■他の猫が生んだ子猫でも、しっかり面倒をみる
イエネコは子供を産むと、同じような時期に子供を産んだ他の雌猫と、お互いの子供の面倒を見合うことが報告されています。
ママ猫Aは、自分のご飯の時間になるとハンティングに出かけます。その間に、別のママ猫Bが、ママ猫Aの子猫の面倒を見たり、お乳をあげたりするのです。
ママ猫Aが帰ってくると、今度はママ猫Bがハンティングに出かけ、ママ猫Aはママ猫Bの子猫の面倒を見ます。なんだか、下町のご近所付き合いみたいですよね。
ちなみに、同じネコ科のライオンの場合、雌だけではなく、雄ライオンが子育ての協力をすることも稀にあるようです。去勢していない雄ライオンは、自分の子であろうがなかろうが、子供を殺してしまうことがたまにあります。それは、母親の授乳期間を強制的に終わらせようとする行動で、雌ライオンを再び子供の産める体にするためなのです。つまり、授乳が終わると、雌ライオンはすぐに妊娠可能になるのです。ですから、子供を持つ雌ライオンにとっては、雄ライオンは人生の伴侶でも恋人でもなく、もはや敵でしかありません。
授乳期間中に雄猫が近づいてくると母猫は威嚇しますし、雄猫に見つからないように、母猫は子猫を連れて4~9回は引っ越しをします。しかし稀に、雄猫も子育ての手伝いをして子猫の面倒を見たという話を聞きます。
■生存競争に勝ったのは「人間とともに生きる」選択をした猫
イエネコの歴史に話を戻しましょう。
イエネコの起源は、推定ではありますが、およそ4000年前まで遡ることができるといわれています。古代エジプト時代であろうと考えられており、紀元前2000年頃にBeni HasanにあるBaketⅢ世の墓で絵画に家庭で飼育されていた猫と思われる動物が描かれており、猫の形のお守りもそのもっと前の時代から見つかっています。ピラミッド型の墓や礼拝堂から猫の骨が発見されており、その頃には墓に埋めてもらえるほど人と仲良く暮らしていたということですから、人と猫との共同生活が始まったのはずいぶん前ということが類推されます。
そもそも、古代人が猫を飼い始めた理由は、エジプトなどでは宗教的な背景があったようですが、東地中海のキプロス周辺では、6000年くらい前から猫のような動物と航海を共にしていたような可能性もあるといわれています。また、新石器時代に農業が始まると、家畜や人の食糧を食い荒らすネズミなどの害獣駆除を目的に、猫を自分たちの家に囲い、飼って世話をしていたと考えられます。
もちろん、動物にもそれぞれ個々の性格というものがあるので、人間に囲われて暮らすのが嫌だった猫もいたでしょう。そうした猫たちは早々に逃げ出したはずです。そして人間達は逃げていく猫たちをわざわざ追いかけることはなく、自分たちのもとに残った猫たちを飼い慣らしていき、家畜化したのだと思います。柔軟性があり、様々な環境に順応できる猫だけがイエネコとして残ったともいえます。
人間は、安全な住処と食べ物を提供する代わりに、害獣駆除や宗教的役割、たまには伴侶でいることを猫にお願いしました。その提案を「これはお得!」と思ってのった猫だけが居残り、人間と暮らす道を選んだのでしょう。つまり、進化というより、環境要因から、猫は社会性を持つようになったということです。人間とのトレードにのって、守り守られ生きるという猫にとっての一種の「作戦」だったのではないでしょうか。そう思うと、猫もなかなかしたたかですね!
孤独な猫には、やむにやまれぬ事情がある
ここまで、イエネコ誕生の歴史を追いながら、猫がどのようにして社会性を身に着けていったかお話しました。人とともに暮らすことで安全な住処と食糧を得ることを選んだ野生の猫たちが、人間に囲われて家畜化し、イエネコになったということです。
こうして、他の猫たちと一緒に人間のもとで暮らすようになったことが、イエネコの集団生活の始まりかもしれません。
「でも、ひとりぼっちで生きている野良猫もいるでしょ?」との指摘があるかもしれません。そうですね、そういう野良猫もいるでしょう。野良猫といっても、種別としてはイエネコです。でも、ひとりぼっちの野良猫の場合は、単独行動をしたくてしているというより、単独行動をした方がお得な場合です。単独でいることによって自分の命を守っているのだと思います。
餌にありつく確率が低ければ、他の猫はみんなライバルとなります。少しでも多くの餌を独り占めしないと生きていけないから、ひとりぼっちでいる道を選んでいるのです。そういう「ぼっち」の猫だって、ご飯が充分にあって他の猫と争う必要がなければ、社会を形成した方が得だから、社会の中で生きていくのだと思います。