文/晏生莉衣
新型コロナウイルスの感染が世界に広がり、WHOによるパンデミック宣言が行われました。「これはアジア地域の問題、自分たちは大丈夫」と楽観視していた欧米にも一気に感染が拡大し、各国の首脳たちが緊急事態宣言を行う事態に陥っています。欧米での死者数は、イタリアでは3月22日に約5千名、
こうした死者数の数値だけで一概に言えませんが、感染が欧米に飛び火する形となるかなり前から、まるまる2か月以上、日本はこの新型コロナウイルスの脅威にさらされてきたことを考えると、これまでのところ、日本国内の急激な悪化は抑えられてきていると言ってもよいように見受けられます。
現在、アメリカでは各地で学校閉鎖に加え、ショップ、レストラン、バーが閉店、スターバックスはテイクアウトのみで営業。人が集まることも制限されています。感染拡大に歯止めがかからないフランスでは、マクロン大統領が “Nous sommes en guerre”(「我々は戦争のまっただ中にいる」)という声明を出し、外出制限が実施されて、外出証明書を携帯せずに出歩いた場合は罰金刑が科されることになりました。こうした緊迫した各国の状況に比べると、日本では、マスクやアルコール消毒液の不足に加えてトイレットペーパーが店頭から消えるなどの異常現象が起こったものの、私たちの日常生活は、外出を控えたり不安を抱えたりして大変ながらも、比較的平静さが保たれているようです。
なぜ、日本と欧米との間にこうした状況の差が生まれているのでしょうか。そのひとつの要因として考えられるのが、それぞれのライフスタイルや習慣の違いです。
<挨拶のスタイル>
ご存知のように、欧米では、ビジネスやフォーマルな場で挨拶時に握手をするのは習慣であり、マナーでもあります。家族や親しい友人の間では、アメリカではハグがポピュラーですが、ヨーロッパではチークキスと言われる頬へのキスが一般的で、キスの仕草をまねて頬を寄せ合うジェスチャーを両頬に一回ずつ、あるいは複数回する習慣があります。フランスでは「ビズ」(bise)と呼ばれ、友だちに会えばお互いが肩に手をのせて両頬に最低でも一回ずつビズをします。つまり、欧米では挨拶にスキンシップがつきものなのですが、これに対してお辞儀が基本の日本では、スキンシップは原則、伴いません。ですから、欧米式の挨拶よりウイルス感染の危険度は低いと言えます。家族の間でも、日本では小さいお子さんを抱いたり頭をなでたりすることはあっても、日常的に家族がハグし合う習慣を持つご家庭は多くないようです。
<建物のスタイル>
日本ではオフィスビルでも商業施設でも、入り口は自動ドアが一般的ですが、欧米は自動ドアがそれほど普及していなくて、普通の手動式ドアや回転式のドアになっていることが多いです。手で開けるドアはたいてい、とても重いので、ちょっと触れるくらいではびくともせず、しっかりとドアノブをつかんで力を込めて引いたり押したりする必要がありますし、回転ドアを動かすには、やはり手で押さなければなりません。不特定多数の人たちが触る不衛生なドアを一日に何回も開閉していれば、手から手へのウイルス感染のリスクは高まります。
<食事スタイル>
アメリカではトースト、サンドウィッチ、ハンバーガー。ニューヨークなら追加でベーグル。フランスではクロワッサンやバゲット。イタリアでもパンはパスタと並んで日常食で、レストランに入ればパンは必ず出されます。欧米では食事となればパン類を手で取って食べることが多いです。日本でもパンは特に朝食として人気ですが、日本人はご飯や麺類などお箸を使って食べる食事の回数も多いため、直箸をしなければ、手で取って食べない食事のスタイルからも、日本人のウイルス感染の危険度は欧米に比べると自然と低くなります。
<住まいのスタイル>
専門家のお話によると、新型コロナウイルスはインフルエンザと同じく飛沫感染の危険がありますが、せきやくしゃみによる飛沫は水分を含んでいるため、すぐに地面に落ちてしまうそうです。地面にどれだけの新型コロナウイルスが落ちているかわかりませんが、日本の一般的な住まいでは靴を脱いで家に上がりますから、靴底についた様々な汚れを家の中に持ち込まないようになっています。これは欧米の生活スタイルとの大きな違いで、家の中の清潔度を保つという点では日本式のほうが理にかなっています。欧米人の場合、寝室のベッドに靴を履いたままで寝っ転がってしまう人も多く、生活スタイルによる感覚の違いにもかなりの差があります。
日本のライフスタイルの利点と弱点
このように、欧米に比べて、日本にはウイルスに感染しにくい生活スタイルの要素がいくつかあって、これらが複合的にウイルス感染対策としての効果を発揮していると考えることができます。とはいっても自画自賛は禁物で、すべて日本に利点が多いというわけではありません。アメリカでは、日本と同じように電車や地下鉄などの交通網が整備されているニューヨークやシカゴなどの大都市を除けば、マイカー通勤のほうが一般的です。マイカー通勤なら通勤時の満員電車で感染するようなリスクはありません。さらに、アメリカの住宅は平均的に日本よりも広々としていますし、子どもも個室が基本ですから、家庭内で感染の疑いがあるご家族をケアするのにはより適した環境が整っているでしょう。
また、ヨーロッパのパン屋さんは、日本のようにお客さんがセルフ形式で取って買うのではなく、対面式で売られているのが普通です。ガラスのショーケース内に並べられているいろいろなパンをながめてから、「コレとコレください」とショーケース越しに頼むと、店員さんが取って袋に入れてくれてお会計をする手順で、ガラスで仕切られているのでパンにお客さんの直接飛沫がかかるリスクはほぼありません。
ただ、全体的にライフスタイルをざっと比べてみるだけでも、感染リスクを少なくできると思われる日本の生活習慣や生活形態をいくつかあげることができ、それらが現在、感染拡大が深刻な国や地域にとって少しであってもなにかの役に立つヒントになるかもしれない、というポジティブな面はあります。そうしたことを含めて、日本から世界に向けてメッセージを発信し、情報を共有していくことは積極的にしてもよいのではないでしょうか。感染を防ぐために握手やハグ、チークキスをしないという対策は、すでに欧米諸国で呼びかけられていますし、手で直接食べ物を取るスタイルの食事をする前には、必ず手を洗うなり、アルコール消毒剤を使うなりして手を清潔にすることを欧米で徹底するだけでも、感染のリスクを下げることにつながるでしょう。
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言うまでもなく、日本では独自のライフスタイルもさることながら、感染拡大を防ぐために皆がそれぞれにできる努力をして、がまんして、犠牲を払って、いろいろな方法で対策を実行してきているからこそ、比較的安定した国内状況を保つことができているわけです。そして今、タイムラグを経て、多くの国々が同じように新型コロナウイルスという見えない敵と戦っています。ワールドワイドとなったこの危機を、世界が協力し合って早く終息させることができるように祈りたいと思います。
文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。