はじめに-石橋山の戦いとはどんな戦いだったのか

治承・寿永の乱、世にいう源平合戦は、治承4年(1180)に始まり、およそ10年にわたり全国的に展開された源氏と平氏の武家棟梁の覇権争いのこと。

この記事でご紹介する「石橋山の戦い」は、源頼朝挙兵後、最初の源平合戦を指します。

目次
はじめにー石橋山の戦いとはどんな戦いだったのか
石橋山の戦いはなぜ起こったのか?
関わった武将たち
この戦いの戦況と結果
石橋山の戦い、その後
まとめ

石橋山の戦いはなぜ起こったのか?

1170年代に入ると、平清盛の権勢は急激に高まり、権力が集中しました。そのため、一度は平氏と手を組んだ中央の貴族層は反平氏の姿勢をとり始めます。一方、武士の棟梁として期待を寄せていた地方武士階層も、平氏が貴族性を高めたことによって離反していきました。

こうした背景の中で、反平氏の中心となったのは、後白河法皇でした。反平氏の気運は高まります。しかし、先手を打ったのは平清盛。治承3年(1179)11月、武力を行使して後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、院政を停止します。そして、独裁的な平氏政権を樹立しました。このことは、新旧両勢力、特に寺院勢力の強い反発を招くことになります。

治承4年(1180)4月、以仁王(もちひとおう)が源頼政(よりまさ)の勧めで平氏討伐の令旨(りょうじ)を発し、各地の源氏一族に対して決起を促しました。しかし、はかりごとが漏れ、以仁王の挙兵は失敗に終わります。

しかし、この以仁王の令旨は、源氏勃興の糸口となるのです。治承4年(1180)8月17日、源頼朝は、以仁王の令旨に応じ、平氏打倒の兵を挙げます。

関わった武将たち

石橋山の戦いに関わった、源平の主な武将をご紹介しましょう。

源氏方

・源頼朝

言わずと知れた、源氏の嫡流。そのため、平家側は最も脅威を感じていました。伊豆配流の身でしたが、以仁王の令旨を受け、反平氏の旗幟を鮮明にします。

・北条時政

伊豆国の在地武士。時政の娘である政子が源頼朝と結婚。そのことから、頼朝の挙兵に助力します。

・北条宗時(むねとき)

北条時政の嫡男。挙兵後、伊豆目代・山木兼隆(かねたか)邸、その後見役・堤信遠邸を襲って、緒戦の勝利に貢献。しかしながら、石橋山の戦いで、本領である北条に程近い伊豆平井郷(=現在の静岡県函南町)の早川にて、平家方の伊東祐親(すけちか)の軍勢に囲まれ、討ち取られます。

・土肥実平(さねひら)

相模国(=現在の神奈川県)の武将。源頼朝の挙兵にいち早く参じます。石橋山の戦いで敗れた後、頼朝の逃走路を開いたことによって、以後重用されることに。

・三浦義明・義澄父子

相模国三浦荘衣笠(=現在の神奈川県横須賀市)に本拠をかまえる大きな武士団。三浦一族は、源頼朝の父・義朝(よしとも)と密接な関係にありました。石橋山の戦いにて、頼朝勢に合流しようとしますが、暴風雨により出陣が遅れている間に、頼朝の敗走を知り、衣笠城へと引き返します。安房(あわ=現在の千葉県)にも強力な勢力を扶殖。

平家方

・大庭景親(かげちか)

相模国(=今の神奈川県)の有力武士。保元の乱では源義朝に従っていましたが、平治の乱の際、捕らえられながらも助命されたことで、平家に臣従します。治承4年(1180)5月、以仁王・源頼政の挙兵時は、京都で平氏に属して討伐。石橋山の戦いでは、平家方の総大将を務めます。

・梶原景時(かげとき)

源頼朝の側近として有名ですが、石橋山の戦いの時は平家側の人間でした。しかし、敗走する頼朝を救い、源氏方につくことに。その後、頼朝に重用されます。

この戦いの戦況と結果

治承4年(1180)8月17日、源頼朝は挙兵し、平家方の伊豆国目代(もくだい)・山木兼隆(かねたか)を討つことに成功。しかし、未だ従う兵が少なかったため、源氏累代の家人である三浦氏との合流を目指します。

8月20日、北条時政らは伊豆・相模の武士を率いて伊豆国を出陣。途中、駿河国東部の兵も加わり、8月23日には石橋山のふもとに300騎をもって陣を構えました。

一方、平家の命により頼朝討伐の準備を進めていた相模の大庭景親は8月23日夕、3,000余騎で石橋山の頼朝軍を強襲。さらに、伊東祐親が300騎で後ろを囲みます。三浦氏の大軍との合流を阻止された頼朝勢は、圧倒的な兵力の前に大敗を喫したのでした。

頼朝は、飯田家義(いえよし)・梶原景時など大庭景親側に属しながらも内応するものに助けられ、箱根山中を経て、土肥郷(どいごう=現在の神奈川県湯河原町、真鶴町)に脱出、28日には海路で安房に逃れました。

石橋山の戦い、その後

石橋山の戦いの結果、頼朝方の陸上の兵力は大打撃を受けました。しかしながら、結果的に三浦氏の水軍を温存することができ、梶原景時ら水軍関係者の内応が得られました。それらの要素が、頼朝の再挙を可能にしたと考えられているようです。

まとめ

源頼朝挙兵後、最初の源平合戦である石橋山の戦いは、平家方の圧倒的な勝利で幕を閉じました。源平合戦の結末を知っている私たちからすると、意外な結果ではなかったでしょうか?

頼朝は絶命の危機をなんとか免れ、安房国に逃れます。ここで再起を図っていくことになるのです。

文/末原美裕(京都メディアライン・http://kyotomedialine.com
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

 

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