文/藤田達生

戦国の梟雄・斎藤道三をして、「すさまじき男、隣にはいやなる人にて候よ(恐るべき男である。隣国にはいてほしくない人物だな。)」と有名なフレーズを吐かしめたのは、天文23年(1554)1月の尾張村木城(愛知県東浦町)攻撃における信長の獅子奮迅ぶりに対してである。

同城について『信長公記』は、「北は天然の要害で、守備兵もいない。東が大手、西が搦手、南は向こう側がはっきり見えないほど大きな空堀を甕の形に掘り下げ、堅固な構えである」と記している。

現地は宅地化が進んでおり、城跡の碑が立つ八劔神社とその境内地にはそれらしい雰囲気が醸し出されているが、ここは城郭の南端に過ぎない。

遺構は、その北部に広がる平城だった。東側は一段低くなっており、かつては海だったから、大手は舟運を意識してのものだったことは確実で、一望できる三河方面との連携を前提としていたと考えられる。

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現在、八劔神社がひっそりと鎮座するところに、若き織田信長が生き残りをかけて戦った村木砦跡がある。

当時の今川勢は、三河岡崎城を足がかりにして、三河鴫原城(重原城、知立市)の織田方・山岡伝五郎を攻略し、ここを拠点に尾張緒川城(東浦町)の水野氏を標的にしていた。そのために築城された村木城は、その南方約2キロに位置する緒川城攻めのための付城だった。

この勢いに押されて、尾張寺本城(知多市)の花井氏も人質を出して今川氏に味方したようだ。

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周辺は住宅地となった緒川城跡だが、土塁の遺構が往時を偲ばせる。

信長は、このような動きに同盟関係にあった水野氏救援のために電光石火の対応を試みた。

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