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長崎・上五島の2つの教会堂【長崎の潜伏キリシタン関連遺産を旅する 第1回】「頭ヶ島教会堂」「青砂ヶ浦教会堂」

写真・文/石津祐介

キリスト教が禁教とされた時代、頑なに信仰を貫いた潜伏キリシタン。その信仰の痕跡と、明治の禁教令廃止後に建てられた教会堂を、長崎県の五島列島に訪ねた。今回は、潜伏キリシタンをめぐる歴史と、上五島を代表する「頭ヶ島教会堂(かしらがしまきょうかいどう)」と「青砂ヶ浦教会堂(あおさがうらきょうかいどう)」の2つの教会堂を紹介する。

青砂ヶ浦教会堂の前に立つ聖母マリア像。

長崎県新上五島町。五島列島の北東に位置し、中通島と若松島を中心に大小の島々からなる町だ。島の大部分は西海国立公園に指定され、美しい砂浜や入組んだ海岸線など風光明媚な風景が広がる。

ここ新上五島町には29の教会がある。これらは、およそ250年にも及んだ長い禁教令下を耐え抜いた信者が、自らの寄進により建てられたものだ。

五島のキリシタンの歴史は、1562年(永禄5年)、当時五島の領主であった宇久純定が、病気治療のため西洋医学の治療を大村領の神父に求め、キリシタンの日本人医師ディエゴが派遣された治療を行った事により始まる。その後1566年(永禄9年)に修道士アルメイダと日本人伝道士ロレンソらが島に渡り、多くの島民が洗礼を受け、五島全体で2,000人ほどの信者がいたとされる。

しかし、1614年(慶長19年)に徳川家康による禁制令で領内のキリシタンは追放され、1664年(寛文4年)にはキリシタンでないことを証明する宗門改めが徹底的に行われた。そして18世紀の頃には、五島のキリシタンは壊滅状態となった。

頭ヶ島キリシタン墓地。日本の墓石と同じ形状だが、上部にクルスがあるデザイン。

その後、1797年(寛政9年)に、五島藩は干ばつや疫病で人口が減少した五島に農業活性化を目的として、人口抑制策を行っていた大村藩に住民の移住を願い出た。それを受け、大村から五島へ農民の移住が進むのだが、その大半は大村で弾圧を受けていた潜伏キリシタンであったという。

島へ渡ったキリシタン達への弾圧がさほど厳しくない事が知れ渡ると、その後も多くの潜伏キリシタンが移住し、結果的には3000人ほどが五島全体に住み着いた。当初は、大村の弾圧から逃れ「五島へ五島へと皆行きたがる。五島はやさしや土地までも」と唄われていた彼らだったが、山がちな島の農耕に適した土地には、既に元々住んでいた農民がおり、移住してきた者は山の奥地や崖のような土地に住まざるを得ず、唄も次第に「五島へ五島へと皆行きたがる。五島極楽来てみて地獄」に変わっていったという。

島の北部、山の斜面に建つ仲知(ちゅうち)教会堂が見える。この地も厳しい弾圧が行われた。

1853年(嘉永6年)にペリーが浦賀に来航したことがきっかけとなり、江戸幕府は鎖国政策を解き開国を迎える。それにより外国人居留民のために教会の設立が認められ、1865年(元治2年)2月に長崎にフランス人居留民のために大浦天主堂が建てられた。同年3月には浦上の潜伏キリシタン数十名が教会堂を訪れ信仰を告白し「信徒発見」と呼ばれ、長く厳しい禁教政策の中、信仰を守り抜いた奇跡としてヨーロッパをはじめ世界中で大きなニュースとなった。そして神父再来の報が各地に伝わり、それぞれ潜伏キリシタンが大浦へ向かい、五島でもキリシタン復活が進められる事になる。

しかし明治政府は江戸幕府に続きキリスト教を禁教としたため、五島でも厳しい弾圧が行われ、1868年(明治元年)には「五島崩れ」と呼ばれる弾圧が始まる。

明治政府のキリシタンへの弾圧に対し、幾度となくイギリスやフランス公使が抗議を行い1872年(明治2年)に、ようやく拷問は中止となり、1873年(明治6年)にはキリシタン禁令の高札が撤去され、弾圧が終わり信仰が黙認される事になっていく。

 

1877年(明治10年)には2人の司祭が五島へ派遣され宣教を任されることになり、キリシタンは信仰の自由を得た証として自分たちが住む集落で教会堂を建てていくことになる。

山から頭ヶ島教会堂を見下ろす。

幕末まで無人島だった頭ヶ島には、迫害されたキリシタンが移り住むようになったが、明治の「五島崩れ」で信者は島を離れた。そして再び戻り移り住んだ信者たちにより建てられたのが《頭ヶ島教会堂》である。建設費用を抑えるため地元産の砂岩が利用され、1910年(明治43年)に着工され、資金難で何度も工事は中断するが、ようやく1919年(大正8年)に完成した。

名工、鉄川与助が建てた石造りの教会堂。頭ヶ島教会堂を含む集落が、世界遺産候補の構成資産として挙げられている。国指定重要文化財。

赤い屋根と八角形のドームが特徴的な教会堂。

建築費用を抑えるために砂岩が利用され、外壁は粗石積み。

集落には石積みの技術があり、教会の石垣にもその技術が活かされている。

南フランスの巡礼地、奇跡の地ルルドの洞窟を模し聖母マリア像が祀られている。

【頭ヶ島教会堂】 
長崎県南松浦郡新上五島町友住郷638
アクセス:西肥バス 頭ヶ島教会行き終点下車

頭ヶ島教会堂と同じく、鉄川与助により1910年(明治43年)に建てられたのが《青砂ヶ浦教会堂》だ。当初は小さな集会場であったが、現在の教会堂は3代目となる。煉瓦建ての教会堂で、正統的な西洋式建築様式を取り入れている。

青砂ヶ浦教会堂は、1910年(明治43年)に建てられた煉瓦建ての教会堂。国指定重要文化財。

煉瓦の濃淡で帯を作り、装飾にも意匠が見られる。

【青砂ヶ浦教会堂】 
長崎県南松浦郡新上五島町奈摩郷1241
アクセス:西肥バス「青砂教会前」バス停下車

素朴な美しさを醸し出す2つの教会堂は、潜伏キリシタンたちの苦難の歴史と、新たな信仰の証を今に伝えてくれる。

次回はチャーター船を利用し小値賀島へ渡り、無人島となった野崎島に残る遺産を紹介する。

【新上五島町へのアクセス】
佐世保港や長崎港から高速船を利用
佐世保港から有川港まで 1時間20分
長崎港から有川港まで 1時間40分
他に博多港から青方港へは夜行フェリーで5時間55分

写真・文/石津祐介
ライター兼カメラマン。埼玉県飯能市で田舎暮らし中。航空機、野鳥、アウトドア、温泉などを中心に撮影、取材、執筆を行う。

取材協力/平戸・小値賀・上五島観光ルート形成推進協議会
今回の取材は、同協議会が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録を見据え、普段は定期船で行くことが出来ない「平戸〜小値賀(野崎島)」間をチャーター船でつないで、平戸市・小値賀町、新上五島町に点在する構成資産を効率よく巡るツアーに基づき行いました。

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