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【創刊30周年特別紀行】-編集長が行く-長崎からマカオへ。信仰が結ぶふたつの世界遺産[PR]

天文18年(1549)にザビエルがキリスト教を伝えて以来、多くの日本人が海を渡った。信仰を守るために故郷を捨てたのだ。彼らにとって、信じることが生きることだった。大航海時代に翻弄されつつ生き抜いた日本キリシタン。長崎からマカオへとその足跡を辿る。

世界遺産の構成資産内にある旧五輪教会。傘を開いたようなコウモリ天井の下、イエスを抱いた聖ヨセフ(イエスの養父)が佇む。手前の聖体拝領台(柵)の意匠は大浦天主堂(長崎市・世界遺産)と共通。鳥の声と波の音が堂内にこだまする。

世界遺産の構成資産内にある旧五輪教会。傘を開いたようなコウモリ天井の下、イエスを抱いた聖ヨセフ(イエスの養父)が佇む。手前の聖体拝領台(柵)の意匠は大浦天主堂(長崎市・世界遺産)と共通。鳥の声と波の音が堂内にこだまする。

海上約2000kmを隔てた長崎とマカオ。日本の戦国時代、キリスト教と世界規模の貿易が両者を結びつけた。

海上約2000kmを隔てた長崎とマカオ。日本の戦国時代、キリスト教と世界規模の貿易が両者を結びつけた。

【五島列島(長崎県)】

天主堂は、海を渡ったキリシタンの記念碑

長崎本土の西に、大小140余りの島が連なる五島列島。古くは遣唐使船の寄港地で、空海もここから唐へ旅立った。12世紀に平清盛が開いた日宋貿易の拠点ともなった。大陸への玄関口だったのだ。

五島にキリスト教が伝わったのは永禄9年(1566)。ザビエルの鹿児島上陸からわずか17年後のことだ。領主の保護もあって瞬く間に信者は増え、教会も建った。

だが、徳川幕府の下で弾圧が本格化。18世紀に入る頃、五島のキリシタンは壊滅したという。

3000人の大移住

●旧五輪教会(久賀島) 五輪港の波打ち際ぎわに立つ木造教会。車の通う道はない。かつて信者は船でミサに集まったという。 住所:五島市蕨わらび町993-11 見学は要事前連絡(※世界遺産構成資産内の教会の見学は事前連絡が必要。問い合わせ:インフォメーションセンター 電話:095・823・7650) 交通:福江港より五輪港まで海上タクシーで約20分。または久賀島の田ノ浦港からタクシー約20分の車止めより山道を徒歩約10分

●旧五輪教会(久賀島)
五輪港の波打ち際ぎわに立つ木造教会。車の通う道はない。かつて信者は船でミサに集まったという。
住所:五島市蕨わらび町993-11 見学は要事前連絡(※世界遺産構成資産内の教会の見学は事前連絡が必要。問い合わせ:インフォメーションセンター 電話:095・823・7650) 交通:福江港より五輪港まで海上タクシーで約20分。または久賀島の田ノ浦港からタクシー約20分の車止めより山道を徒歩約10分

五島最大の島、福江島の隣に浮かぶ久賀島。静かな海辺に木造瓦屋根の旧五輪教会が佇む。創建は明治14年(1881)で、日本に現存する教会建築としては、大浦天主堂(長崎市)に次いで古い。

「建てたのは久賀島の4人の船大工。2年前に完成していた大浦天主堂を見学して、見よう見まねでしょう。聖体拝領台の意匠は大浦とほぼ同じ。船大工だから木を曲げるのは得意だったと思います」

そう教えてくれたのは長崎巡礼センターのガイド・山下博美さん(68歳)。静かに手を合わせていると、波の音が堂内に優しく響く。

現在、五島列島には50を超える教会建築があり、4つは世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に含まれる。キリシタンがいなくなった五島に、なぜこれほど多くの教会が存在するのか。

