文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

2025年に予定されている大阪万博を前に、万博の歴史を紐解いてみよう。日本が公式に初めて参加した万国博覧会は、今から150年前のウィーン万博だ。開催年の1873年から150周年を迎える今年、ウィーンでは様々なイベントが開催されている。

皇帝フランツ・ヨーゼフ統治下のオーストリア=ハンガリー帝国は、その威信を世界に知らしめる絶好の機会として、ウィーン万博を開催した。その万博で最も注目された国が、日本だったのだ。その背景と、日本文化がウィーン万博を通して欧州に残した影響を紐解く。

ウィーン万博での日本の出展品が数多く展示されている「世界博物館」。

ウィーン万博への道

ウィーン万博は、世界で5回目、パリとロンドン以外の都市で開催される初の万博となった。オーストリアは、普墺戦争での敗北や、オーストリア=ハンガリー帝国の成立を経て、「多民族国家」としての帝国の威信を盛り上げる必要があった。帝国の首都ウィーンに「世界を集結」させ、大国として「東洋と西洋をつなげる」というメッセージを発信するのに、万博は格好の場だったのだ。

18世紀に市民に開放された皇帝の狩猟場「プラーター」の広大な敷地が、万博会場に選ばれた。敷地には巨大な建物「ロトゥンデ」が建設され、万博のメインパビリオンになっただけでなく、ウィーンの新しいランドマークとなった。

プラーターの観覧車の模型の背景にも、ロトゥンデの在りし日の姿が描かれている。

このロトゥンデは、高さは84メートル、直径は108メートル、当時世界最大のドームを持つ建造物だ。頂上には、皇帝の冠を模したオブジェが設置され、万博会場全体から見渡せる、皇室の守護を知らしめるシンボルとなった。

現在のプラーター公園に建つ、世界最古の現役観覧車。

異色の参加国「日本」

233ヘクタールの広大な敷地内には、テーマごとのパビリオンに加え、参加国の伝統建築を模した合計200近い建造物が造られ、敷地内は国際色に包まれた。

明治時代の日本政府からは、6千点もの展示物が出展され、大人気を博した。実物大の日本庭園や神社が屋外に建設され、名古屋城の金の鯱や、大名屋敷の模型など、大型の屋内展示物も人目を引いた。日本庭園の太鼓橋を皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートが渡り初めした絵画も残されている。

ウィーン世界博物館に展示されている大名屋敷の模型。

更に、陶磁器や漆器、革製品、紙や繊維、金属などの工芸品が展示されただけでなく、大豆が大々的に紹介され、農作物としての研究がオーストリアで始まったのも、日本の展示がきっかけだ。

日本文化に注目したのは、芸術家や専門家だけではない。会場でお土産として販売された扇子が一日3千本を売り上げたほか、一般客も日本の衣料品や漆器、布の模様に魅了され、約200点もの出典品が賞を勝ち取った。

日本からの展示品には、出島の医師として知られるフィリップ・シーボルトの二人の息子たち、アレクサンダーとハインリヒが自ら選定したものも多く含まれている。日本からウィーン万博に派遣されたのは、官員、展示会建設要員、通訳等100名近くにのぼるほか、岩倉具視を特命全権大使とし、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文も加わった遣米欧使節団も博覧会を視察している。日本政府がウィーン万博での展示を、外交や通商の大きな足掛かりとしていたことが読み取れる。

現在、主に工芸品が展示されている応用美術博物館。

ジャポニズムと世紀末芸術

日本文化が欧州に初めて大々的に紹介されたことで、ジャポニズムがウィーン芸術に浸透していく。日本の木版画は特に欧州の芸術家に強い印象を残した。グスタフ・クリムトやコロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマンやオットー・ワーグナーなどの芸術家、建築家は、ユーゲントシュティール様式にジャポニズムを取り入れ、1900年には世紀末芸術の聖地セセッシオンにて、日本をテーマとした特別展も開かれた。

現在、ウィーン万博に出品された日本からの展示品の一部は、ウィーン世界博物館(https://www.weltmuseumwien.at/)に展示されている。前述の大名屋敷の模型はその中でも最大規模のもので、日本に関する展示室の目玉となっているほか、今年は万博関連の特別ツアーも開催されている。応用美術博物館(MAK, https://www.mak.at/) にも日本の出典品の展示室があり、150周年を記念して、特別展とガイドツアーが行われている。

ウィーン万博は成功か? 失敗か?

万博を訪れる観光客のために、ウィーンでは鉄道やドナウ川の船などの交通網が大きく発達し、多数のホテルが建設された。最も格式が高いとされるホテル・インペリアルも、万博に備えてオープンしたほか、ガラス工芸メーカー「ロブマイヤー」や菓子店「ゲルストナー」などの「皇室御用達」ブランドが数多く誕生した。アルプスから直接引いてきた水道が開通したのもこの年のことだ。

ウィーン万博を機に開通したウィーン水道。

(参考記事:伝染病から市民を守った「皇帝の泉」。アルプスからウィーンへ安全な水を運ぶ、壮大な水道計画の全貌 https://serai.jp/tour/1000085

世界中からの観光客を集める都市としてのインフラが整い、現在の観光都市ウィーンの原型を作ったのが、この万博だったといえる。株式市場暴落とコレラの流行により、入場者数は振るわなかったものの、万博がウィーンにもたらした長期的な経済効果は計り知れない。

現在でも、ウィーン万博の際に世界中から集められた展示物は、複数の博物館に常設展示され、世界中の観光客を楽しませているだけでなく、一級の研究資料となっている。

幻の巨大建造物「ロトゥンデ」

万博のシンボルとなった世界最大のドーム型建造物「ロトゥンデ」は、万博後に国際電気展など、複数の展覧会や見本市の会場となったが、1937年に火事により全焼する。構造上消火活動が困難を極め、銅製のドームの屋根が落ちる、ウィーン史上最悪の火災となった。

プラーター公園を走るミニ鉄道の駅には「ロトゥンデ」の名が残る。

万博で人気を博したことで皇室御用達となった菓子店「ゲルストナー」では、記念の年に「桜」が日本のシンボルであることを意識した、チェリー味のチョコレートを販売している。もちろんモチーフはロトゥンデだ。

万博跡地は、現在見本市会場や経済大学となっている。ウィーンの通りや橋、駅の名前には今でも「ロトゥンデ」の名が多数残っているが、今はなき幻の建物の面影を想像力だけで再現するのは難しい。

今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートの幕間映像では、ロトゥンデがCGで再現され、オーケストラ団員が演奏する様子が世界中に放映された。プラーター公園には、このロトゥンデを、バーチャル体験できる施設が建設中だ。

* * *

オーストリア帝国の威信をかけたウィーン万博。失われた巨大ドーム建築「ロトゥンデ」の名残や、ジャポニズムの影響を受けた世紀末芸術を目にするとき、150年前の万博の賑わいが、道行くウィーンの人たちの胸に蘇るのだろう。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。歴史、社会、文化系記事を得意とし、『ハプスブルク事典』(丸善出版)など専門書への寄稿の他、監修やラジオ出演も。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 


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