文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
高崎から乗った上信電鉄の電車が世界遺産富岡製糸場のある平野を過ぎ、やがて丘にさしかかって急カーブを繰り返しはじめたところに、この「上州一ノ宮」の駅がある。
上州一ノ宮とは、駅から15分ぐらい歩いたところにある貫前(ぬきさき)神社のこと。“一ノ宮”というだけに上州ではいちばん格式のある神社となっていて、その最寄り駅として作られたのがこの駅である。
駅舎も風格のある洋館駅舎が建てられた。駅舎の壁面の上の方は柱と漆喰をくみあわせたハーフティンバー、中段は下見板張り、そして下部の腰壁はタテ板張りというにぎやかな造りで、玄関の軒には上信電鉄の社紋ががっちりとはめ込まれている。
瓦屋根は急傾斜に段差をつけた変形切妻で、風雪を経て黒ずんだところと白ペンキで塗られた部分が奇妙なハーモニーを見せている。陰影深いというか、とても“毛深い”印象の駅舎だ。
それでも待合室には地元の華道グループが生け花を飾り、ベンチには手作りの座布団も置かれ、壁にかかる『上毛かるた』の看板も歴史を感じさせる。小さな駅だが住民の気持ちが集まって、ゆったりと電車を待てる心地いい空間だ。
付近は鏑川が作り出した河岸段丘がひろがり、ホームからは関東山地の山なみが展望できる。電車から降りて改札口を出ると、一本道がのびている。駅名にもなっている上州一ノ宮こと貫前(ぬきさき)神社には、ここから歩いて15分ぐらいで着く。
今回、駅にいたわずかな間でも、「この駅を見に来ました」という旅行者に出会った。約30分ごとに上下どちらかの電車がやってくるが、その間にも保育園の子供たちが集団で電車を見にやってきたり、立ち話に寄る人もいて、駅は地域の集会所のようだった。
明治時代に開業した上信電鉄は、軌間が762ミリの軽便鉄道だった。大正時代に第一次世界大戦の賠償でドイツから譲渡された電気設備で電化を果たし、大正13年(1924)には国鉄とおなじ軌間の1067ミリに改軌。富岡地方の生糸を高崎まで運ぶ鉄道として走り続けた。
この上州一ノ宮駅舎の建設時期は確かではないが、昭和9年(1934)に陸軍特別大演習が高崎でおこなわれた際、昭和天皇が貫前神社を訪れたときにこの駅を利用したと伝えられている。ひょっとしたらそのときに改築されたのではと想像してしまう。
昭和40年代に自動信号化される前は、駅員も7名いてタブレット交換や収改札を行っていた。平成14年(2002)に駅職員を委託化、以前は貫前神社からしめ縄を授かって駅頭に掲げていた。
出札口から事務室をのぞくと、整理整頓された乗車券箱や信号機器がおかれ、奥にはかつて宿直勤務があった当時の小部屋もかいま見えた。
時間が止ったような駅舎だが、古きよき時代の駅が今も使われている、微笑ましい風景を満喫できる。
【上州一ノ宮駅(上信電鉄)】
■ホーム島式1面2線の委託駅
■所在地:群馬県富岡市一ノ宮226−2
■駅開業年月日:1897年(明治30)7月2日(開業時は一ノ宮、大正10年に上州一ノ宮に改称)
■アクセス:高崎駅から上信電鉄線で45分
※いつもは静かな駅だが、年末年始には貫前神社詣でのために、吉井駅発着で上州一ノ宮駅23時30分着・1時30分発の『2年参り臨時列車』も運転される。
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。