文/ケリー狩野智映(海外書き人クラブ/スコットランド・ハイランド地方在住ライター)

「靴を濡らさずにネス川を5箇所で渡れるようになったとき、恐ろしい大惨事が世界を襲うであろう」

これは、「スコットランドのノストラダムス」とも呼ばれているブラーンの予言者(Brahan Seer)の予言のひとつとされているもの。スコットランド、ハイランド地方の首都インヴァネスを流れるネス川に5本目の橋が架かったのは、1939年8月末のこと。それから数日後の9月1日、ヒトラーのナチス・ドイツがポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。

ブラーンの予言者の像(地元の彫刻家の作品)

伝説の予言者

ブラーンの予言者が実在の人物だったという証拠はない。だが、彼の千里眼の話は、ハイランド地方で数世紀に渡って語り継がれてきた。伝説と神話が織り交ざったような彼の生涯は、17世紀初頭のルイス島(アウター・ヘブリディーズ諸島のひとつ)で幕を開けたとされている。

ゲール語で口頭伝承されてきた彼の予言が文書化されたのは、19世紀に入ってからのこと。スコットランドの地質学者・民俗学者ヒュー・ミラーが1874年に出版したスコットランド北部の伝説集で言及しているほか、歴史家のアレクザンダー・マッケンジー(筆者が前回執筆した記事の主題となっている探検家とは別人 https://serai.jp/tour/1076043)が、語り継がれてきた予言と逸話のいくつかをまとめた『ブラーンの予言者の予言(The Prophecies of the Brahan Seer)』を1877年に出版している。

「ブラーンの予言者」と呼ばれたコイナック・オダー(Coinneach Odhar/英語名:ケネス・マッケンジー)は、中央に穴の開いた丸石を覗いて未来を透視したという。コイナックが千里眼とこの石を手に入れた背景にはいくつかの異なる説があるが、最もよく知られている説のひとつは、ある夏の夜遅くに古い墓地の傍で家畜の世話をしていたコイナックの母親が、ノルウェーの王女と名乗る亡霊に遭遇し、王女が墓に戻るのを手助けした見返りとして、幼年の息子に千里眼と石を授かったというものだ。

息子が7歳になったら渡すようにという王女の亡霊の指示に従い、母親はコイナックの7歳の誕生日にこの丸石を与えた。石の穴を覗いたコイナックは、遠く離れた海辺の洞窟に鯨が打ち上げられているのを「見た」という。そしてその透視は的中した。鯨は当時ルイス島の漁師たちにとって貴重な収入源であった。コイナックの千里眼の評判は瞬く間にハイランド地方全体に広まり、有力氏族の族長やハイランドおよび島嶼(とうしょ)地方の大地主たちから次々と招待を受けるようになった。

成人したコイナックは、ルイス島の領主であったシーフォース伯爵家の別の領地であるブラーン・エステート(インヴァネスから約25km北西)の農場で働くようになり、第3代シーフォース伯爵ケネス・マッケンジー(1635年~1678年)の庇護を受けていたという。このことでコイナックは「ブラーンの予言者」と呼ばれるようになったのだ。コイナックの英語名が雇主であるシーフォース伯爵と同じであったというのは皮肉な偶然であるが、当時のスコットランド氏族の間では同姓同名者が数多くいたため、特に珍しいことではない。

成就(じょうじゅ)した予言

成就したとされている彼の予言の中には、冒頭で触れた第二次世界大戦勃発以外にも、世界的に知られている歴史上の出来事がいくつかある。1688年の名誉革命で追放されたスコットランド系スチュワート家の王位復権を目指して蜂起したジャコバイト軍と英国政府軍の最後の対戦となったカローデンの戦い(1746年)や、インヴァネスとスコットランド西海岸のコーパック間約100kmを結ぶカレドニア運河の開通(1822年)、北海油田の開発(1960年)やパイパー・アルファ油田基地爆発事故(1988年)、スコットランド議会の設立(1998年)などだ。

「おお、ドラモッシー、この荒涼とした湿原は、今から数世代後にハイランド地方の名家の血で染まるであろう」

ドラモッシーとは、カローデンの戦いの舞台となったカローデン湿原の旧名である。人気テレビドラマシリーズ『アウトランダー』で重要な時代背景となっているこの戦闘は、多くのハイランド有力氏族で構成されていたジャコバイト軍の惨敗に終わった。公式に記録された政府軍側の死者が50名、負傷者が259名であったのに対し、ジャコバイト軍の死傷者は2000名を超えたという。ブラーンの予言者の予言どおり、カローデン湿原はハイランド氏族の兵士たちの血で赤く染まったのだ。

カローデンの戦い
(国立陸軍博物館所蔵:https://collection.nam.ac.uk/detail.php?acc=2001-04-596-1

カレドニア運河開通の予言に関しては、面白い逸話がある。アレクザンダー・マッケンジーの著書によると、コイナックの予言者としての評判を耳にしたインヴァネスのとある紳士がある日、彼の予言を書き留めるためにブラーン・エステートを訪れた。紳士はコイナックの数々の予言を書き留めたが、船舶がインヴァネス中心部にあるトムナヒューリック丘のすぐ裏を行き交う日が来るとコイナックが告げたとき、彼が完全に狂っていると信じ、予言を書き留めた紙をすべて焼き払ってしまった。当時トムナヒューリック丘周辺に水路はなく、約1km先を流れるネス川は、水深が浅すぎて船を出せるようなものではなかった。よって、17世紀の常識では考えられないことであったのだろう。しかし、この予言から150年以上経った1822年に開通したカレドニア運河は、このトムナヒューリック丘のすぐ裏を通ってビューリー湾へ到達する。