18世紀に入り、五島藩では災害や疫病で人口が減って農業が立ちゆかなくなる。いっぽう長崎本土の大村藩は、潜伏キリシタンの処遇に頭を悩ませていた。両藩の思惑が一致して寛政8年(1796)、「千人もらい」の密約が成立。本土から五島に、約3000ともいわれる人々が移住した。大半が外海地方の潜伏キリシタンだった。

外海は遠藤周作の小説『沈黙』の舞台で、五島灘をはさんで五島と向き合う。大村城下からは交通不便で監視が行き届かず、キリシタンが多数潜伏していた。

「外海は山がちの痩せ地。極度の貧困から逃れるため、キリシタンはみな五島へ行きたがりました。ところが来てみると、米麦に適した平地や漁業に適した港には仏教徒が暮らしている。キリシタンは急峻な斜面や漁に不向きな海辺に居付き、あばら家で耐えるしかなかったのです」(山下さん)

明治6年(1873)のキリスト教解禁以降、キリシタンは雪崩を打って信仰を告白し、自分たちの集落に天主堂を建てた。険しい斜面や波をかぶりそうな海際に多いのは、かつてそこにキリシタンが潜伏していた証だ。

五島の教会群は、250年にわたる禁教下を生きたキリシタンの苦しみと、解放された喜びの記念碑。自らの信条を貫き、生き抜くことの美しさを教えてくれる。

福江空港まで、長崎空港から約30分、福岡空港から約45分。福江港まで、長崎港からジェットフォイルで約1時間25分。福江島内の移動にはレンタカーかタクシーがお奨め。

福江空港まで、長崎空港から約30分、福岡空港から約45分。福江港まで、長崎港からジェットフォイルで約1時間25分。福江島内の移動にはレンタカーかタクシーがお奨め。

世界遺産を巡る日帰りクルーズ

旧五輪教会を訪ねるには福江港発着のガイド付きツアー「五島列島キリシタン物語 久賀島・奈留島編」がお奨め。同じく世界遺産を構成する江上天主堂(奈留島)にも立ち寄る。昼食付き1名1万2000円(3日前までに要予約)。問い合わせ:五島市観光協会 電話:0959・72・2963

 

【五島列島】19歳で殉教、遺骨となってマカオへ渡る

“ヨハネ五島”の数奇な運命

●水ノ浦教会(福江島) 木造で最大規模の教会。鉄川与助により昭和13年完成。維新期の大迫害「五島崩れ」の現場に立つ。手前の十字架群にはキリストの受難を14場面にわたり掲示。 住所:五島市岐宿町岐宿1643-1 開館:9時~16時 休日:ミサ、冠婚葬祭時、その他不定休 拝観無料(献金が望ましい) 交通:福江港より車で約20分

●水ノ浦教会(福江島)
木造で最大規模の教会。鉄川与助により昭和13年完成。維新期の大迫害「五島崩れ」の現場に立つ。手前の十字架群にはキリストの受難を14場面にわたり掲示。
住所:五島市岐宿町岐宿1643-1 開館:9時~16時 休日:ミサ、冠婚葬祭時、その他不定休 拝観無料(献金が望ましい) 交通:福江港より車で約20分

慶長2年(1597)2月5日、今の長崎駅にほど近い西坂の丘で、スペイン人らを含む26名のキリシタンが、秀吉の命で磔刑に処された。最高権力者による処刑は、西欧に大きな衝撃を与えた。

この26名は後年、カトリックの聖人に列せられたが、そのひとりにヨハネ五島がいる。五島のキリシタンの家に生まれ、幼い頃、キリシタン迫害に転じた五島から一家で長崎へ移住。スペイン人のモレホン神父に随行して大坂に滞在中、神父の身代わりとなって捕らえられ、長崎に送られた。処刑の直前にイエズス会に入会している。前出の山下さんは言う。

「処刑の日、面会に来た父に“神の教えを信じ、怠りなく神にお仕えください”と言って自分のロザリオを渡したそうです」

わずか19年の生涯だった。

殉教者の遺骨は80日もの間放置され、烏についばまれて散逸しかけた。それを宣教師らが集めてマカオへ送った。ヨハネ五島の遺骨は、彼に命を救われてマカオへ戻っていたモレホン神父と、奇跡の再会を果たす──そんな物語が伝わっている。

