日本は島国であるとともに、国土の大半が山地であり山国でもある。山地に降った雨は、川となり海へと流れる。
一部の水は地下にしみ込み、やがて伏流水として各地で湧き出す。湧き出た水は、人々の生活を潤し、その地域の文化を育んできた。恵をもたらした湧水は、逸話と共に名水として語り継がれている。そんな名水を求め各地を訪ねます。
古都の名水散策 第4回目は「晴れの国岡山」を訪れることにしました。
「晴れの国」と命名されるだけあって、県庁所在地の岡山市は日照時間が年間約2,000時間と長く、年間の降水量に至っては1,100mm程度と全国有数の降水の少ない地であります。
その降水量の少ない岡山市に、全国名水100選にも選ばれている「雄町の冷泉(おまちのれいせん)」という名水がある事を知り取材することにいたしました。
■名園“後楽園”とも深い繋がりのある、藩主池田家の御用水
岡山は、誰もが知っている昔話「桃太郎伝説」の舞台となった地です。そうしたことから、県内あちこちに桃太郎像を見ることができます。岡山では、何でも彼でも桃太郎伝説に結び付けられているようです。
例えば、代表的なお土産は昔話にも登場する“吉備団子”ですし、県鳥は雉(キジ)、空港名は“桃太郎空港”など、ここ岡山では神頼みならぬ「桃太郎頼み」といった感じさえいたします。
兎にも角にも、其処彼処に岡山県民の“桃太郎愛”の深さが感じられます。「桃太郎伝説」と共に、全国的に知られる岡山の観光名所と言えば、国の特別名勝地にも指定されている、日本三名園のひとつ後楽園(こうらくえん)です。
この“後楽園”は、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政の命で代官・津田永忠の指揮で作られた池泉回遊式の大名庭園です。園内から川の対岸に岡山城も眺めることができます。
今回、ご紹介する「雄町の冷泉」は、“後楽園”を造営した池田綱政公、津田永忠とは深い繋がりのある名水です。
■世に得難き“備前国一”の良水
池田綱政公は、34歳の時に家督を継いで備前国岡山藩の2代目藩主となっています。
当時岡山藩は財政難に見舞われていたらしく、綱政は津田永忠などの優秀な人材を登用し、財政再建に取り組んだことが歴史書に残されています。
財政再建に向け、積極的な新田開発事業として児島湾の大がかりな干拓も行っております。
また、度々氾濫する旭川の洪水対策として、百間川や倉安川の治水工事も手掛けたとする記録も残されています。
そうした治水事業の一環として「雄町の冷泉」も整備されたようです。
「雄町の冷泉」由来・経緯については、以下のように紹介されています。
「雄町の冷泉が掘られたのは、大凡300年前のことで、藩主池田綱政公が、代官・津田永忠に命じ整備させた。
この井戸の水を、雄町から岡山城までの道のり(約5Km)を毎日運ばせていたことから、“殿様井戸”あるいは“御前点前の井戸”とも呼ばれていた」と記されています。
更に、岡山水道史にも「明治半頃まで、世襲の水奉行が厳重に管理しており、庶民の口には入らぬ水であった」と紹介されています。
こうした記録から、明治初期までは、「雄町の冷泉」は一般人にとって使用することはもとより、見ることさえも許されない水であったようです。
■市民に愛され親しまれる、かつての“殿様井戸”
「雄町の冷泉」は、市内を流れる旭川とその分流である百間川によって形成された海岸平野の中にあります。この海岸平野に、多量の伏流水が浸透して地表に吹き出しているとされています。
しかし、「雄町の冷泉」の周辺地域で同じように井戸を掘っても、全て良質な水が出るかと思いきやそうではないようです。過去、同じ地域で掘られた井戸水では鉄分が多く含まれ、その鉄分が酸化するため飲料水として適さなかったようです。ですから、単純な旭川の伏流水というわけでもないようです。
もしかすると、約90kmほど上流にある旭川の源流から、深い地層を通って吹き出している水なのかもしれませんね。
現在、江戸時代に藩主の御用水であった“殿様井戸“は、住宅街の個人宅庭先に在り大切に管理されています。
岡山市では、雄町の冷泉(殿様井戸)の近くに、水くみ場を備えた公園を新たに整備して「おまちアクアガーデン」として開放しています。
「雄町の冷泉」でご飯を炊くと美味しく、お茶やコーヒーの味が引き立つと評判で、周辺住民はもとより遠く関西地域からも水を求めてやって来る人が絶えないとのことです。
岡山市内には、後楽園や岡山城をはじめ多くの観光・行楽地があり、訪れる機会もあると思いますが少しだけ足を延ばして“雄町の冷泉“に立ち寄られてみてはいかがでしょうか?
■名水を使用した地場産品〜全国の銘酒を生んだルーツと雄町の冷泉の奇跡の出会い
名水の地「雄町」は、酒造米品種のルーツといわれる「雄町米」が誕生した処としても知られています。
この「雄町米」は、雄町高島地域に住んでいた岸本甚造(きしもとじんぞう)という人が、安政6年(1859)頃に伯耆大山へ参拝に行った帰りに見つけた2本の穂を持ち帰ったことが起源になっています。
この「雄町米」は、現在使用されている多くの酒造好適米の原形種とされています。なんと、酒造好適米の3分の2が雄町米の掛け合わせによって生まれたものとのことです。有名な品種である、山田錦や五尺万石も雄町米から生まれていると言うことです。何か深い縁(えにし)で結ばれているようで、これまた不思議なお話です。
ところで、現在、唯一「雄町米と雄町の冷泉」で作られた銘酒が在ります。それが、室町酒造さんが製造しておられる「雄町米の里」と命名されたお酒です。日本酒好きな方は、是非一度、御賞味されてみては如何でしょうか?
【「雄町米の里」製造元】室町酒造株式会社:http://sakuramuromachi.co.jp/
■所在地・アクセス
「おまちアクアガーデン」〒703-8204 岡山県岡山市中区雄町305−8
山陽自動車道「岡山IC」から「雄町の冷泉」まで車で約20分(10.9km)。岡山県道384号今在家東岡山停車場線 雄町交差点よりおまちアクアガーデン方面へ。雄町の冷泉へは徒歩300m。
鉄道の場合:岡山駅あるいは高島駅より宇野バス高島団地経由東岡山行「雄町中」下車徒歩2分。高島駅より徒歩20分。
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
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