文/晏生莉衣
新型コロナウイルスとの戦いが世界中で続いています。アメリカを中心に始められた「ソーシャル ディスタンシング」(social distancing:ソーシャル ディスタンス(社会的距離)を取ること)が、日本でも感染防止の新たな基準として取り入れられています。海外の対策を参考にすることが多くなる中、海外メディアの報道でキーワード的によく使われるようになっている言葉に「empathy(エンパシー)」があります。本レッスンを続けてお読み頂いている方なら、「共感力」として前々回(レッスン3)に出てきた単語だと、ご記憶されていらっしゃるかもしれません。
「共感力」がカギとなる
アメリカで最悪の感染状況が続くニューヨーク州。アンドリュー・クオモ州知事は、連日開く記者会見で、トランプ大統領と対立しているのかと執拗にたずねる記者に向かって、「いいかい? これは政治の話じゃないんだ。民主党支持者が何人死んだとか、共和党支持者が何人死んだとかじゃないんだ。人々が命を落としているんだ」 そのように独特の語り口調で諭すように語り、「大統領と争わない。そんな時ではない。皆で協力していかなければならないんだ」と力を込めました。今、アメリカでは、クオモ州知事に代表されるような「共感力」の高さを感じさせられるリーダーに好評価が集まっています。それと同時に、「エンパシー(共感力)があればこの危機から抜け出せる」、「ソーシャル ディスタンスで離れていても、私たちはエンパシーを失わない」というように、共感力を強調する多くのメッセージがメディアを通じて社会に伝えられるようになりました。
共感力の価値を認める専門家もいます。新型コロナウイルスの分析データが引き合いに出されることの多いジョンズ・ホプキンズ大学で、新型コロナウイルス治療研究を指揮する免疫学者のアルトゥーロ・カサデヴァル博士は、研究の紹介中、「人間であることの最大の素晴らしさは『共感力』 ―― 最悪の時にも他の人々を思いやり、前向きでいられる能力だ」と述べられています。(注) ヨーロッパでは、共感力が新型コロナウイルス感染予防対策に与える影響に関する研究なども行われています。
日本でも、共感力はこの感染拡大の対応にとってキーポイントの一つです。しかし、欧米では人間の持つ高い共感力の意義が注目されているのに対し、日本では、それとは逆に、共感力の低さや欠如が社会にもたらす悪影響が問題となっています。
日本には「共感力」が足りない?
前々回でも解説しましたが、今一度繰り返すと、「共感力」とは、他人の気持ちを理解し、自分のこととして体感できる能力のことです。社会に適応して他者と共存し、社会を守り、貢献しようとする意識がどれだけあるか、そうしたことに影響する能力の一つが共感力です。新型コロナウイルス感染拡大の危機の中にあっても自粛要請を無視して楽しみを求めて行動してしまう人たちには、この共感力が欠けているため、ウイルス感染して亡くなる人や苦しむ人々のことを自分自身に重ねて考えることができず、それ故、問題の深刻度を理解できず、自粛要請を真剣に受け取ることもできません。そうした人たちの行動は、日本で爆発的なウイルス感染拡大(オーバーシュート)を引き起こす危険要因となっています。
ところが、昨今、この「共感力」の欠如は、自粛要請を守ることができない人たちの問題だけではないことを示す現象が、日本社会の中で起こっています。その一つが、医療従事者やその家族に対する中傷や差別的な行為です。
一般的に、差別は英語でdiscrimination(ディスクリミネーション)ですが、ここで言う行為に特化して使われる「stigmatization(スティグマタイゼーション)」という用語があります。「stigma(スティグマ)をする行為」ということですが、ここではよりシンプルに「スティグマ行為」と呼びます。stigmaとは英語で「恥、不名誉、汚名」といった語義の他、傷跡、あざ、出血斑といった意味があります。「刻印、タトゥー」を意味するギリシア語を語源としていて、「熱い鉄で肌を焼いて押した刻印」を意味するラテン語となって英語に取り入れられました。古代ギリシャ・ローマで、奴隷や犯罪者らにその身分の証として肌に焼印するという刑罰的な慣習があったことに由来しており、現在では、ネガティブなレッテルを貼ったり、風評を立てたりして中傷、差別することを指します。広い意味での差別(discrimination)よりももっと特定的に、際立った特徴を持つ個人や、マイノリティの人種や民族などの集団について、社会が偏見を抱いて不公平に取り扱い、「社会的な烙印を押す」という意味合いが強くあります。