「26聖人の遺骨のその後についてはさまざまな説があり、はっきりしません。でも事実はともかく、ヨハネ五島のものとされる遺骨が400年以上も守り伝えられてきたことに、意義があるのではないでしょうか」(山下さん)

件の遺骨はマカオからマニラへ送られたのち、昭和38年、長崎に「帰国」を果たす。

信じることは、生きること

● 堂崎天主堂(福江島) 教会建築の父、鉄川与助による、福江島を代表する天主堂。海際ぎわに立ち、背後の山にはキリシタンの段々畑が広がっていた。 住所:五島市奥浦町堂崎2019 電話:0959・73・0705 開館:9時~17時(11月11日~3 月20日は16時まで、夏休み期間18時まで) 休日:年末年始 拝観料300円 交通:福江港より車で約20分

● 堂崎天主堂(福江島)
教会建築の父、鉄川与助による、福江島を代表する天主堂。海際に立ち、背後の山にはキリシタンの段々畑が広がっていた。
住所:五島市奥浦町堂崎2019 電話:0959・73・0705 開館:9時~17時(11月11日~3
月20日は16時まで、夏休み期間18時まで) 休日:年末年始 拝観料300円 交通:福江港より車で約20分

 

天主堂前庭のヨハネ五島殉教像を前に解説するガイドの山下さん(左)。江戸後期に本土の外そと海め から移住してきたキリシタンの末裔だ。

天主堂前庭のヨハネ五島殉教像を前に解説するガイドの山下さん(左)。江戸後期に本土の外海から移住してきたキリシタンの末裔だ。

福江島の堂崎天主堂は、ヨハネ五島ら26聖人に捧げられた教会だ。煉瓦造りの堂々たる建築は明治41年(1908)竣工。内部はキリシタン受難の歴史を伝える資料館となっている。宗門改めに用いた踏絵のレプリカや潜伏期のマリア観音から、素朴だが揺るぎない信仰の姿が伝わってくる。

五島でのキリシタン迫害は幕末・維新期に激化し、凄惨な拷問で多くの殉教者を出した。棄教すれば助かるのに、なぜ信仰を貫いたのだろう。山下さんは言う。

「この世は涙の谷である、神の国では永遠に楽しく生きられる──神父はそう説きました。貧困のどん底にあった五島のキリシタンたちは、神の国を信じるほかなかったのです」

彼らにとっては、信じることこそが、生きることだったのだ。

長崎市の日本二十六聖人殉教碑(見学自由)。右から8人目がヨハネ五島。併設の記念館はキリシタン受難史の展示が充実。右奥の塔は聖フィリッポ教会。 ●日本二十六聖人記念館 住所:長崎市西坂町7-8 電話:095・822・6000 開館:9時 ~17時 休日:年末年始 料金:500円 交通:JR長崎駅より徒歩約5分

長崎市の日本二十六聖人殉教碑(見学自由)。右から8人目がヨハネ五島。併設の記念館はキリシタン受難史の展示が充実。右奥の塔は聖フィリッポ教会。
●日本二十六聖人記念館 住所:長崎市西坂町7-8 電話:095・822・6000 開館:9時~17時 休日:年末年始 料金:500円 交通:JR長崎駅より徒歩約5分

長崎市の聖フィリッポ教会に安置されたヨハネ五島ら3聖人の遺骨。教会は開いていれば見学自由。献金が望ましい。

長崎市の聖フィリッポ教会に安置されたヨハネ五島ら3聖人の遺骨。教会は開いていれば見学自由。献金が望ましい。

 

【食】製麵所直送の五島うどん

●ばらもん亭 住所:五島市籠淵町2093-2 電話:0959・76・3337 営業時間:平日11時~14時(最終注文13時30分)、土曜・日曜11時~20時(最終注文19時30分) 休日:木曜 交通:福江港より車で約10分

●ばらもん亭
住所:五島市籠淵町2093-2 電話:0959・76・3337 営業時間:平日11時~14時(最終注文13時30分)、土曜・日曜11時~20時(最終注文19時30分) 休日:木曜 交通:福江港より車で約10分

