風景とは、実に儚いものだと思うことがございます。それは、存在するはずの風景が忽然と無くなってしまった時のこと。

今日まで、日本の原風景を大きく変化させてきたのは、高速道路やダムの建設、整備新幹線のような大規模な建設事業。あるいは生活環境や住環境の変化によって進められた都市の再開発、新興住宅地の開発などであったと思われます。団塊の世代の方であれば、1970年代の「日本列島改造論」を連想される方も多いのかもしれません。

都市開発から取り残された集落

大がかりな建設事業では、時として同じ場所かと見紛うほどに、周辺の風景や町の雰囲気までも変えてしまうことも。規模の大きな都市開発においては、暮らしは便利になれども、人との繋がりが稀薄になってしまったなどの社会問題も囁かれます。

いずれにしましても、変化してしまった日本の原風景の深部には、社会の光と影が見え隠れします。その「光と影」の正体を考えてみると、それは「人流の変化」にあるように思えます。かつて人や車が頻繁に往来していた町や集落でさえも、高速道路や新たな道路が開通すればパッタリと寂れてしまう……。地方では、そんな町や集落を数多く目にしてきました。

「人とお金と物の流れ」を地方へと分散させるはずだった大規模な建設事業は、逆に大都市への流れを加速させてしまい、その結果、人口分布の偏りを生み、多くの限界集落を作り出してしまったように見えます。

ただ、こうしたことが悪いことばかりかと言えば、強(あなが)ち、そうとばかりは言えない部分もあります。例えば、高速道路の建設ルートから外れてしまった町や集落には、一見、寂れているようにも見えますが、幸いなことに日本の原風景をとどめていることがあります。

そうした町や集落では、観光地と化し土産物屋が立ち並び摸倣されたかのような「原風景」ではなく、求め思い描く日本の原風景を見つけられる場合があります。

今回の「懐かしき風景」では、長い間、その集落全体の時間が停まっているかのように感じさせてくれる「日本の原風景」をご紹介します。

訪れた人に「時間が止まった感」を抱かせる白市の歴史

しばしば「時間が止まったかのような」という表現が用いられますが、どの様な情景を連想されるでしょうか? 当然ながら、思い浮かべる景色は人それぞれ異なることでしょう。しかし、幾つか共通する風景はあるように思えます。

それでは、次のような風景はいかがでしょう。

“比較的狭い道路の両脇に、古い日本家屋や商家が立ち並び、人通りも殆どなくひっそりとした町。バス停を示す看板と待合所、待てども来ないバス。近くに赤い郵便ポストがポツリと立つ。高い建物も無く、空は高く開け、のんびりとした空気が流れている。当然のことながら、コンビニエンスストアやファストフードなどの店は一軒として見当たらない。”

昼間でも人通りは少なく車も走らない集落

こうして具体的な情景を申しますと「まるで明治・大正や昭和の時代を描いた映画のセットのよう」という声が聞こえてきそうですが……。もしも、そんな町があるのなら訪れてみたいとは思いませんか?

ならばと「時間が止まった感」が味わえる風景を求め、東広島市の高屋町白市を訪れてみました。高屋町白市(しらいち)は、東広島市の東部に位置し、酒都として知られる西条から北東へ約9キロメートルほど山間に入った丘陵地に在る小さな集落。近隣の町並みとは明らかに異なり、伝統的な佇まいの日本家屋が立ち並び独特の雰囲気が感じられます。

時間が止まったかのような白市の本通り

白市の起こりについては諸説あるようですが、東広島市のホームページには町の歴史について次のように紹介されています。

白市(しらいち)は、平賀氏によって戦国時代に白山(しろやま)城が築城されたことを契機として成立したと考えられています。
江戸時代には三次(みよし)(三次市)、久井(くい)(三原市)とならぶ牛馬市(ぎゅうばいち)がたち、
最盛期には1日あたり500頭を超える牛馬が集まり、賑わったといわれています。
また、江戸時代後期からは鋳物が盛んに作られ、厳島神社の大燈籠(おおとうろう)をはじめとして、銅鐘などの作品は各地に存在します。
地域内には、江戸時代初期の町家の建築様式を今に伝える旧木原家住宅をはじめ、江戸時代後期から明治・大正期に建てられた町家や寺社が残っており、往時の面影を今に伝えています。