カレドニア運河とトムナヒューリック丘

1960年代に始まった北海油田開発については、「黒い雨がアバディーンに富をもたらす」と予言したといわれている。アバディーンは確かに、北海油田の開発とともに石油採掘の拠点となり、一時期はスコットランドで最も経済活動が活発な都市であった。

ブラーンの予言者はまた、「靴を濡らさずにイングランドからフランスへ歩いて行けるようになれば、スコットランドは再び独自の議会を持つようになる」と告げたとされており、これは1994年のユーロトンネル開通に続く、1998年のスコットランド議会設立の予言だとされている。そして、「ネス川に架かる橋が9本に達したとき、火災と洪水と大惨事が起こる」という彼の予言は、ネス川の9本目の橋が完成した翌年1988年に死者167名を出した北海油田プラットフォームのパイパー・アルファ爆発・火災事故を指すものだと多くの人々が信じている。

凄絶な死と最後の予言

神秘のヴェールに包まれたコイナックが死に至った経過にもいくつかの異なる説があるが、いずれの説でも彼は、黒魔術の罪で公開処刑されるという凄絶な最期を遂げている。最もよく知られている説では、英国王チャールズ2世(在位1660年~1685年)の命でフランスに派遣された第3代シーフォース伯爵の滞在が予定以上に長引き、不安を抱いていた伯爵夫人がある日、コイナックを呼び出し、伯爵がどこでどう過ごしているのかを透視するよう命じた。

第3代シーフォース伯爵は長身の美男子で、酒と女で浮名を流したこともある人物であった。聡明だが辛辣であったといわれる伯爵夫人イザベラは、嫉妬心が強いことでも知られていたという。伯爵夫人に呼び出されたコイナックは、丸石の穴を覗き込んで笑い出した。

「奥様、ご心配なく。伯爵はご無事だ。楽しく愉快なひとときを過ごしておられる」と言うコイナックの言葉に安心すると同時に嫉妬心を掻き立てられた伯爵夫人は、夫が過ごしている場所を描写するようコイナックに迫った。コイナックは、伯爵が無事であるのだからそれで満足するようにと断ったが、伯爵夫人は詳細を執拗に問いただし、脅しさえもした。

「そこまでお知りになりたいなら、真実を申しましょう。伯爵は、奥様やお子様たちのことなど、ほとんど気にかけておられない。豪華絢爛な部屋で、ベルベット、シルク、そして金糸の入った素晴らしい衣装をお召しだ。そして、美しい婦人の前でひざまずき、その婦人の腰を抱きかかえて、その手に接吻をしておられる」

コイナックのこの言葉に、親族や召使たちの前で恥をかかされ激怒した伯爵夫人は、悪魔のしもべだとしてコイナックの逮捕を命じた。捕らえられたコイナックは、最後の予言を言い放った。

「今から何世代も後、シーフォース伯爵家の最後の世継ぎは、ろうあ者として心労の多い人生を送り、喪に服したまま死を迎えてシーフォース伯爵家は途絶えるであろう。ブラーン・エステートは東から来た白い頭巾姿の未亡人が相続し、この未亡人は自分の妹を殺すであろう」

呪いとも言えるこの最後の予言は、3世代後に現実のものとなっている。シーフォース伯爵家の世継ぎであったフランシス・マッケンジー(1754年~1815年)は、12歳の時にしょう紅熱を患い、聴力と発話能力を失った。4人いたフランシスの息子はことごとくフランシスより先に他界し、フランシスの死とともにシーフォース伯爵家は途絶えた。ブラーン・エステートはフランシスの長女であったメアリが相続することになったが、メアリは未亡人となっており、海軍中将であった亡き夫の配属地の東インドからブラーン・エステートに帰郷したが、その際、馬車の事故で妹を死に至らせてしまっている。

コイナックの処刑は、シーフォース伯爵家の領地であったブラックアイル半島のフォートローズ村にあるチャノンリーポイント岬で行われた。無数の長い釘を刺したタールの樽に入れられ、火あぶりにされたという。現在、コイナックの処刑が行われたとされている地点には石碑が立っており、その横には彼の予言と生涯を簡潔に説明した情報パネルが設置されている。

ここはハイランド地方で名高いイルカウォッチングスポットでもあり、四季を問わず世界各地から観光客が訪れる。北海へと開けるマレー湾を背景に、白い灯台の周囲を人々が楽しそうに散策する牧歌的な風景は、コイナックの凄まじい最期とはかけ離れた、のどかなものである。

チャノンリーポイント岬にあるブラーンの予言者の石碑

ブラーン・エステート公式サイト(英語):https://brahan.com/category/events-on-the-estate/about-the-estate/
カレドニア運河の公式サイト(英語);https://www.scottishcanals.co.uk/canals/caledonian-canal/
チャノンリーポイント(英語):https://en.wikipedia.org/wiki/Chanonry_Point
ハイランドカウンシルの情報サイト(英語):https://www.highland.gov.uk/highlandar/BrahanSeer

文/ケリー狩野智映(スコットランド在住ライター)海外在住通算28年。2020年よりスコットランド・ハイランド地方在住。翻訳者、コピーライター、ライター、メディアコーディネーターとして活動中。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/

 

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