写真・文/石津祐介
前回ご紹介した野崎島の集落を後にし、そこから海上タクシーを利用し、平戸のキリスト教関連遺産を訪ねよう。
通常であれば、一旦五島に戻りフェリーで佐世保へ渡り陸路で向かうことになるのだが、海上タクシーを利用すれば最短距離で直接平戸に向かうことができる。このほうが効率よく関連遺産を巡ることが可能だ。
キリスト教伝来の地、平戸
海外交易の盛んだった平戸に、1550(天文19)年にポルトガル船が入港した。時を同じくしてフランシスコ・ザビエルも布教を始め、この地にキリスト教が伝わった。当時、平戸を治めていた戦国大名、松浦隆信は南蛮貿易のために宣教師を受入れ、家臣のキリスト教への改宗を認めた。家臣の領地であった生月(いきつき)島や平戸島西海岸地域にも教えが広まり、多くの住民がキリスト教へ改宗した。それにともなって教会堂が建てられ信仰が盛んになっていく。
しかし、その後の禁教令が発令されてしまう。多くの信徒は、潜伏キリシタンとして密かに信仰を続けていくことを余儀なくされた。表向きには寺の檀家となり、一方では家の奥に「納戸神」と呼ばれる御神体を祀り、1873(明治6)年の禁教解除まで、長きに渡り信仰を貫いた。
平戸市生月町にある生月町博物館「島の館」では、潜伏キリシタンの住居が復元され、当時の信仰の様子を伺い知ることができる。また、平戸藩の財政を支えた生月島の捕鯨に関する資料が展示されている。かの地での潜伏キリシタンを知る上で、この博物館へはぜひ訪れてほしい。
【生月町博物館・島の館】
長崎県平戸市生月町南免4289番地1
電話:0950-53-3000
営業時間:9時〜17時
休館日:1月1日、2日
入場料:510円
平戸の聖地と春日集落
平戸の春日集落は多くの潜伏キリシタンが存在し、密かに信仰が続けられた。集落の背後にそびえる安満岳は、豊漁や航海安全祈願の信仰の山として知られる。かの地の潜伏キリシタンにとっては古来の山岳信仰と合祀され聖地として崇められた。
長年の禁教政策下で潜伏キリシタンは祭司などから宗教的な指導を受けず、伝承により信仰は続けられた。つまり、「正しい教え」が知られることがなく、あやふやな状態で人々によって受け継がれていくことになったのだ。集落のキリスト教はやがて、神道や仏教などの影響も受け独自の様式へと変化していった。
明治の禁教が解除された後もカトリックには帰依せず、潜伏時代そのままの信仰を継承した信徒もおり、潜伏キリシタンと区別し「かくれキリシタン」と呼ばれている。仏教行事や神事と共にキリシタンの行事も行う煩雑さなどから、現在ではその信徒の数も減っているという。
【春日集落】
長崎県平戸市春日町
集落へのアクセスはインフォメーションセンターの案内図を参照
http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=6
美しいレンガ建ての田平天主堂
厳しい潜伏の時代を経て、ようやく禁教が解けると信者は信仰の証として集落に教会堂を建設していった。国指定文化財の田平天主堂は、レンガ建ての美しい教会堂で1918(大正7)年に多くの教会堂を手がけた鉄川与助の設計、施工によって建てられた。
田平天主堂は世界遺産群のエリア外ではあるが、潜伏キリシタンの歴史を知る上で重要な文化財であり、訪れていただきたい教会堂の一つだ。
【田平天主堂】
住所:長崎県平戸市田平町小手田免19
教会の見学には事前連絡が必要で、詳しくはインフォメーションセンターへ
https://kyoukaigun.jp
2018年6月30日に「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの正式に世界遺産に登録されたと報じられた。これにより観光客も増えることが予想されるが、我々が訪れるのは神聖な祈りの場であることを忘れずに、モラルある見学を心掛けていただきたい。
取材協力/平戸・小値賀・上五島観光ルート形成推進協議会
写真・文/石津祐介
ライター兼カメラマン。埼玉県飯能市で田舎暮らし中。航空機、野鳥、アウトドア、温泉などを中心に撮影、取材、
取材協力/平戸・小値賀・上五島観光ルート形成推進協議会
今回の取材は、同協議会が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録を見据え、普段は定期船で行くことが出来ない「平戸〜小値賀(野崎島)」間をチャーター船でつないで、平戸市・小値賀町、新上五島町に点在する構成資産を効率よく巡るツアーに基づき行いました。