五島は手延べうどんの名産地で、遣唐使が中国から伝えたとされる。当店は製麺所直営。写真はアゴ主体のつゆでいただく「地獄炊き」2人前1040円。他にかけ330円、地魚天120円など。

【泊】6月開業、五島の幸でおもてなし

●GOTO TSUBAKI HOTEL 住所:五島市栄町1-57 電話:0959・74・5600 チェックイン15時、チェックアウト10時料金:2名1室1泊朝食付き1名8500円~ 交通:福江港より徒歩約5分、福江空港より車で約15分

●GOTO TSUBAKI HOTEL
住所:五島市栄町1-57 電話:0959・74・5600 チェックイン15時、チェックアウト10時料金:2名1室1泊朝食付き1名8500円~ 交通:福江港より徒歩約5分、福江空港より車で約15分

魚介はもちろんのこと、米や野菜まで五島産を用いたビュッフェ式の朝食も美味。

魚介はもちろんのこと、米や野菜まで五島産を用いたビュッフェ式の朝食も美味。

海の青と椿の赤。五島を表す2色で旅人を出迎える新規開業のホテル。ステンドグラスや染そめ付つけのタイル装飾が、マカオとの縁の深さを彷彿させる。

【買】キリシタンの芋を焼酎にキリシタンの芋を焼酎に

キリシタンは斜面に薩摩芋を植えて飢えをしのいだ。甘みの強いこの芋を焼酎にした「五島芋」(左)。焼き芋の香りと優しい甘みが特徴。900ml箱入り1467円。右は五島産の椿酵母を使った麦焼酎「五島椿」500ml 1100円。原料はすべて五島産。問い合わせ:五島列島酒造 電話:0959・84・3300

●巡礼ガイド問い合わせ先/長崎巡礼センター電話:095・893・8763

提供/長崎県観光連盟

 

【マカオ】故郷を捨ててまで信仰に生きた日本人たち

キリシタンの痕跡をマカオに訪ねる

中国広東省南部、南シナ海に面するマカオ。16世紀にポルトガルの拠点となり、宣教師の大半はマカオから来日した。日本が禁教へ転じると、今度は日本キリシタンがマカオへ逃れてくる。

●聖ポール天主堂跡 イエズス会により、1602年から40年近い歳月を費やして完成。アジア最大のカトリック教会だったが、1835年に木造の堂宇は焼け落ち、石造りのファサードのみが残る。中央に聖母マリア、その右下がザビエル。レリーフには漢文が刻まれ、東洋では神獣の龍を悪魔として描くなど、布教への意欲がにじむ。

●聖ポール天主堂跡
イエズス会により、1602年から40年近い歳月を費やして完成。アジア最大のカトリック教会だったが、1835年に木造の堂宇は焼け落ち、石造りのファサードのみが残る。中央に聖母マリア、その右下がザビエル。レリーフには漢文が刻まれ、東洋では神獣の龍を悪魔として描くなど、布教への意欲がにじむ。

マリア像を牡丹たん菊の文様が囲む。牡丹は中国の、菊は日本の石工が刻んだと伝わる。

マリア像を牡丹菊の文様が囲む。牡丹は中国の、菊は日本の石工が刻んだと伝わる。

秀吉、家康、家光と、日本ではキリシタンへの迫害が徹底され、多くの殉教者、棄教者を出した。生きて信仰を守る人々は仏教徒に擬して「潜伏キリシタン」となったが、宣教師らとともに国外へ脱出した者もいる。その行き先が、中国広東省南部のマカオだった。

マカオの象徴ともいえる聖ポール天主堂跡。観光客でにぎわう巨大なファサード(建物正面)の裏に、地下納骨堂がある。入口に掲げられているのは、ここに埋葬された日本殉教者59人の名簿。日本語で姓名と殉教地が記してある。マカオで亡くなったのは1名のみ。ほかは長崎、熊本など日本で殉教している。遺骨となって海を渡ったのは、ヨハネ五島だけではなかったのだ。

