文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

笛を吹いて子供たちを魅惑し、連れ去ったことで知られる、ハーメルンの笛吹き男伝説。ハーメルンは北ドイツにある街だが、実はオーストリア、ウィーンに近いコルノイブルクという町にも、笛吹き男伝説が残っている。

なぜそっくりの物語が、欧州の遠く離れた場所に存在するのか?欧州第二の笛吹き男伝説を検証し、その時代背景や伝説の成り立ち、物語の由来を紹介する。

コルノイブルクの街並み

笛吹き男とは

日本語や英語で「笛吹き男」と訳されるこの謎の男は、原語のドイツ語では「ネズミ捕り男」(Rattenfänger)と呼ばれている。

「ネズミ捕り男」は、中世近世の時代に一般的に存在していた職業だ。当時家庭内で出るごみや排泄物を、窓から道や中庭に投げ捨てていたことは知られているが、このごみを食料とするネズミが人間の生活圏に住み、そのネズミに付いたノミがペストを媒介する。このネズミを駆除するのが「ネズミ捕り男」の仕事だ。

コルノイブルクの笛吹き男の像に書かれた、「ネズミ捕り男」の文字

人間の生活圏に住む三種類のイエネズミは、小さめのハツカネズミ(Maus)と、大きめのクマネズミ、ドブネズミ(Ratte)に区別される。ヨーロッパで、ペスト菌を媒介するノミの寄生主となったのは、主にクマネズミだ。ドブネズミはこの種のノミに寄生されにくく、そもそもペスト大流行の頃には、まだ欧州には存在していなかった。

オーストリアでも、ペストが流行した14~17世紀には、ネズミ捕り男は各地で見られた。一般的には、旅芸人のように町から町をネズミ駆除して回る特徴があり、まだ魔女裁判が流行していた時代に、どの町に行っても「謎の能力を持つ怪しいよそ者」としての扱いを受けたことは想像に難くない。

ウィーンのペスト記念塔

ネズミ捕りの仕事は現在でも、カンマーイェーガー(直訳すると「室内の狩人」、害虫・害獣駆除業者の意)と名を変えて存続している。現在のネズミ捕り業者は笛ではなく薬品を使用するが、ネズミ捕りの需要は絶えない。ネズミはある種の音に対して反応することはわかっているが、ネズミ捕り男が使用した笛の音が歴史的に復元されていないため、当時の笛の音で実際にネズミをおびき寄せることができたのかは、科学的には証明されていない。

笛吹き男伝説を求めて、コルノイブルクの街を歩く

第二の笛吹き男伝説の残る町コルノイブルクは、ウィーンからドナウ川の少し上流にある町だ。ザルツブルクからドナウを下ってくると、ウィーンの一つ手前の左岸にあり、戦略的に重要な位置にある。川の向こうには、巨大な修道院を持つクロスターノイブルクがあり、12世紀から栄えた歴史ある町だ。

ウィーンを攻める異民族や他国の軍の格好の標的となる為、城壁や見張りの塔を強化し、ハンガリー、スウェーデン(三十年戦争)、トルコ(ウィーン包囲)、ナポレオン軍など、様々な敵との攻防の場となった。

そんなコルノイブルクの町の中心では、宮殿やお城にも見える、豪奢な市庁舎がひときわ目を引く。1895年に完成した、ネオゴシック様式の建築だ。

コルノイブルクの市庁舎

市庁舎の裏に回ると、優美な外見に似合わない、無骨な塔が埋め込まれている。この塔の建設は15世紀と市庁舎本体より歴史が古く、元は教会の塔だったが、多くの外敵に対する防御に大きな役割を果たした。

コルノイブルクの市庁舎裏に立つ見張りの塔

この市庁舎前広場には、二つの巨大な彫刻がある。一つは、ペストの終息100周年を記念して1747年に作られた、ペスト記念塔だ。

コルノイブルクのペスト記念塔

そして、広場の真ん中の井戸の上、町で最も目を引く場所に立っているのが、「コルノイブルクの笛吹き男」像だ。1898年、町の創立600周年記念として、ハプスブルク帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に建設され、その100年後の1998年には、記念切手も発売されている。それほど、この伝説は、この町に根付いているのだ。

