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文・写真/北角裕樹(海外書き人クラブ/ミャンマー在住ジャーナリスト)

「アウンサン紙幣」求め行列

ミャンマー最大都市ヤンゴンの銀行に7月21日朝、市民らが列を作った。この日交換が始まった新500チャット(約40円)紙幣がお目当てだ。ただの新札ではない。ビルマ(現ミャンマー)独立の父として市民に愛されるアウンサン将軍の肖像が描かれたデザインなのだ。1月に先行して発行された千チャット(約80円)札に続くもので、中央銀行は今後すべての紙幣にアウンサンの肖像を入れる方針だ。

アウンサンがデザインされた500チャット札を手に入れ喜ぶ親子

事実上のミャンマーの最高指導者、アウンサンスーチー氏の父としても知られるアウンサンは、第二次世界大戦中に日本軍とともに英国と戦っている。アウンサンら30人の独立活動家は、日本占領下だった中国・海南島で、日本の工作機関「南機関」の鈴木敬司大佐らの厳しい軍事訓練を受けた。その後タイでビルマ独立義勇軍を立ち上げ、日本軍とともにミャンマーに侵攻。42年にはラングーン(現ヤンゴン)を陥落させる。その後日本の保護下で設立されたビルマ国の国防大臣に就任した。

しかし、日本軍がインパール作戦に失敗し敗色濃厚となると、アウンサンは反旗を翻し英国軍と協力、日本をビルマから追い出すことに成功する。その後、独立に向け国内勢力や英国などと交渉を重ねるが、その実現を目の前にした47年に、政敵に暗殺されることになる。

アウンサンの顔がデザインされた新500チャット札(上)と新千チャット札

姿を消した英雄

将軍の名を冠したヤンゴン最大級の市場、ボージョー・アウンサン・マーケットの骨董店では、ミャンマー歴代の古銭が売られている。「大日本帝国政府 100ルピー」などと印字されているのは、日本占領下のビルマで発行された日本の軍票「へ号券」だ。これは、大戦末期にかけ軍需物資の調達のために大量に発行され、ハイパーインフレを生んで市民を苦しめる結果となった。

日本占領下のビルマで発行された「へ号券」
ボージョー・アウンサン・マーケットは観光地としても有名

古銭の中でも人気があるのはやはりアウンサンが描かれたものだ。ビルマ独立から10年後の58年以降、アウンサンはたたびたび紙幣のデザインとなった。しかし88年に長女のスーチー氏が嫁ぎ先の英国から帰国し民主化運動を率いるようになると、当時の軍事政権は民主化勢力の象徴となったアウンサンを敵視するようになる。90年代に入るとアウンサンの肖像は獅子などのデザインに置き換わり、紙幣から姿を消した。

しかし時代は再び変わる。軍事政権によって表舞台から排除されてきたアウンサンだったが、半世紀ぶりに開催された15年の民主的な総選挙で、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝して政権の座に就くと、彼を英雄として見直そうという動きが始まる。再び紙幣に取り入れられるようになったほか、各地に像を建設する動きが進んでいる。また、アウンサンらが凶弾に倒れた旧ビルマ政庁は長年放置され廃墟と化していたが、近年改装され商業・文化施設としてオープン。若者たちが記念写真を撮るデートスポットとして人気となっている。

アウンサンらが暗殺された旧ビルマ政庁は、商業・文化施設として復活した

国策映画にも描かれる2人

日本軍が撤退してすでに75年が経つにもかかわらず、ミャンマー人はアウンサンと鈴木にまつわるエピソードをよく知っている。ヤンゴンでタクシーに乗ると運転手から「鈴木を知っているか」などと声をかけられることがある。現在、政府のバックアップでアウンサンの歴史映画が製作されてる。監督のルミン氏は製作発表会で「真摯に独立を目指したアウンサンと鈴木の絆を描きたい」と熱く語った。

アウンサンが主人公の歴史映画の製作発表会にはアウンサンスーチー氏も出席

その一方で、日本軍が暗い記憶も残したのも事実だ。憲兵隊の市民への熾烈な取り締まりは、今も「キンペイタイン」というビルマ語の単語として残り、軍事政権時代の言論弾圧を例える場合などに使われる。顔を平手でたたくビンタもミャンマーの習慣にはなく、日本人の蛮行として語り継がれている。

ミャンマー人の歴史の捉え方は重層的で、複雑である。しかし、それでもミャンマー人が今に至るまで、世界でも有数と言えるほどの親日感情を抱いているのは確かなのだ。

終戦後、英国に戦犯としてビルマへ移送された鈴木は、アウンサンらの働きかけによって釈放されている。また、敗走する日本兵がビルマの人々に助けられたという逸話は数多く残っている。こうした人助けが大好きなミャンマー人気質は今でも変わっていない。この国を訪れ地元の人々と触れ合えば、それらの逸話は本当だったのだと、肌で感じることができるだろう。

アウンサン像と写真におさまるヤンゴン市民

文・写真/北角裕樹(ミャンマー在住ジャーナリスト、映像作家)
1975年東京生まれ。日本経済新聞記者などを経て、2014年にヤンゴンに拠点を移す。地元情報誌編集長を経てフリーに。政治・経済からエンタメまで幅広く執筆する。2017年にミャンマー語短編コメディ映画「一杯のモヒンガー」を監督。俳優としても活動する。ヤンゴン編集プロダクション代表。海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

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