●地下納骨堂 左右の棚に殉教キリシタンの遺骨を安置。奥の墳墓は、信長とも交流して日本人の勤勉さを高く評価し、天正遣欧少年使節(次ページ)を企画したイエズス会士・ヴァリニャーノのものという。

●地下納骨堂
左右の棚に殉教キリシタンの遺骨を安置。奥の墳墓は、信長とも交流して日本人の勤勉さを高く評価し、天正遣欧少年使節を企画したイエズス会士・ヴァリニャーノのものという。

納骨堂入口に掲示された日本殉教者。武士とその家族が多く、女性や子供も含まれる。

納骨堂入口に掲示された日本殉教者。武士とその家族が多く、女性や子供も含まれる。

天主堂設計者も日本で殉教

禁教下の日本から、生きてマカオに渡った人々もいる。聖ポール天主堂の裏にはかつて日本人街があり、最大約300名が暮らしたという。彼らの一部は天主堂ファサードの彫刻に携わったと伝わる。

1630年代、長崎に出島が築かれると同時に、日本人女性との間に生まれた子女287名がマカオへ追放されており、300という数字は誇張ではなさそうだ。天主堂に近い繁華街の一角には「ミソ」(味噌)の名を冠した通りもある。日本のキリシタンはマカオでも味噌を醸し、南シナ海の幸で味噌汁を作ったのだろう。

マカオの下町にある「MISSO(ミソ)通り」。わずか10mほどだが、日本人が暮らした証だ。

マカオの下町にある「MISSO(ミソ)通り」。わずか10mほどだが、日本人が暮らした証だ。

聖ポール天主堂と日本のかかわりはこれだけではない。天主堂を設計したイエズス会士のカルロ・スピノラは、1602年に来日。禁教令ののちも長崎に潜伏し、1622年に火刑に処されている。

聖ポール天主堂を含むポルトガル統治時代の遺構は2005年、「マカオ歴史市街地区」として世界遺産に登録された。その“歴史”には、日本とキリシタンの痕跡が克明に刻み込まれている。

●聖ヨセフ修道院 および聖堂 マカオの世界遺産のひとつで1758年、イエズス会により建立。堂内にザビエルの遺骨を安置する。天蓋中央の「IHS」はイエズス会の紋章。マカオの多湿な気候を考慮して、天窓が設けられている。

●聖ヨセフ修道院 および聖堂
マカオの世界遺産のひとつで1758年、イエズス会により建立。堂内にザビエルの遺骨を安置する。天蓋中央の「IHS」はイエズス会の紋章。マカオの多湿な気候を考慮して、天窓が設けられている。

ザビエルの遺骨。ザビエルはイエズス会創立メンバーで、プロテスタントに対抗してアジア布教に献身。日本で布教したのち、中国布教を夢見たが入国は叶かなわず、1552年、マカオ沖合の島で没した。ポルトガルがマカオの居留権を得るのはその5年後である。

ザビエルの遺骨。ザビエルはイエズス会創立メンバーで、プロテスタントに対抗してアジア布教に献身。日本で布教したのち、中国布教を夢見たが入国は叶かなわず、1552年、マカオ沖合の島で没した。ポルトガルがマカオの居留権を得るのはその5年後である。

 

【マカオ】今なお香る大航海時代の息吹

壮麗な建築群は、日本の銀で造られた

●市政署(旧民政総署) セナド広場に面した、ポルトガル統治時代の議事堂。壁面のタイルは「アズレージョ」。イスラムからポルトガルへ伝わった装飾で本来は多彩色だが、景徳鎮や有田の染付磁器への憧あこがれで青一色となっている。世界遺産。

●市政署(旧民政総署)
セナド広場に面した、ポルトガル統治時代の議事堂。壁面のタイルは「アズレージョ」。イスラムからポルトガルへ伝わった装飾で本来は多彩色だが、景徳鎮や有田の染付磁器への憧あこがれで青一色となっている。世界遺産。