市庁舎前に立つ、笛吹き男の像と井戸

また、町の中心部からドナウ川に向かうと、黒い笛を吹く男と、川に誘われるネズミのパネルがあり、伝説がつづられている。第二のゆかりの地というわけだ。

ドナウ川沿いに作られた、黒い笛を吹くネズミ捕り男とネズミのパネル

こうして、コルノイブルクの町を訪れると、笛吹き男は町のシンボルとして、重要な扱いを受けていることがわかる。

この伝説は、オーストリア人の間でも知られていて、有名な昔話の本には必ず収録されている物語である。

笛吹き男伝説の成り立ちと類型

コルノイブルクの笛吹き男伝説のあらすじはこうだ。

1646年、スウェーデン戦争後に、コルノイブルクの町でネズミが大量発生した。市長は旅のネズミ捕り男を雇い、大金の報酬を約束した。男が黒い笛を吹いてひどい音をだし、町の家々を回ると、大量のネズミがおびき出され、彼に従った。男はそのネズミを引き連れたまま、近くにあるドナウ川に膝までつかり、全てのネズミが流れ去るのを見守った。

しかし、市長は約束した代金の支払いを拒否し、少額の報酬を渡したのみだった。男はこの金をつき返し、「覚えていろ!」と捨て台詞を吐いて姿を消した。

数日後、ドナウ川の上流から、きらびやかな服を着て、金の笛を吹く男が、豪華な船に乗って現れた。男は町中を練り歩き、美しい笛の音に、子供たちは喜んで家を飛び出してきた。男は、子供たちを引き連れたまま船に乗り、そのまま連れ去った。あとに残されたのは、遅れてきた子供と、耳の聞こえない子供の二人だけだった。男は、誘拐した子供たちをコンスタンチノープルで人買いに売り、その代金をネズミ捕りの報酬の代わりとした。

コルノイブルクの笛吹き男像は、金の笛を吹いている

こうやって読むと、ハーメルンの笛吹き男の伝説と驚くほど類似している。大きな違いは、13世紀と17世紀という時代の隔たりと、ネズミがおぼれた川がヴェーザー川からドナウ川に変わっていること、子供たちの行き先が東方植民かトルコ方面かくらいだろうか。

しかし、この二つの伝説を紐解くと、元は全く異なる二つの物語であったことがわかってくる。

実は、コルノイブルクの伝説の原形は、市長がネズミ捕り男に支払いを拒否したところで終わっている。子供の誘拐の部分は、後年ハーメルンの伝説が知られるようになってから、後付けで追加されたのだ。

逆に、ハーメルンの伝説は、子供の失踪譚が原型だ。1284年にハーメルンから多くの子供や若者が消えた事件は記録されているが、実際欧州最初のペストは1347年なので、時期が合わない。ネズミ捕りの部分は16世紀に追加されたものと言われている。つまり、この似た二つの伝説は、元は異なる物語だったのだ。

オーストリアのネズミ捕り男の伝説は、コルノイブルクだけではない。マルガレーテン(現在はウィーンの一部)やフライシュタット(リンツの北)にも、「笛吹き男がネズミを集めて溺死させたが、市長が金を払わなかった」という伝説が残っているが、いずれも、後半の子供たちの誘拐の話は含まれていない。

また、アイルランドやスペイン等、欧州の他の国にも、ネズミ捕り男伝説は残されている。これらも、ハーメルンの伝説から伝播したわけではなく、同様の物語が無関係な複数の場所で語られるという、昔話の「話型」(独語でヴァンダーザーゲ)であると、専門家は分析している。

* * *

欧州第二の笛吹き男伝説は、多くの謎を秘めつつ、ネズミが媒介する疫病に苦しむ市民と、よそ者の笛吹き男に対する藁をもすがる思い、そして、その怪しさに対する猜疑心という、当時の欧州人共通の心情を物語っている。

世界中で知られている「笛吹き男」は、このような戦争と疫病による社会不安と、よそ者や人知を越えた力に対する不信感という背景の中で生まれ、現在でもその魅力を失わず、語り継がれているのだ。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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