埋まった。

札沼線は、今に至るまでずいぶんと消長・変転の歴史がある。

最初に開業したのは石狩沼田(留萌線)と中徳富(現・新十津川)駅間で、昭和6年に札沼北線として運行を開始し、その後(昭和9年)浦臼まで延長開業した。南側は昭和9年に桑園~石狩当別が開業。翌年10月に浦臼で北線と合流し全区間が開業した。かつて日本海側の増毛で「札沼線は増毛方面につなげる予定だった」と耳にしたことがあるが、真実のほどはわからない。函館本線とほぼ並行する長大な路線は増毛や留萌の石炭や鰊を輸送する目的も大きかったと思われる。

せっかく完成した札沼線であったが、開業後まもなく存亡の危機に直面する。太平洋戦争の激化で昭和18年から19年にかけて石狩当別から石狩沼田の約85kmが営業休止となり、かなりのレールが鉄材として搬出されてしまった。
敗戦後の昭和21年には石狩当別~浦臼の運転が再開されたが、それ以北は再開がずれ込み、再び桑園と石狩沼田が再び直結したのは昭和31年のことである。

昭和39年の時刻表には札幌~石狩沼田を直通する列車は6往復運行されており、そのうち3本は留萌線に入り深川まで乗り入れている。しかしそんな「華やか」な時代は短く、1972(昭和47)年には新十津川~石狩沼田が再度廃止されてしまった。今日乗っている札沼線にはそういう廃止と再生の歴史が詰まっている。

歴史で見ると複雑だが、沿線の景色は極めてシンプルだ。新十津川方向に向かって左には山が連なり、右側は石狩川が作った細長い平野が延々と続いている。全く長閑極まりない。電化区間に石狩川鉄橋はあるが、ほかには険しい山も大きな川もない。もちろん雪は降るから除雪は必要だが、雪崩の心配はまずなさそうだ。おそらくJR北海道の中でも最も自然災害に縁遠いところではなかろうか。そんなところを国鉄型の気動車に乗ってトタコントタコン走るのである。車窓にほとんど変化のない鉄道なのに飽きることはない。今どき札沼線のような路線の乗れることは実にぜいたく極まりない。

その贅沢をしようと思ったのか、海外からのお客さんに出会った。リバプールから来た鉄道ファンのマイケルさん。日本の鉄道乗りつぶしの最中。若いころから商船の船乗りだった彼は1960年代から幾度も日本を訪れてきたという。

 

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