文・写真/柳沢有紀夫(海外書き人クラブ/オーストラリア在住ライター)

物語は遠く離れたイギリスから始まる。貧困が大きな社会問題となっていた19世紀初頭の首都ロンドンに、ある少女がいた。仮に彼女の名前をメアリー、13歳、としよう。

もう何日も食事にありついていない彼女は、ただ生きるためについ出来心で犯罪に手を染めた。といってもスリである。そしてつかまった。

裁判で彼女に課せられた刑。それは当時のイギリス植民地であるが、地球のほぼ裏側に位置するオーストラリアへの流刑であった。繰り返す。「1回のスリ」で「地球のほぼ裏側への流刑」である。

現在の基準からすると信じられないほど重い刑だが、当時はメアリーだけが特別だったわけではない。記録によると1788年から1853年までの間におよそ2万5000人のイギリス人女性や女子たちが、オーストラリアに流罪となった。そのうち約半数の行き先がタスマニア島に5つある「女子工場」。工場とは名ばかりの刑務所である。

「カスケーズ女子工場」の入り口。高さ4メートルの壁は当時のままのもの。

メアリーが連れてこられたのは、今のタスマニア州の首都ホバートを見下ろすウェリントン山の麓にある「カスケーズ女子工場(Cascade Female Factory)」。カスケーズとは小さな滝、または段差のある小川のこと。もともとはラムの蒸留所として建てられ、その盗難を避けるために作られた高さ4メートルほどの壁に囲まれた30メートル四方ほどが、彼女の「世界」となった。寝泊りも労働もその中だからだ。

メアリーが入れられた第1区画の跡地。その後第5区画まで増設された。

その狭い空間の中に200名ほどの女性囚人たちが暮らした。彼女たちは1等、2等、3等に分けられたがメアリーは一番下の3等だった。

当時の様子を示した絵をガイドさんが見せてくれた。

スリを1回しただけのメアリーが最底辺の3等に組み入れられた理由。それはオーストラリアに向かう船の中での生活態度があまりよろしくなかったからだ。そう、重大な罪を犯した者や2度目の収監の者以外にも、船内での態度だけで等級分けされた囚人もいたのだ。しかもその決定を下したのは、船に同乗した医師たった一人だけだったという。彼の恣意的判断ですべてが決まった。

ガイドのジョンさん。淡々と語られる分だけ物語は胸を打つ。

等級によって仕事内容は異なる。1等は調理や作業監督、そして病院でのお手伝いなど。2等は裁縫やリネンづくりなど。

3等囚人であるメアリーの仕事は洗濯だった。洗濯機と乾燥機がある21世紀の現代では洗濯は料理や掃除と比べると、家事の中では楽な部類に入るかもしれない。だが19世紀にはそんな文明の利器はなかった。レバー一つでお湯が出る給湯システムも存在しない。オーストラリアの中でも緯度が高いタスマニアの凍てつく水と「洗濯板」を使った手洗いは、かなり過酷な労働だった。

日照時間の短い時期を除き、彼女たちの労働は1日12時間にも上った。些細なことが懲罰の対象にもなった。命令への不服従、仕事を怠けること、不適切な言葉使い、反抗的な態度などなど。

模範囚であったメアリーは2等囚人、1等囚人へと順調に昇格し、やがて当時の「開拓者」たちの家事手伝いなどをするために「女子工場」外での労働を許される。久しぶりに見る外の世界。だがそこでも衣類と食事は提供されるものの無給。さらに雇用主には絶対服従。従わなかった場合は裁判を受ける権利も得られず「女子工場」へ送り返された。しかも3等囚人とされ、「懲罰房」にも入れられた。

史跡の片隅に再現された「懲罰房」

メアリーも雇用主に従わなかったとされ、「女子工場」へと送られた。その理由は「不適切な行為」とされる。それがどのように「不適切」なものであったのか。もしかしたらむしろ立場を利用した雇用主側の「不適切な行為」があったのかもしれない。だがなにぶん女性たちは裁判を受けることもできなかったので詳細は明らかにされないし、雇用主側が罪を問われることもなかった。

実際、外の世界で妊娠が判明して送り返されてくる女性は後を絶たなかった。懐妊は彼女たちの「罪」とされた。「女子工場」内の「病棟」はいつも混雑していたし、「保育所」も作られた。

