取材・文/米田晴海

江戸最大の花街、吉原。往時は艶やかに着飾った遊女たちとの、うたかたの恋を求める男たちで常に賑わいを見せていました。

一方で吉原は、単に男の遊び場としてだけでなく、文化の発信地としての一面も持っていました。遊女を描いた美人画が人気を博したり、遊女の髪型が町娘の間でブームになったりしたことからもよくわかります。

また、遊郭で繰り広げられる男女の恋愛模様を描いた芝居なども上演され、文人や画家も吉原をテーマにした作品を数多く生み出しました。葛飾北斎の娘、応為(おうい)も『吉原格子先之図』という作品を描き、大胆な陰影で吉原の妖艶な雰囲気を表現しています。

今回は、江戸時代の人々を虜にした「吉原遊郭」の残り香を今にとどめる、6つの史跡スポットをご紹介します。

■1:「衣紋坂・五十間道」――華の遊郭へ続く道

吉原に向かう客が登楼前に着物の襟を正して身なりを整えたことが由来とされている「衣紋坂」。場所は諸説ありますが、日本堤から下る坂のことを指していたといいます。

衣紋坂を下るといよいよ吉原の入り口「大門」へ続く「五十間道」に入ります。この道は登楼の様子を外から見られないように大きく蛇行しており、現在もそのままの形で残っています。

当時は道沿いに「編笠茶屋」が軒を連ねていました。登楼の際に顔を隠したい客へ編笠を貸したり、初めて吉原を訪れた人のために案内をしていたといいます。

五十間道の終わりで振り返ると、日本堤の大通りがすっかり見えなくなっていることに気づきます。「遊郭は外から見えない」ということが体感できる場所です。

■2:「大門」――廓と外の世界の境目

吉原唯一の出入り口であった大門。関東大震災で壊れてしまいましたが、現在は門のあった場所にモニュメントが立っています。

大門付近には、東洲斎写楽などの作家を育てた版元・蔦屋重三郎の店がありました。そこでは「細見」というガイドブックを販売していたそうです。吉原の地図や遊女の情報も載っており、吉原遊びの必須アイテムとして重宝されました。

当時は高い塀と「お歯黒どぶ」という深い堀に囲まれていた吉原。出入り口も1つにすることで遊女の逃亡を防いでいました。

門をくぐったきり、外の世界を再び見ることなく世を去った遊女も多くいたことでしょう。それを思うと、廓と外界を繋ぐ大門は遊女にとってどんな存在だったのかを考えずにはいられません。

■3:「吉原神社」――遊女たちの信仰を集めた

遊郭の歴史と共に歩んできた由緒ある吉原神社は、かつて大門の手前と郭内にあった5つの稲荷神社と吉原弁財天を合祀した神社です。祀られている神様は女性の願い事を叶えてくれるとされ、遊女からの信仰が厚かったといいます。

入り口の鳥居の横にはさまざまな人との出会いを願う「逢初桜」(おうそめざくら)が植樹されています。「逢初め」とは恋い焦がれている人に初めて会うという意味。桜の季節になると優しいピンク色の花が神社を彩ります。

■4:「吉原弁財天本宮」――関東大震災の犠牲者を悼む

吉原神社から1分ほど歩くと、吉原弁財天にたどり着きます。ここは、関東大震災で490人もの人が亡くなるという悲劇的な事件があった場所でした。

境内の奥には花園池(弁天池)と呼ばれる小池があります。ビルの竣工により面影をわずかに留めるほどになってしまいましたが、元々はもっと大きな池だったそうです。

関東大震災が発生すると、被災した多くの人々がここ吉原弁財天に逃げ込みました。その時、多くの人が弁天池で溺れて亡くなってしまったと言い伝えられています。亡くなった人の中には、吉原の遊女達も数多くいたといいます。

境内の中心には大きな観音像が建てられており、亡くなった人々を供養しています。

なお、吉原弁財天は三社祭で知られる浅草神社や、新撰組・沖田総司の終焉の地といわれる今戸神社などと並ぶ浅草名所七福神のひとつです。御朱印帳を持って七福神巡りをする人もいます(吉原弁財天の御朱印やお守りは吉原神社で授与されます)。

■5:「見返り柳」――名残惜しさに廓を振り返った場所

三ノ輪駅から日本堤の通りに沿って10分ほど歩いていくと、吉原大門の交差点に到着します。日本堤は隅田川から三ノ輪まで築かれた堤防のこと。遊郭へ通う道として知られ、吉原へ向かう客で賑わっていました。

交差点には「見返り柳」と呼ばれる1本の柳が植えられています。後ろ髪を引かれた客が、この柳付近で遊郭を振り返ったといういわれがあります。この「見返り柳」は、吉原に限らず、遊郭の入口にはほとんどあったそうです。

吉原の見返り柳は戦火や震災によって焼失を繰り返しており、そのたびに新しく植え替えているそうです。今も夏になると青々とした見事な枝垂れを見ることができます。

■6:「浄閑寺」――遊女の悲しき投込み寺

東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅の裏側にあるお寺「浄閑寺」は、亡くなった遊女が投げ込むようにして葬られたことから「投込み寺」ともいわれています。

境内には墓地があり、そこには新吉原で亡くなった遊女をはじめ遊郭関係者を悼む「新吉原総霊塔」が建てられています。

彼女たちが死後の世界でも美しく着飾れるようにという思いからでしょうか。供養塔には可愛らしいアクセサリーが供えられていました。

供養塔には花又花酔の「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳が刻まれており、華やかなイメージの裏に隠れた遊女が背負う一生の苦しみがひしひしと伝わってきます。

*  *  *

以上、今回は江戸最大の花街「吉原遊郭」の残り香をとどめる史跡スポットを6箇所ご紹介しました。

数百年にわたって栄え続けた吉原遊郭。きらびやかな世界に生きる遊女達の、儚く、そして強く生きた姿が、僅かに残った史跡から伝わってくるようです。

現在の吉原の区画は、江戸時代とほとんど変わっていません。現代の地図と当時の古地図を見比べてみて歩いてみるのも面白いでしょうね。

取材・文/米田晴海(晴レノ日スタヂオ)

 

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