集落の中心に聳え立つように見える白山城跡
白山城跡の縄張りの説明看板
白山城跡の縄張りの説明看板

「人とお金と物の流れ」の変化が、白市の古い町並みを残すことに

江戸時代の初期には、現在に近い町並が整っていたとされています。300年以上もの間、交通の要衝であり地方経済の中心地であった白市。ところが、明治に入りますと新しい交通手段である鉄道が登場、それによって人と物資の流れに変化が起こりはじめ、白市へもその影響が押し寄せてきます。

明治27年(1894)に山陽鉄道が開通。その時、白市はそのルートから外れ交通の要衝としての役割も薄れてしまい、やがては寂れ現在のように町並を残すのみとなりました。

かつては安芸国南部の交通の要衝として賑わった町並み

道路事情においても、集落内を通る県道351号(造賀田万里線)は、地区を迂回する方法で拡幅工事が進み、車一台が通れるほどの集落内の細い道路を利用する車は殆どありません。そのため、白市集落は昼間でもひっそりとしており、伝統的な古い家々が軒を並べる風景からは「時間が止まったままの町」という印象を受けました。

集落の中を走る旧県道351号、利用者は少ない

白市には、江戸時代の初期から明治期に建てられた歴史的に重要な家屋が幾つも残っております。中でも、旧木原家住宅は国の重要文化財に指定され内部の見学も可能です。木原家は、白山城を築いた平賀氏に仕えた旧家臣で、後に商人に転じ江戸時代には酒造業や塩田業などを営み、旧安芸国南部(現:広島県南部)有数の豪商として活躍したという資料が残っています。

この住宅が建築されたのは、江戸時代の初期、寛文5年(1665)のこと。建築様式は切妻造(きりづまづく)りで、一部は二階建てになっており、当時の生活の様子をうかがうことができます。旧木原家住宅以外にも、重満家、伊原惣十郎家などの豪壮な屋敷が残っていますが、残念ながら内部を見学することはできません。

国の重要文化財に指定されいる旧木原家住宅

歴史と文化を継承する新しい家主を待ち望む古い町並み

旧木原家住宅を見学した後、「時間が止まった感」を味わいながら集落の中を散策してみました。お見かけした住民の一人に話を聞いてみると「ここ数年、めっきり空き家が多くなってきた」と寂しそうに話されました。そして、一軒の大きな屋敷を指差し「あの家も売りに出てますけど、貴方お住みになりませんか?」と冗談まじりに問いかけられ、思わず苦笑いが溢れてしまいました。

人の住んでいる気配が感じられない豪壮な屋敷

「人が住まなくなった家は、傷みが早く朽ちてしまう」と物憂げに言い残して、路地裏へと消えていかれました。白市の周辺は、道路の拡幅工事に伴い新たに宅地造成が進み、近代的な住宅が数多くみられます。しかし、古い町並みの白市に住もうとする人は居ないということを、ひっそりとした風景が物語っているようでした。

高台から望む白市の集落

今に残る歴史ある家々からは、歴史と文化を守ってくれる新たな家主を求める声が聞こえてきそうな感じを受けながら、白市を後にしました。

地方へお出かけの折には、高速道路や幹線道路から外れた旧道沿いの村や町を通ってみると、思い掛けない日本の原風景に出会えるかもしれません。偶には、そうした旅行を楽しんでみるのも良いのではないでしょうか?

アクセス情報

所在地:〒739-2114 広島県東広島市高屋町白市
鉄 道:JR山陽本線白市駅から徒歩約30分ほど
自動車:山陽自動車道 高屋ICより約10分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎

京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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