三方の山から流れる清らかな川や豊富な地下水脈に恵まれる「水のみやこ」。この町に名高い産業や文化を次々と花開かせた名水の存在とは。水が育んだ都の「今」を垣間見る。
司馬遼太郎も逗留した“鴨川の源流”を守る山寺
京都市北部の鴨川の源流域に、雲ヶ畑という谷あいの集落がある。その奥にある山寺が志明院だ。
最初に開山したのは役行者(えんのぎょうじゃ)で、飛鳥時代のこと。だが、この修験の地からいつしか人の姿が絶える。鴨川の始まりであるこの地を、平安朝廷は重要拠点と考えた。天長6年(829)、時の天皇淳和は空海に聖地としての再興を託す。
空海はまず、水が滴る自然の岩屋に不動明王を祀った。そして、山の霊気をひと筋に集めたような小滝を飛龍の滝と名づけた。
「人と自然との関わりを見つめ直す。それが信仰の本質だとすると、修養の拠点は心が浄化できる場所、すなわち清冽な水があふれるこの源流域が選ばれたのだと思います」
こう語るのは、住職の田中量真さん(50歳)だ。
歌舞伎十八番『鳴神』の舞台
「この寺がある岩屋山は全体が古生層のチャート(硬質頁岩)で、雨水はこの硬い岩の無数のひびをくぐって流れ出ます。井戸水とはまた違った味わいがあります」
田中さんは元京都府職員で、森林管理などの業務を担当してきた。石楠花や山野草、紅葉でも知られる志明院。その美しさを支えるのは住職自身の豊富な山の知識だ。
志明院の名は江戸の頃にはかなり轟いていたようだ。歌舞伎十八番の『鳴神』(『雷神不動北山桜』)は、飛龍の滝が舞台になっている。
文芸といえばもうひとつ逸話がある。司馬遼太郎が新聞記者時代、しばしば志明院を訪れ、離れを借りたそうだ。直木賞受賞作の『梟の城』はこの離れで水音を聞きながら仕上げたと伝わる。
源流に佇む山寺は、想像力を膨らませる気も秘めているようだ。
清水寺
京都市北区雲ヶ畑出谷町261
電話:075・406・2061
参拝時間:8時~16時 拝観料:400円
交通:地下鉄烏丸線北大路駅よりタクシーで約40分