マカオは対岸の香港と同様、中華人民共和国の特別行政区だが、1999年まではポルトガルが統治していた。ポルトガルはなぜ、地球の裏側までやって来たのか。

1492年、スペインの援助を受けたコロンブスが西廻り航路で新大陸を発見、大航海時代が始まる。1498年にはポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが、喜望峰を越える東廻りインド航路を開拓。両国とも、イスラム商人が独占するインド方面産の香辛料を求めての行動だった。

ポルトガルはインド西海岸のゴアを占拠して胡椒を入手。さらにクローブ(丁字)やシナモン(肉桂)を求めて東南アジアのマラッカへ進出する。次いで目をつけたのが中国( 明)のシルクと美しい染付磁器だった。思想家の渡辺京二さんは『バテレンの世紀』の中で、この段階まで《彼らの眼中には日本はなかった》と指摘している。

しかしポルトガルは、明との交易を拒まれる。明が鎖国政策を取っていたためだ。反面、密貿易は盛んで倭寇(中国の海商が主体)が席巻し、九州には年間数百隻の中国船が来航していた。ポルトガル商人は倭寇の中国船に便乗して細々と商売するうち、《日本を発見》する(渡辺京二・前掲書)。

16世紀半ば、明は取り締まりを強化し、中国沿岸の倭寇の拠点を壊滅させた。空白となった東シナ海に、ポルトガルだけが残った。

●媽閣廟(マアコツミユウ) 中国の海の女神・媽祖(まそ)を祀るマカオ最古の寺院。世界遺産。マカオ半島西南端にある。16世紀初め、ポルトガル人はこの付近に初上陸。住民に地名を尋ねたところ、寺の名と勘違いして「マァコッ」と答えたのが「マカオ」の由来とされる。中国語ではマカオは「澳門(おうもん)」と表記される。

●媽閣廟(マアコツミユウ)
中国の海の女神・媽祖(まそ)を祀るマカオ最古の寺院。世界遺産。マカオ半島西南端にある。16世紀初め、ポルトガル人はこの付近に初上陸。住民に地名を尋ねたところ、寺の名と勘違いして「マァコッ」と答えたのが「マカオ」の由来とされる。中国語ではマカオは「澳門(おうもん)」と表記される。

日本の銀が世界へ流通

日本は戦国時代。諸大名が富国強兵に励み、石見銀山(島根県)は最盛期を迎えていた。ポルトガル商人は、日本銀が世界相場に比して圧倒的に安いことを知り、倭寇が退場した東シナ海で、日本銀と中国シルクの仲介貿易を始める。当時の日本は生糸を中国に頼っていた。国内産業として勃興するのは江戸幕府の鎖国政策以降である。

中国でシルクを買い付け、長崎で銀と交換。その銀を中国に持っていくと、前回の何倍ものシルクが手に入る。この仲立ちは莫大な利益をもたらし、ポルトガル商人を通じて大量の日本銀が流出。世界流通量の3分の1を占めるまでになる。この収益がイエズス会を支え、マカオに壮麗な教会群を現出させた。石見銀山が世界遺産に登録されたのも、ポルトガルのおかげである。

以後、マカオはポルトガルとイエズス会の貿易・布教の拠点として発展。ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節もその行き帰り、風を待って長くマカオに留まった。マカオ市街を歩けば、戦国日本を巻き込んだ大航海時代の息吹を随所に感じられる。

●マカオ博物館 聖ポール天主堂跡のそばにある。写真は少年使節が日本へ持ち帰ったグーテンベルク式印刷機の複製。使節は帰路、マカオに2年ほど滞在。その間にマカオ初の出版物も印刷された。

●マカオ博物館
聖ポール天主堂跡のそばにある。写真は少年使節が日本へ持ち帰ったグーテンベルク式印刷機の複製。使節は帰路、マカオに2年ほど滞在。その間にマカオ初の出版物も印刷された。

西欧で熱狂的に歓迎された天正遣欧少年使節。右上から時計まわりに伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン。(京都大学付属図書館蔵)

西欧で熱狂的に歓迎された天正遣欧少年使節。右上から時計まわりに伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン。(京都大学付属図書館蔵)