なぜ、医療従事者を中傷、差別するのか
スティグマの説明から話を元に戻すと、新型コロナウイルスの感染者を救おう、感染拡大を防ごうと、自己犠牲の精神で命がけの働きを続けて下さっている医療従事者の方々のおかげで、大多数の日本人の日常生活が守られている状況の中、そうした医療従事者やその家族、または周辺の関係者に対して、「ウイルスをうつす危険がある」というようなスティグマ行為が起こっていることに懸念が生じています。SNS上で誹謗中傷のコメントが書かれる、住居のマンションに戻れなくなる、子どもが保育園への通園を拒否される、学校で「コロナ、コロナ」といじめられるなど、数多くの被害が報告されているのです。
欧米では、医療従事者への感謝を皆で伝えようという動きが広がっているというのに、日本ではなぜこんな状況があるのでしょうか。その背景には、日本ではウイルス蔓延の危機が迫っているものの、欧米ほどには事態が悪化していないことがあります。欧米では、家族、同僚、友人が感染したり、それによって亡くなったり、また、そこまで関係が近くなくても、自分の知っている人が感染するということが当たり前のように起こっていますから、感染者に身を寄せてケアをする医療従事者の大変さやありがたさを身近なこととして実感できるのですが、それに対して日本では、そうしたリアルな実体験を持つ人がまだ限られているため、ウイルス感染をいまだに「他人事」としか思えない人が多いのが現状です。
それでも共感力が高ければ、「いや、他人事では済まされない。自分もいつ感染者になるかもしれない」と考えることができるだけでなく(感染者と自分を結びつけて理解できる)、「そうなれば自分も医療事業者の方々のお世話になる」と想像でき、さらに、医療従事者の方々の献身的な働きがあるからこそ自分の暮らしている社会の秩序が保たれているということにも理解が及ぶので(医療従事者と自分を結びつけて理解できる)、ありがたいという気持ちが自然と湧いてきますし、これ以上、負担がかかって医療現場がパンクしないために、自分は外出の自粛をきちんと守ろうという意識も高まります(社会と自分を結びつけて理解できる)。しかし、共感力が低ければ、そうしたことはどれも「他人事」のままですが、その一方で、「でも、感染はイヤだ」という強い感情に支配されてしまい、医療従事者が自分のコミュニティにいるとわかれば、「感染者に接触してウイルスを運んでくるから危険だ」という自分本位の思い込みで中傷し、追い出そうとする差別的な行動に走ってしまう危険性があります。
言い換えると、共感力が低い人ほどスティグマ行為をする可能性が高いということで、「共感力」と「スティグマ行為」は負の相関関係にあるとも言えます。
医療従事者に対するスティグマの現象は、日本だけでなく、アジアではインド、フィリピンでも顕著になっていますが、日本ではさらに、こうしたスティグマ行為の被害が医療関係者だけではなく、私たちの生活に欠かせないサービスを提供するために働く他業種の方々にも及んでいます。父親が感染拡大地域間を走る長距離トラックの運転のお仕事をされているご家庭の子どもたちが、「感染リスクが高い」と学校から登校を拒否されて、入学式や始業式に出られなかったという事件がありましたが、アメリカではむしろ、こうしたトラックドライバーの方々が、ウイルス感染の危険がある中で、日々、食料や生活物資を運んでくれているから自分たちは支障なく生活を送ることができていると、感謝を込めて無料のランチパックを用意して配るというムーヴメントが起きています。先日も、通りがかった大型トラックの見ず知らずのドライバーに手作りのサンドウィッチが入ったバッグを渡そうと、高いドライバー席に向かって精一杯背伸びをする小さい子どもたちの微笑ましい姿が米メディアで報道されていました。
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「共感力」は、新型コロナウイルスのオーバーシュート対策にとっても、社会秩序の維持にとっても、きわめて重要な能力です。今後も引き続き、考えていきたいと思います。
(注) https://hub.jhu.edu/2020/04/08/arturo-casadevall-blood-sera-profile/
文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。