さてメアリーが入れられたという「懲罰房」には2種類ある。普通の独房と「ダークセル」と呼ばれる窓のない真っ暗闇の独房だ。後者は日本風にいうと1畳ほどの広さ。そこに1日23時間入れられ、残りの1時間の運動のために外に出ることを許された。

「懲罰房」の中でも真っ暗な「ダークセル」を見せてくれたガイドのジョンさん。私も中に入ってみて、扉を閉めた。1分もしないうちに出たくなった。

「ダークセル」ではやることがない。なにせ真っ暗闇なのだから。そこの生活は1週間続いた。

そして7年の歳月が流れ、彼女は無事刑期を終え、本国イギリスで待つ家族のもとへ……というハッピーエンドにはならない。お金がない彼女たちも家族も渡航費を出せるわけなどない。

他の女性囚たちと同様、彼女もオーストラリア国内で仕事を見つけ、やがてイギリスから開拓に来たある男性と結ばれることになった。彼女たちと同様に流刑にされた男性たちもいたし、志願して植民地へ向かったのも男性が圧倒的に多かったので、「元罪人」という肩書きもさほどネガティブには働かなかったのかも知れない。

また模範囚として働きに出た際、雇用主に見初められ、刑期を終えたあとに婚姻した者もいたという。

願わくはメアリーたちの結婚が、望んだ相手とのものだったことでありますよう。そして彼女の残りの生涯が、幸せなものだったことでありますように。

「カスケーズ女子工場」が女子刑務所として実際に稼働したのは1828年から1856年まで。その後さまざまな政府施設となったり、民間に売り出されたりしたが、その一部は現在博物館となっている。とはいえ当時の建物で残っているのは、刑務官一家が住んでいたという家一戸のみ。その他の施設は壁を残してすべて壊されてしまった。だから当時メアリーたちが過ごしていた建物は何一つ残されていない。

「カスケーズ女子工場」は2010年、他の10の史跡とともに「オーストラリアの囚人遺跡群」としてユネスコの世界遺産に登録された。メアリーをはじめとしてここに女性囚人たちのだれもがそれを祝いはしないだろう。

とはいえそうした「黒歴史」にきちんと向き合うオーストラリア政府やタスマニア州政府の姿勢は、尊敬に値する。

壁を残してすべてが更地になっている。壁の外にはタスマニアの豊かな自然が広がっている。

ガイドツアーの待合室を兼ねた受付が広々としているのに比べて、「展示室」は全体で50平方メートルあるかどうかという狭さだ。つまり「ほとんど何もない博物館」と言える。

やたらと広い受付スペース。小さいながらもショップもある。

だがガイドによるツアーや、QRコードを利用した音声ガイドで当時の話を聞くことで、当時ここで暮らし、働くことを余儀なくされた彼女たちの生活と思いをしのぶことができる。

展示スペースでは当時の様子を再現したショートフィルムが上映されていた。

女子囚人たちの犯した罪のほとんどはスリ、窃盗、置き引きなどの軽微なもの。殺人や強盗などの暴力的な罪を犯した者は全体の2パーセント未満だった。

ここでは合計2116名の新生児が生を受けたが、生き残ったのはそのうち640人に過ぎないという。

さらに本国イギリスから連れてこられたのはメアリーのような13~14歳の子もザラ。最年少はなんと10歳だったという。

史跡の横を流れる小川の横は、ホバート中心部へ向かう遊歩道がつくられている。

今はもう壁以外何もない史跡である。だがその場に身を置くことで感じられることはある。名前の由来となった小川は、おそらく200年前と同じように流れていた。

カスケーズ女子工場(Cascades Female Factory)
16 Degraves Street, South Hobart, Tasmania 7004 AUSTRALIA
入場料 大人25豪ドル(約2300円)
https://femalefactory.org.au/
※有料のガイドツアーやパフォーマンスあり。詳細はウェブサイトにて。

文・写真/柳沢有紀夫 (オーストリラア在住ライター)
文筆家。慶応義塾大学文学部人間科学専攻卒。1999年にオーストラリア・ブリスベンに子育て移住。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など同会のメンバーの協力を仰いだ著作も多数。

 


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