●モンテの砦 博物館の上、市街を見下ろす丘に築かれた要塞跡。数十門の大砲を構えて新教勢力のイギリス、オランダに対抗した。奥は2008年開業の58階建てホテル『グランド・リスボア』。新旧の施設が入り交じるのがマカオの面白さ。

●モンテの砦
博物館の上、市街を見下ろす丘に築かれた要塞跡。数十門の大砲を構えて新教勢力のイギリス、オランダに対抗した。奥は2008年開業の58階建てホテル『グランド・リスボア』。新旧の施設が入り交じるのがマカオの面白さ。

●セナド広場 世界遺産「マカオ歴史市街地区」には22の建物と8つの広場が登録され、広場の代表がここ。「カルサーダス」と呼ばれる石畳の路面は、ポルトガルの職人がポルトガルの石材で施工した。噴水中央の地球儀が大航海時代を物語る。

●セナド広場
世界遺産「マカオ歴史市街地区」には22の建物と8つの広場が登録され、広場の代表がここ。「カルサーダス」と呼ばれる石畳の路面は、ポルトガルの職人がポルトガルの石材で施工した。噴水中央の地球儀が大航海時代を物語る。

 

【食】マカオ名物「カレーおでん」
カレーおでん

セナド広場に通じる大堂巷は通称「おでん横丁」。魚のつみれや牛モツを、牛出汁の効いたピリ辛のカレーソースで供する露店が並ぶ。べらぼうに美味い。カレーソースがなぜマカオ名物になったのかは次の“【マカオ】塩蔵タラとアジアのスパイス、南シナ海の海鮮が出会う 舌で味わう大航海時代の記憶”参照。

 

【マカオ】塩蔵タラとアジアのスパイス、南シナ海の海鮮が出会う

舌で味わう大航海時代の記憶

●マカオ料理
『老地方』のアラカルト。手前からミンチィ、バカリャウ(タラ)のグラタン、蝦多士(ハトシ)、黒豚ほほ肉のグリル。食材は塩も含めポルトガルから個人輸入。注文に応じて作る「プライベート・ディナー」も受け付けている。「老地方」は「いつもの場所で会いましょう」という中国の決まり文句。

『老地方』のアラカルト。手前からミンチィ、バカリャウ(タラ)のグラタン、蝦多士(ハトシ)、黒豚ほほ肉のグリル。食材は塩も含めポルトガルから個人輸入。注文に応じて作る「プライベート・ディナー」も受け付けている。「老地方」は「いつもの場所で会いましょう」という中国の決まり文句。

『老地方』オーナーシェフでマカエンセのアンナさん。「4代前までは遡さかのぼれるけど、その前はわからないわね。いつからマカオにいるのかしら」と笑う。

『老地方』オーナーシェフでマカエンセのアンナさん。「4代前までは遡さかのぼれるけど、その前はわからないわね。いつからマカオにいるのかしら」と笑う。

長らくポルトガル統治下にあったマカオには、ポルトガル系のレストランが多くある。本国と異なるのは、ひと皿ごとに大航海時代の記憶が埋め込まれていることだ。

かつて、東洋をめざしてポルトガルを出る船には、保存食として大西洋のタラの塩漬けや、新大陸から伝わったジャガイモなどの根菜類が積み込まれた。航海には年単位の月日がかかる。アフリカ東海岸のモザンビークでは鶏を仕入れ、インドのゴアでは胡椒やターメリック、マラッカではココナッツやクローブ、シナモンを積んでマカオに向かった。寄港先では新たに船員も雇い入れており、船内ではアフリカ、アジアのさまざまな言葉が飛び交っていただろう。

各地の多様な食材と文化が、南シナ海の豊富な魚介類と出会い、マカオ独自の料理を発展させた。だからひとくちにポルトガル系といっても、本国に近いものから、中国や東南アジアの影響が強いものまでさまざま。ココナッツミルク入りのカレーを出すポルトガル料理店も珍しくない。

