取材・文・写真/澤田真一
今の静岡県静岡市から愛知県名古屋市に至るまでの地域は「戦国時代の中心地」と表現すべき一帯である。
16世紀の日本を語る上で、東海道は欠かせないが、とくに静岡県に該当する地域は積雪がなく、大人数の軍団をいつでも移動させることができた。だからこそ、ここではいつも熾烈な拠点争奪戦が行われていたのだ
なかでも静岡県浜松市は、戦国時代、まさに戦略上の要所だった地域だ。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の舞台である井伊谷も、浜松市北区にある。
近くには浜名湖、そして本坂通が血管のように走っている。この条件こそが、小豪族に過ぎなかった井伊一族の「大出世」を促したのだ。
井伊谷があればこそ、江戸幕府が成立したと言っても過言ではない。それは一体どういうことか。
■1:東海道の交通の要衝だった
16世紀当時の井伊氏は、地方の小勢力に過ぎなかった。我々現代人は結果を知っているから「井伊は江戸幕府の重鎮」という先入観を持ってしまうが、直虎の時代は、まだ吹けば飛ぶような存在だったのだ。
ところがこの時代の東海道は、一部区間が使用不能になっていた。これは西暦1498年に発生した明応地震により、浜名湖の南にあった今切口の陸地がなくなってしまったことに端を発する。
それ以前の浜名湖は、陸に囲まれた淡水湖だった。だが南海トラフ地震により、「浜名湖」が「浜名海」に変化したのだ。古来より交通の大動脈だった東海道は、その道中に海路を含むことになってしまった。
その代用道路として、井伊谷の本坂通が活用された。交通の要衝になったのだ。井伊一族にとって、この地の利が大きかった。
もちろん、そのような事情は江戸時代に入ってからも変わらない。ペリー来航後の幕末、大地震が頻発して東海道の機能が麻痺した際も、本坂通が大動脈の機能を果たした。だからこそ、時の政権はそこに面する諸豪族を懐柔する必要があった。今川義元が井伊谷の情勢にいつも注意を払っていたのは、このためだ。
■2:力のある寺があった
また井伊氏にとっては、井伊谷にあった「龍潭寺」の存在も大きかった。
戦国時代当時の寺は、複合施設と言うべきだろうか。初等学校としての役割もあったが、同時にそこは軍事学院でもあった。住職は領主の参謀を務め、僧は戦闘員だったのだ。
だからこそ小豪族にとって、寺社は極めて重要な施設であるが、井伊氏の場合は、常に「龍潭寺」が参謀の役割を果たしていた。ここは禅宗の寺である。「何事も自力で果たす」という発想の禅は、戦国時代にその底力を発揮した。
『おんな城主直虎』にも傑山という僧侶が登場する。彼は実在の人物で、直虎死後の小牧・長久手の合戦では豊臣秀吉の軍勢を大混乱に陥れるほどの活躍を見せている。こうした超人的な僧侶の集団が、まさに龍潭寺なのだ。
井伊直虎は、この寺で軍事や政治の英才教育を受けた。しかも日本はアジア諸国の中では女性の権限が強い国でもある。男子の後継者がいなくなれば、女子がつなぎ役として抜擢される。だから男女が机を並べて勉強していても、誰も不思議に思わない。
やはりNHKで放映されている『ダウントン・アビー』は、20世紀が舞台である。だがその頃のイギリスでさえも、男女が同じ内容の授業を受けるということはあり得なかったのだ。
そんな井伊一族の「大出世」を促した浜松は、東京から新幹線に乗れば日帰り旅行ができる距離にある。名古屋からだとより近い。
天竜浜名湖鉄道の気賀駅近くには、大河ドラマ館もある。龍潭寺からの直通バスもすでに通っているし、帰りがけに天竜浜名湖鉄道を利用して掛川を見て回ることも可能だ。井伊一族が拠って立った浜松へ、ぜひ出掛けてみてはいかがだろう。
取材・文・写真/澤田真一
フリーライター。静岡県静岡市出身。各メディアで経済情報、日本文化、最先端テクノロジーに関する記事を執筆している。