マカオに住み着いたポルトガル人の末裔を「マカエンセ」と呼ぶ。旧花街の福隆新街にある『老地方』のオーナーシェフ、アンナさんもそのひとり。代々マカオで暮らすうち、アジアの食文化が取り込まれ、ポルトガル料理と一線を画す「マカオ料理」が生まれた。

「母から受け継いだレシピで作っています。マカオ料理はあくまで家庭料理。家ごとに味が違うんですよ」(アンナさん)

豚の挽肉を卵やジャガイモと炒めた「ミンチィ」はマカオ料理の大定番。ご飯にのせれば主食になるため、子だくさんの家庭で重宝された。食パンに海老と豚のすり身をのせて揚げた「蝦多士(ハトシ)」は、名前も中身も長崎名物の「ハトシ」とほぼ同じだ。

「今は息子にレシピを教えているんです」とアンナさん。マカエンセは、マカオの人口のわずか1%とされる。世界に類のないこの食文化が、次世代へ受け継がれることを願ってマカオを発った。

蝦多士。長崎のものは2枚のパンではさむが、マカオではパン1枚にすり身をのせパン粉をつけて揚げる。

蝦多士。長崎のものは2枚のパンではさむが、マカオではパン1枚にすり身をのせパン粉をつけて揚げる。

バカリャウのグラタン。玉葱、ジャガイモ入り。タラの繊維が独特の食感。本国にも似た料理がある。

バカリャウのグラタン。玉葱、ジャガイモ入り。タラの繊維が独特の食感。本国にも似た料理がある。

響き合う長崎とマカオ

長崎とマカオは、似ている。マカオ名物エッグタルトとカステラは、ともにポルトガルの影響で生まれたお菓子。坂の多いところ、見晴らしのきく丘に砦や屋敷(長崎ならグラバー邸)があるところ、『三国志』の英雄・関羽を祀る関帝廟が多いのも同じ。ともに夜景が美しく、中国料理が名物だ。

双方に通底するのは、大航海時代が生んだ、類稀な世界混淆の文化。両地を旅すれば、人類の営みの壮大さを体感できる。

●ポルトガル料理

ポルトガル料理

本国に近い料理を供する『アルベルゲ1601』。手前はダックライス。家鴨を丸ごと煮出したスープで米を炊き、ほぐし身と合わせたもの。奥はピリピリ・チキン。グリルした手羽に唐辛子ソースを添える。ピリピリはスワヒリ語で唐辛子のこと。ポルトガル船がモザンビークに寄港した際に仕入れた言葉か。ワインはポルトガル特産の「ヴィーニョ・ヴェルデ」。未熟な緑色の葡萄から造り、アルコール度数10%前後。微発泡で酸が立つ。冷やすほど美味しく、湿度の高いマカオにぴったり。

『アルベルゲ1601』は、ポルトガル最古の慈善団体が造った建物にある。

『アルベルゲ1601』は、ポルトガル最古の慈善団体が造った建物にある。

 

【買】お土産にはワインを

ポルトガル・ワイン

酒税がないマカオのお土産は、ポルトガル・ワインがお奨め。左は入手しやすい「アヴェレーダ」のヴィーニョ・ヴェルデ。右2本は日本ではあまり見かけない濃厚な赤ワイン。

成田、関空、福岡からマカオ航空の直行便がある。昨年、香港とマカオを直結する港こう珠じゆ澳おう大橋が開通し、便数の多い香港空港からマカオへ約30分で入れるようになった。日本との時差はわずか1時間。物価は日本より少し安め。秋~春は晴天が多く快適に過ごせる。

成田、関空、福岡からマカオ航空の直行便がある。昨年、香港とマカオを直結する港珠澳大橋が開通し、便数の多い香港空港からマカオへ約30分で入れるようになった。日本との時差はわずか1時間。物価は日本より少し安め。秋~春は晴天が多く快適に過ごせる。

参考文献/本間貞夫「キリシタンの里」(東京新聞連載)

取材・文/小坂眞吾(本誌) 撮影/横田紋子(長崎)、小倉雄一郎(マカオ)
提供/マカオ政府観光局

※この記事は『サライ』本誌2019年10月号より転載しました。

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